今こそ日本再生の好機――西海岸からの年賀状


新年明けましておめでとうございます。

昨年は暮れにかけて、日本、お隣りの韓国など、アジアから経済危機を伝える暗いニュースが多かった。米国に住んでいても、日本の新聞を毎日読み、テレビのニュースを見、また、12月には2度も日本に出張したので、大体の状況は伝わってくる。

私の見るところ、日本の経済の状況はよい業界、企業と、悪い業界、企業があり、まだら模様である。バブルがはじけ、すべての業界、企業が身を小さくして、あらゆる活動を縮小した6-7年前とは大きく状況が異なる。確かに、不良債権を多額にかかえた金融業界や、まだバブルの後遺症に悩む建設、さらにはゴルフ業界などは大変な状況であるということはわかるが、どうもニュースがこのような暗い部分に集中し過ぎているような気がする。このまま暗いニュースばかり伝えると、一般消費者が実質以上に経済を悲観し、その結果、経済をさらに悪い方向に向けてしまうのではないかと懸念される。

例えば情報通信業界、なかでもソフトウェア関連の業界はむしろ仕事があり過ぎ、人が足りないという状況である。北海道拓殖銀行や山一証券破綻で、大量の社員が解雇されるというニュースの中、情報通信関連の人材は、むしろ取り合いされているという感さえある。

これらを見ると、日本の社会全体の仕組みが、今日の社会に通用していないことがよくわかる。今までの日本は、会社(大企業)はつぶさない、そこに働く社員の雇用も保証する、という事が大前提となっている。これは、産業に大きな変化がなく、欧米諸国に追い付くため、経済が右肩上がりに進んでいた時はよかったが、世の中が変化して、必要な産業が変ってきても、それに対応できない仕組みとなっている。

米国では、ご存じのように、衰退する業界、企業は人を減らし、減量経営に努める。そこであふれた人材は、人材を必要としている業界、企業に移動する。このように、世の中が変化し、人材を必要としている業界、企業が変れば、それに合わせて業界も、企業も自然と変っていくのである。

勿論、これには痛みを伴い、人減らしのためにレイオフされる人間は次の仕事を見つけるまで大変である。また、場合によっては新しい技術も身につけなければならない。しかし、長い目で社会全体を見ると、うまく世の中の変化に合わせて行くことの出来る仕組みであるといえる。

私は以前から日本企業の年功序列制度は、よく働く者と働かないものを平等に扱う不公平な悪平等の典型的なものだと考えている。しかし、終身雇用制度はよいものであり、これは是非存続させるべきものであると考えていた。これは米国でレイオフされて苦労している人達、また、レイオフを恐れて自己保身に走る人達などを見て、この日本独特の制度は、間違いなく、よい制度であると思ったからである。

だが、その考え方が、最近の大手企業の破綻を見て変った。終身雇用を守り続け、突然会社が破綻して全員職を失うのがよいか、それとも給料泥棒のような会社にほとんど貢献していない人材からレイオフしていって、会社を存続させるのがよいかと考えると、後者のほうが、まだましであるという気がする。今回の拓銀や山一の破綻がレイオフによって解決できたものかどうかはわからないが(彼等はむしろ金融機関であるために、経営が行き詰まれば、政府が助けてくれると考え、経営努力を怠っていたという感が強い)、今後、色々な企業が経営難に直面したとき、終身雇用を守って、その結果、会社そのものを破綻させるなどということが起こるべきではないと思う。

日本では、経営状態が悪くなったときに、雇用に手をつけるという事はまだまだタブー視されている。そのため、経営者は、レイオフという手段を使えず、代わりに情報を隠し、一見経営状態が悪くないように見せかける。そのためには“飛ばし”などという法律に反する事もやってしまう。レイオフという、表に見えると責められる事はやらず、このような目に見えないところでもっと悪いことをしてしまい、その結果、会社全体が破綻してしまう。何とも悲しい、腹立たしいことではないか。また、以前バブルがはじけた時に、一部の企業で、レイオフしない代わりに自分から会社をやめてもらうために、本業と全く関係のない重労働を課し、自らやめていってもらうなどというやり方は、あまりに非人間的であり、むしろストレートにレイオフしてあげたほうが、どれほどすっきりするかと思う。

終身雇用をやめるといっても、米国流の安易なレイオフがよいとは勿論考えていない。ただし、日本的なリストラで再就職先の面倒をすべてみてしまうというのも、あまり賛成できない。これでは、自然な人材の流動が十分行われないからである。むしろ、十分な手当を提供し、失業期間が不安なく過ごせる方式がベターであると思う。ただし、そのためには経営者は早め早めに手を打つ必要がある。ぎりぎりになってからでは、十分な手当を出す余裕もなくなるからである。

それと、社会全体としても、このような人材の流動化を受け入れる体制が必要である。今回のいくつかの大企業破綻でも、若い人達の再就職先は結構あるが、中高年にはなかなか人材募集がないと聞く。これはそもそも仕事内容と給料が見合ってないために起こっているのではないかと思う。これは年功序列制度の弊害である。日本では一般的に若い頃は多くの仕事をする割には給料が低く、地位も低い。反対に年齢が高くなると仕事の内容、会社への貢献度に比べ、給料が高く、地位も高い。勿論、年齢が高くても高い地位や給料に見合った仕事をしている人達もいるが、全体として平均すると、このような姿ではないだろうか。

これからは、給料や地位は仕事、会社への貢献度に見合ったものでなければならない。単に長年勤務しているというだけで高い地位と給料が与えられるという方式は改めなければならない。これが改められれば、流動する人材も受け入れられやすくなるのではないだろうか?そして、単純に中高年だからダメという事ではなく、その人の出来る仕事に合わせた待遇で採用すればよいのである。

日本は今、大きな変革を迫られている。ここで上げたのは、年功序列や終身雇用という個人に最も身近な問題であるが、闇で一部の人達が利益を享受してしまわないための“情報公開”、国民一人一人が社会の発展による恩恵を得るために必要な自由競争原理を生かすための“規制緩和”、税金を無駄にしない小さな政府にするための“行政改革”なども、同様の理由で必須である。これらは互いに関連しあっているので、すべてまとめて取り組まなければならない。しかし、これらの問題は、単に政府が何か制度を変えれば済むという問題ではなく、個人個人が意識を変えないと実行できない大きな問題である。

このような年功序列もない、終身雇用もない社会は、今の大企業サラリーマンにとっては不安かもしれない。せっかく大企業に就職し、これで一生安心と大樹によりかかっている人が多いからである。しかし、私の見るところ、数多くの優秀な人材が、むしろ大企業にいるために、牙をぬかれ、十分に力を発揮せずにいる。そして“出る杭”として打たれないように小さくなって、遠慮しながら会社人生を送っているような気がする。そして、その会社では通用しても、外に出ると通用しないような人材になってしまっている。何とももったいない話である。日本には沢山の優秀な人材がいる。しかし、今の年功序列や終身雇用制度がその多くを殺してしまっている。このような埋もれてしまっている人材が活性化される世の中に日本が変れれば、日本の将来は明るい。そのような日本に、早く変身してもらうことを期待したい。

(01/01/98)


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