本社と海外子会社の難しい関係


本社と海外子会社の関係の難しさは今に始まったことではない。ずっと昔からある問題だが、今だに十分解決されていない問題である。ここでこの問題について書こうと思ったのは最近この問題に関係した仕事にいくつか関係したこと、そして、最近新たに米国に事務所等を置き始めた日本企業がまた増えてきたからである。

最近色々話を聞いたり、仕事でお手伝いするのは主に日本企業の日本の本社と米国におけるその子会社との関係であるが、個人的にはその逆の米国企業の本社と日本の子会社というものを長く経験している。

まず、先に自分で経験のある米国の本社と日本の子会社の関係から見てみよう。最近は大分様子が変ってきたとはいえ、まだまだあるのは米国企業が米国での製品をそのまま、そして、同じやり方で日本に持ち込もうとするパターンである。最近は製品を日本語化するくらいは当たり前になってきているが、以前はこれひとつとっても大変なことであった。昔、日本 IBM の社長だった椎名武雄氏がよく言っていたように、IBM の中で日本を売り込む(日本の実情を知ってもらい、日本に合わせたやりかたを本社にとってもらう)ことが大きな課題であった。

私が日本 IBM に入社し、仕事をしていた20年以上前の頃は、まさにそのような時期であった。その後、約10年ほど前にはIBM のアジア太平洋地域本部で(日本 IBM からの出向という形で)3年近く働く機会があり、本社側の立場で物を見ることが出来た。もうその頃には IBM は日本市場の重要性や特殊性は十分認識しており、そういう面での問題はそれほどなかったように思う。しかし、そこにあったのは本社と海外子会社とのコミュニケーションの難しさである。

言葉の問題やカルチャーの違いによる問題も勿論あるが、もっと気になったのは働く人々の意識の問題、つまり、“本社意識”と“子会社意識”である。そのとき私の気になったのは、特に日本側の子会社意識である。例えば戦略の議論などをするとき、日本側の人達はともかく自分達の意見を(本社に屈服しないで)守ろうとだけし、よりよい案を一緒に考えようとしている本社側の人間のいう意見に全く耳を傾けようとせず、議論しようとしていなかった事を記憶している。本来、本社も海外子会社もお互い同じ会社で、会社のためによりよい仕事をしようとしているのに、パートナーとして議論をしようとしていないことが大変残念であった。

これを起こさせる原因は本社側の人間の本社意識をどこかで見たため、それを警戒するあまり、子会社意識が生まれたという事も考えられるが、私はむしろ上下関係を極端に意識する日本人の感覚のなせるわざであるという気がする。米国では、最後の判断は上司がするとしても、議論は上下関係なく対等に出来るという空気がもともとあるのに、日本の子会社側で一方的に門を閉じてしまっているようで、残念であった。これは、本社側がもう本社意識をなくしているのに、子会社側がまだ大人になり切っていないという状況であったと思う。

では、日本企業の本社と米国での子会社の関係はどうだろうか。一番大きな問題はやはり米国の事情をなかなか日本の本社が理解してくれないという点であろう。これは米国の子会社の人間がアメリカ人である場合だけでなく、日本からの出向社員の場合にも同様のことがいえる。特に私の関係しているコンピューター、通信の世界では米国で新しいことがどんどん先に起こる。これを米国の子会社の人間が一生懸命日本の本社に伝えようとしても、なかなかわかってもらえないというパターンである。

米国の状況を伝えることだけでもこのような状況であるから、さらに米国での、特にシリコンバレーでのビジネスのやり方を伝え、それを本社に理解してもらい、シリコンバレー流に会社を運営することは本当に大変なことである。たとえば、シリコンバレーで優秀な人材を集めようと思ったらストック・オプションを準備するというのは大きな魅力となる。しかし、これを日本の本社に認めてもらうのは容易なことではない。

このような米国子会社に駐在する日本からの駐在員の苦労は並大抵のものではない。だが、これらの日米のあいだに入って苦労する日本からの駐在員が本当にいい仕事をするかどうかは、この苦労をやり通すか、それともあきらめてしまうか、にかかっている。このような大変な状況のなか、がんばって苦労をやり通す人達のおかげで、少しずつ状況が改善されている企業も増えてきている。

しかし、まだこれですべてが解決するわけではない。米国子会社に勤めるアメリカ人と本社との関係が残っている。ここでの大きな問題としては、日本の本社の人間が米国子会社のアメリカ人を必要以上に見下している場合が多いという点である。このなかには、米国で現地採用され、日本と米国の橋渡し役が果たせると思われるバイリンガルでバイカルチャーな日本人も含まれている。

つまり、日本の本社の人達に本社意識が強過ぎる場合が多いという事である。これは、米国企業では海外子会社にある程度やり方はまかし、そのかわり結果に責任をとらせるというやり方に対し、日本企業では海外子会社を細かくコントロールしようという意識が強いためであると思われる。

私の見るところ、日本から米国に駐在しにくる人達の待遇、特に肩書きに1つ問題があるという気がする。日本で課長レベルの人間はよく米国子会社に来るとディレクターという肩書きをもらう場合が多い。時にはさらに高い地位をもらう場合もある。そうなると、日本の本社から出張などで米国に来て現地の従業員と接するとき、自分の知っているあの課長がディレクターで、目の前にいるアメリカ人はその下のマネジャーだから係長くらいか、という考え方をし、そのアメリカ人を必要以上に低く見てしまう傾向にあるような気がする。これはアメリカ人にとって屈辱的であるとともに、やる気をなくす大きな原因になると思う。

ことわっておくが、日本からの駐在員が地位にふさわしい能力がない人達ばかりだといっている訳ではない。むしろ、日本にいたら年功序列のため、なかなか実力が発揮できない優秀な人達が、思い切り実力を発揮している場面をよく見かける。しかし、問題なのは、彼等がプロモーションしてディレクターになってきたのではなく、日本に戻ればまた課長というパターンが多いという点である。これが残っている以上、日本の本社の人達は、“米国子会社のディレクターは課長レベルだな”という目で見てしまう。これではアメリカ人でいい仕事をやろうと思っているような人達もやる気をなくしてしまうだろう。

日本の本社と米国の子会社がうまくやっていく上にはコミュニケーション、カルチャー等の大きな障害があるが、まず、肩書きに始まる“米国子会社は本社より下”という発想をやめ、よりよいパートナーとしてお互いが最大限にその能力を会社全体の発展に貢献できるよう、体制を整える必要がある。特に、優秀な人材を採用し、米国でいい仕事をしてもらいたいと思うなら、この状況の改善は必須である。

(03/01/97)


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