低迷する米国株式市場の影響

昨年、米国経済がクリントン時代から長く続いた景気拡大から景気後退に転じ、さらに9月11日の事件もあったため、米国経済の景気低迷が長引くことが大いに懸念された。しかし、個人消費が以外と強く、この心配はあっという間になくなり、結果的に見ると、リセッションになってもいなかったのではないかといわれるほど、回復が早かった(ただし、7月末に修正された数字では、昨年3四半期連続して景気後退していた)。実際、最近のFederal Reserve Board(米国連邦銀行)の予測では、2002年のGDP成長率は3.5―3.75%と堅調、インフレーション率も1.5―1.75%と安定しており、失業率も5.75―6.0%程度と、歴史的に見ても比較的低い数字で推移すると予想している。

株価もニューヨーク証券取引所のダウ平均が9月11日の事件直後に急落してつけた8000ドル台前半の数字から、今年3月には10,500ドルを越え、順調な回復基調にあるかに見えた。

ところが今春になり、Enronの不正会計疑惑の大きな問題が起こった。さらに追い討ちをかけるようにWorldCommが、内容はEnronと異なるが、やはり大きな不正会計疑惑に陥り、ついに米国史上最大の倒産をするに至ってしまった。これ以外にもいくつかの不正会計疑惑が持ち上がり、企業の会計報告に対する不信感が極度に高まった。

せっかく経済が回復基調にあり、これから株価も上がってくるのではないかという期待があったにもかかわらず、これら一連の不正会計疑惑により、株式市場は全く信用を失い、30年ぶりといわれる低迷した株価になっている。経済は相変わらず、まずまずなのに、株式市場はまったく投資家から見放された格好だ。

本来、株価は経済の状況を反映すべきものであるが、今回は、不正会計疑惑のため、現在企業から出ている決算数字なども、いつ突然問題が発覚して、数字の大幅修正が起こるかわからないという恐怖感から、投資家は一斉に株式市場から資金を引き上げているように見える。

このように皆が株式市場の先行きを不安視し、株式の狼狽売りを繰り返しているときこそ、株価の低すぎる会社の株を長期的な観点から買うべきだという論調も時々見るし、私も正しいという気はするが、一般投資家の心理はまだまだ恐怖心のほうが強く、なかなか株式市場に戻ってこない。そもそも今年に入ってからの不正会計疑惑がある前から、2000年春をピークに株価が下降したNasdaq証券市場の平均株価などは、ピーク時の4分の1にもなっているのであるから、簡単に株式市場に戻ろうと思わないのは当然であろう。

このような状況で、米国の株式市場は、当分の間低迷を続ける様相が強いが、その各方面への大きな影響が心配される。私の身近なところで、その一例を上げると、シリコンバレーのストック・オプション・カルチャーへの大きな影響がある。ベンチャー企業は、社員にストック・オプションを提供し、給料は安くても、会社が成功しで株式上場した場合、高い給料などよりはるかに大きな収入を得られる仕組みを作っている。これは会社にコスト負担をかけず、優秀な人材を採用し、確保しておくのに、極めて有効な方法である。

ストック・オプションは、株価が順調に上がっていくときには極めて有効なシステムであるが、マイナス面もある。そもそも今年に入ってからの大手企業の不正会計疑惑にしても、経営トップがストック・オプションで儲けようとしたために仕組んだものという色彩が強く、このようないいシステムでも、行き過ぎるととんでもない問題を起こすことを示している。

このように株価が低迷し、ベンチャー企業の株式上場機会も、数年前に比べると極めて少なくなった。そもそも数年前のバブルの頃は、会社が大幅に赤字を出していても、その将来性のみを期待して株式上場することが出来た。しかもその上場した株がどんどん上がっていったわけだから、証券会社も、ベンチャー企業の本当の実力など無視して、どんどん株式上場させ、その結果、証券会社、ベンチャー企業に投資したベンチャー・キャピタルをはじめとする投資家、それにストック・オプションをもらって、そのような会社に勤めていた社員も、皆その恩恵に預かった。これが急にベンチャー企業の株式上場が大幅に少なくなってしまったため、ベンチャー企業に働くモチベーションは、大きく低下した。

しかし、ベンチャー企業で優秀なものは、数年前より格段に株式上場が難しくなったとはいえ、時間をかけて株式上場することは今でも可能であり、それによって、ベンチャー企業の社員がストック・オプションの恩恵を受けることは、十分可能だ。要は、数年前のようにベンチャー企業をはじめたら、1―2年以内に株式上場し、大きな利益を得るという、短期決戦的なものが大幅に少なくなったということだ。

実は、もっと深刻なのが、既存ハイテク企業でストック・オプションによって優秀な社員を集め、確保し、それほど高くない給料で働かせていた企業だ。ハイテクの花形であるMicrosoft、Cisco、Sun Microsystemsなどが、これに当てはまる。これらの企業は、経営トップから平社員に至るまで、入社したとき、また毎年、何らかの形でストック・オプションをもらう。したがって、自社の株価が上がれば、それだけ社員全員が儲けられるということになる。

Wall Street Journal紙によると、Microsoftでは、2000年には社員平均40万ドル以上(約5000万円)をストック・オプションで稼いでいたというから、驚くべき数字である。米国の場合は経営トップがストック・オプションで数億ドル(数百億円)稼ぐなどということもめずらしくないので、平社員レベルではそれほどの額にはならないかもしれないが、それにしても大きな数字である。

ストック・オプションで儲けるためには、株価が上がらなくてはならない。しかし、ここ1―2年はその株価がどんどん低下しているため、せっかくストック・オプションを持っていても、一銭の得にもならない状況が発生している。このため、社員のモラルは以前に比べて低いといわれる。また、現在はハイテク業界の景気がよくないので、これらの企業から、どんどん他社に優秀な人材が移っていくということは、あまり起こっていないが、今後ハイテク産業での景気が回復すれば、これらの企業は人材流出の危険がある。

また、株価が大幅に下がってきたのは、ここ2年ほどの話であるから、それ以前からこれらの会社に勤めていた人たちは、それなりにストック・オプションによって儲けている。ところが最近会社に入った人たちは、ストック・オプションの恩恵にあずかれず、社内で金持ち族と貧乏族の2極分化も発生している。貧乏族のモラルが低くなることは言うまでもない。

株価の低迷は、このようにベンチャー企業だけでなく、既存の大手ハイテク企業にも大きな影を落としており、これらの企業にストック・オプションではない、別な形で社員の成果に報いることを余儀なくしている。

(08/01/2002)


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