シリコンバレーのVisionary、Steve Jobs逝く

 一ヶ月余り前にSteve JobsがAppleのCEOを退任し、今回のコラムは「第一線を退いたSteve Jobs」というタイトルで準備していたら、Appleのウェブサイトに10月5日、「Steve Jobs 1955 - 2011」と出てしまった。彼やAppleに特別な感情を持っていたわけではないが、やはり大きなショックを感じずにはいられなかった。Appleを1976年に創設し、1985年に一度、当時の取締役会から解任され、Appleを去ったが、1997年に再び戻り、今やAppleを株式時価総額で世界最大のIT企業に作り上げた。シリコンバレーで、ここ30余年、最も脚光を浴びてきた人がいなくなってしまった。大変残念としか言いようがない。

 彼の死を惜しむ声は、シリコンバレー、IT業界に大きく広がっている。56才での死は、いかにも早いが、2004年から、すい臓がん、肝臓移植などによるメディカルリーブを繰り返していたので、とうとう来たか、という感じだ。

 Steve Jobsの偉業は、ここシリコンバレーでも、類まれなものと言える。コンピューターが高価で大企業しか買えないようなものだったものを、個人で使うパソコンという概念を導入し、製品化した。パソコンそのものの概念や製品は他にもあったが、1984年に出したMacintosh(通称Mac)は、大ヒットとなり、その使いやすさは、パソコンを本当の意味で、個人ユーザーが使えるようなものにした。その後、JobsがAppleを去った後、パソコンの世界はMicrosoftのWindowsが主流になるが、MicrosoftがMacのような使いやすい、グラフィック・ユーザー・インターフェースを持つWindowsを本格的に出してきたのは、Macの数年後だ。

 Jobsが去った後のAppleは、Microsoftにパソコン市場を席巻され、ビジネスは低迷、もはやAppleは消えてなくなると皆が思った1997年、AppleはSteve Jobsを再び迎え入れた。その後のAppleの成功は、皆知っているとおりだが、若い人達は、このようなJobsの過去をあまり知らないかもしれない。

 Jobsが戻ってきてからのAppleは、それまでのMacでMicrosoftに対抗するのではなく、新しい、コンシューマー・エレクトロニクス分野への進出を果たした。最初はiPod。それまでの音楽携帯端末と言えば、SonyのWalkmanだった。ところが、Sonyはカセットテープではなく、iPodのようなディスクにたくさんの曲を入れる携帯音楽プレーヤー市場への進出に成功しなかった。その間げきをぬって、AppleはiPodを出してきた。そして、iPodが成功する大きな要因となるiTunesという音楽配信サービスをつくり、音楽業界を巻き込むことに成功した。

 iPhoneのときは、それまでの携帯電話の概念をくつがえす、スマートフォンとして、新たな市場を築き上げた。しかも、それまでの携帯電話市場といえば、端末メーカーよりも、通信サービス会社のほうが強い立場にあり、その販売も通信サービス会社にゆだねられていた。それをAppleは、端末メーカー主導に大きく変えてしまった。

 iPadでは、これまでどの会社も成功してこなかったタブレット市場に参入し、今やタブレットの売り上げは、ノートパソコン市場を脅かすまでにいたっている。このようにパソコンからコンシューマー・エレクトロニクス分野にビジネスを広げたAppleだが、パソコン市場をあきらめたわけではなく、Macもじわじわと市場を広げている。

 Macintosh、iPodにiTunes、iPhone、iPadと、次々にヒットを出してきたが、そこに見られるのは、イノベーションによる常に新しいものへの挑戦、リスクをいとわない姿勢だ。そして、人のよく言う、「Steve Jobsは人々のほしいものを知っている」ような製品作りだ。その裏には、Jobsの持つビジョンだけでなく、それを実現するための妥協を許さない姿勢がある。Jobsがビジョンを提示し、それに開発スタッフが応じて製品をデザインする。そして、Jobsは、満足のいかないものに対しては、徹底的に「何故」と質問を繰り返し、妥協せずに製品を作っていく。そうして出来上がってきたのが、これらの製品やサービスだ。そして、もちろん、持ち前の、新しい製品発表のときに見せる、セールスマンシップ、ショーマンシップも大きな成功のキーとなっている。

 多くのCEOが、目先の利益を優先し、イノベーションではなく、コスト削減などによって利益を上げ、自分の得るボーナスを最大にしようとするのとは、全く異なるやり方だ。これが、多くの人がSteve Jobsを好きになる所以だ。日本では、CEOのボーナスが米国ほど短期的な利益にリンクしていないが、それでも最近の日本のメーカーの動きを見ると、、イノベーションによる新しい市場の開拓よりも、コストを抑え、安全運転で利益を上げようとする姿勢が多く見られるのは、大変残念だ。短期的な利益は、これにより確保できるかもしれないが、イノベーションによる長期的な企業の成長と繁栄は、そこからは生まれて来ないからだ。

 これは、日本でも、創業当時のオーナー社長から、サラリーマン社長に代替わりしたことによる面が否定できない。日本でも、松下幸之助、本田宗一郎、立石一真、井深大と盛田昭夫など、多くのすばらしいアントレプレナーが世界的な企業を作ってきた。これらの企業を含め、日本の企業にも、これからは安全運転ばかりでなく、イノベーションによる成長戦略を描き、発展していってもらいたいものだ。

 さて、Jobs後のAppleはどうなるだろうか。これに対する意見は、大きくわかれており、Jobsがいなくなると、Appleのよさは消えていき、普通の企業になってしまう、というものと、Jobsは今後のAppleを持続成長させるための人材とDNAを社員に植え付けてきたので、Appleの今後も期待できる、という意見だ。いずれの意見の人達も、新しくCEOについたTim Cookについての評価は高く、これから出てくる製品ラインにしても、スケジュールはこの先2年くらいは決まっているし、当面はAppleの成長が続くだろうと考えている。その後のことについては、やってみないとわからない、というところが現実だろう。実際、Appleの株価も、JobsのCEO退任発表直後には、5.1%下がったが、その後すぐに回復し、さらに上昇しているし、Jobsが亡くなったというニュースにも、大きな影響は出ていない。

 Steve Jobsは、いわゆるVisionaryと言われた人だ。彼は、「他の人より一歩先を行っている、というレベルではなく、10年先を行っている」と言ったのは、Jobsと一緒にAppleを立ち上げたSteve Wozniakだ。Appleだけでなく、シリコンバレー全体にとっても、このようなVisionaryがいなくなったのは、大きな痛手だ。Steven Jobsのご冥福をお祈りするとともに、今後、彼のようにリスクに果敢に挑戦し、イノベーションで新しい世界を作り出す次の人が、また出てくることを期待したい。

(10/01/2011)


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