今月のレポート


IBMのワトソン、ヘルスケアで実用化へ

 IBMのワトソンをご存知だろうか? 今年2月、米国で有名なテレビクイズ番組のJeopardyで、最も強かった2人と対戦して勝ったスーパーコンピューターの名前だ。もともとはIBMの創設者の名前でもある。Jeopardyについて簡単に説明すると、質問者がある領域に関して、普通の言葉(自然言語)でいろいろと説明し、それは誰か、何か、どこかを当てるゲームだ。

 コンピューターは、ある人についての説明、何かについての説明、場所についての説明をすることは得意だ。インターネットのサーチで、そのようなことを調べる人も多いだろう。ところが、その逆で、普通の言葉で説明されているものが何かを探すのは、とても苦手だ。それを、ワトソンは、見事やってのけたのだ。

 IBMは、もちろんワトソンを単にクイズ番組で勝たせるために作ったわけではない。そこで養われた自然言語処理技術、大量の文章のような非定形データーの分析(最近話題になっているビッグデータ分析)などを、現実の世界でも有効に使おうと考えている。その一つに、ヘルスケアがある。

 ヘルスケアは、オバマ大統領が米国を二分する議論をしてまで改正法案を通したほど、米国にとってはその膨大なコストが大きな問題になっている分野だ。そこに、このワトソンの力を借りようというのだ。その使い方としては、患者の診断、適切な処方に、あらゆるデータを使い、ワトソンに可能性のある病気と適切な処方を助言してもらう。

 医者は通常、まず患者を目で見、問診し、体温や血圧などを測り、それらの情報から病名を推定し、処方する。必要があると思えば、それに血液検査等を加えて診断する。診断を下すには、これまで経験してきた症例や、医学書にかかれていることなどを、頭の中で検討する。これは、まさしくJeopardyで回答者がやっていることと同じだ。

 そこで、ワトソンに同じことをやってもらい、患者の診断と処方に助言をしてもらう。情報として使うのは、問診等の結果、過去の患者の病歴、医学書にかかれているすべての内容、これまでの症例などだ。ワトソンを使えば、2億ページ分の情報を3秒で分析できると言うから、大きな手助けとなる。

 医学は最近特に大きく進歩していると言われているが、日々進歩するその成果をあらゆる診断で活用するには、最新情報をすべて持っているワトソンのようなコンピューターを使わないと、実際には難しい。ワトソンには、この膨大な情報を瞬時に分析してもらい、可能性の高い病気を、その確率とともにリストアップし、適切と思われる処方を提言してもらう。

 まだまだコンピューターによる診断だけに頼るわけにはいかないので、最終的には医者が判断することになるが、医者が判断するための重要な材料を、ワトソンが提供する。高い確率で出てくる診断については、医者と同じものが出てくる可能性も高いが、確率は低くても可能性のある病気について、医者が見落としがちなものをワトソンが見落とさず、その可能性を指摘することは十分考えられ、その価値は高いものとなる。

 今年春の時点で、IBMはこのようなことがワトソンで出来るようになるのは、2年後くらいではないかと言っていた。しかし、最近の発表で、すでにワトソンの実用化例が発表された。会員数3420万の大手医療保険会社Wellpointがワトソンを採用することに決めたのだ。Wellpointは「Dr. Watson」の助言を採用することにより、医者がより的確な診断と処方を行い、医療費が削減されることを期待している。

 最初のシステムは早ければ2012年はじめに稼動する予定とのことだ。稼動当初にどこまでの機能をそなえたシステムができるかはわからないが、将来的には医者がモバイル機器に口頭で症状等を述べると、それに対してワトソンが助言を与える、ということになるだろう。

 Jeopardyで対戦したワトソンは、相当数のプロセッサーを使った、いわゆるスーパーコンピューターなので、まだまだ高価なものだが、これまでのコンピューター技術の進歩を考えると、それがいつの間にか安価に、場合によっては個人が使えるものになる可能性も十分ある。数十年前に私が初めて接した、空調のよく効いたコンピュータールームに入っていた大型コンピューターは、今のパソコンよりも機能の劣るものだった。それを考えると、ワトソンが一家に一台という日も、それほど遠くないかもしれない。

 IBMはワトソンのような、「Grand Challenge」をときどき行う。最初のGrand Challengeは「Deep Blue」で、1997年に当時のチェス世界チャンピオンGarry Kasparov氏を破った。ワトソンの開発には、3−4年と10億ドルにもおよぶ膨大な開発費がかかったと言われている。しかし、このようなGrand Challengeがあってこそ、大きなイノベーションが起こり、世の中の進歩が早まる、というのがIBMの考え方だ。Grand Challengeで成功すれば、IBMの技術力を世の中に示し、そのブランド力の強化、さらに優秀な人材の確保に寄与することは言うまでもない。

 IBMは今年6月、創立100周年を迎えた。コンピューターといえばIBMという時代から、一時は経営危機にも見舞われたIBMだが、そこから再び生まれ変わった企業となった。IT業界はIBM中心の時代から、MicrosoftとIntelの時代、最近のインターネット時代にはYahoo、Google、Amazon、Facebook、またモバイル端末でAppleといろいろな名前が表に出てきた。IBMの名前を聞くことも少なくなったが、ワトソン以外にも、地球をよりよい場所にすべく始めている「Smarter Planet」プロジェクトなど、まだまだIBMの活動には目が離せない。大学を卒業してから15年間お世話になり、シリコンバレーに来るきっかけを作ってくれたIBMに、私も引き続き注目したい。

(12/01/2011)


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