スタッフから

 

最近は、コンサートのときだけの手伝いとなっていましたが、ときどき会うだけでも元気のもらえるスタッフの方々でした。10年間ほんとうにお疲れさまでした。三重の方たちに引き継いでいただくことができ、これも10年の成果ですよね。運動はまだまだ続きます。世界中から原発がなくなるまで・・・・      森口 きぬ

今から、5年前にふと立ち寄った所で、チェルノブイリの写真展をみました。もう終わった事故なのに目の前の写真は、今現在の悲惨な後遺症を映し出していました。事故のとき生まれていなかった子どもたちの病気や死、放射能の恐ろしさとは、まさにこういうことなのでした。それから微力ながら、活動を手伝わせていただいて、何度かのコンサート、写真展を催しました。豊かさと便利さに見えなくなっていたモノが少し見えるようになってきました。ボランティア活動をするという確たる意識のないまま、仲間として受け入れてくださったみなさまに、そしてチェルノブイリの子どもたちにとても感謝しています。ありがとうございました。       松本 桃子

みなさま長いあいだ、ありがとうございました。スタッフそれぞれの事情により、新座事務局は閉めることになりましたが、三重で引き継いでくださいますので、ほっとしています。三重の方たち、よろしくお願いします。チェルノブイリを通して、多くの方々に原発のあり方を考えていただきたいと思っております。      永野 つね

長いようでもあり短かったようでもあるこの10年間でした。チェルノブイリを通して、多くのことを学びました。放射能のこと、原発のこと、環境のこと、世界のこと、命のこと、支援するということ、自分たちの生き方のこと、そうそう子育ても・・・・。ちょっとだけ速度をゆるめますが、これからも支援も運動もし続けます。新しい事務局を担ってくださる三重のみなさん、ありがとう。よろしくお願いします。   向井 雪子

11年前の春、我が家(いずみひと塾)で写真展事務局を引き受けようと申し出たところ、広河さんの“面接”があった。質問はただ一つ。「どうして引き受けようと思ったのですか?」 私の答えは、「原発を止めるために、チェルノブイリの被害の実態を知らせたい」。救援のため、とは正直言えなかった。広河さんは何も言わなかったが、やがて正式に事務局が発足したので「合格」したということだろう。 しかし、始まってみると、活動はきわめて多岐にわたった。それらを、埼玉のオールマイティのパワフル・ウーマンたちは、次々とこなし、コンサートをはじめ救援にも取り組んでいった。私はと言えば、よりいっそう安心して家をあけるようになった。ルスを頼んで、福島、新潟から青森、北海道、九州と動き回った。 10年経った今、チェルノブイリの被害状況は確実に浸透し、常識となった。一方で、救援活動はよりいっそう困難になっていくだろうから本当は、ここで事務局を閉じるなどはできない話なのだ。日本でも東海大地震をはじめとして、原発の大事故はますます近づいている、という危機意識から、今後は二度と再びチェルノブイリのような悲劇が繰り返されないよう、大事故の前に原発を止めることに専念する、と宣言することをお許し願いたい。   東井 怜

広河隆一さんの写真を通してチェルノブイリ原発事故が私たち人間にもたらした重大さを見つめつづけることができました。写真を貸し出すということで、いつもチェルノブイリの悲劇が私の眼前にあり、いろいろのことを教えてくれました。放射能を被曝した子どもたちの苦しみと絶望、住み慣れた村々を追われた人たちの悲しみ、放射能汚染された広大な土地、こういう事実を前に私にできることは何かを考えさせられました。それがチェルボナ・カリーナやそのメンバーであるナターシャ・グジーとの出会いとなり、チェルノブイリ子ども基金を通しての彼らへの支援活動につながりました。さらに考えなければならないことは、原発は私たちの生活を便利にする電気を作っている、ということです。そしてもう一つ、原発は核の脅威をもつくり出しているのです。その核は戦争の武器として使われ、そこでもまた人間の生命を奪います。毎日排出される放射性廃棄物、これを人類は半永久的に管理し続けなければなりません。本当に原発は必要かどうかを判断し行動しなければならないと思います。たくさんの素敵な人たちとの出会いをありがとうございました。三重にバトンを引き渡します。よろしくお願いします。     小林 悦子

先日、10年以上前の新聞記事のコピーが出てきた。光を発する白い玉が点々と写っている。「ホットバーティクル」だ。チェルノブイリ原発事故で亡くなった人の肺に入り込んだプルトニウムが放射線を発している写真。当時受けた衝撃を今更のように思い出した。プルトニウムを胸に無念の死をむかえざるを得なかった人は何人いただろう。なきがらとなって鉛の柩に横たえられて尚、プルトニウムは放射線を発しているのだろう。今も、そして半永久的に。こんなことは2度とあってはならないと強く思った。今日、ラジオを聴いていたら、ドイツの脱原発について話していた。2030年までに19基の原発を全廃する方針を決めたが、それはチェルノブイリがきっかけだったという。国境を越えた放射能が植物や動物を汚染し、それが人間に及ぼすことを知ったドイツは、電力自由化、自然エネルギー促進、節電と、一所懸命に努力している、その努力が大切と・・・。東京電力スポンサー「秋山ちえ子の談話室」を聞きながら私は何度もうなずいた。いつか日本もそうなる。私たちの微々たる努力が地下水のように広がって、多くの人たちとつながって、きっとむくわれる日が来ると信じている。   岡村 ひさ子

 

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