公演主催者からの報告

主催者からの報告、ご覧になった方からの感想をご紹介します。


4/21東京杉並「セシオン杉並」
子ども基金ボランティア●朝生さん


 チケットの販売状況はふたを開けてみなければ分からないという厳しい状況でした。昨年の3倍の客席数ということもありましたが、事故から14年という時間と人々の関心の薄れを感じずにはいられませんでした。
 せめて天気がよければ!と祈るような気持ちも届かず、当日はあいにくの雨空。開場間近には土砂降りになり、昨年の新宿公演もひどい雨だったことを思い出しました。
写真展会場のロビーが予想以上の写真を飾れることがわかり、急きょ写真を増やすことになりました。写真パネルを追加し、過去の救援カレンダーも展示しました。大勢の人が熱心に見入っていました。
 コンサートの事前準備から事務局に来て手伝ってくださった方々、また、当日のお手伝いに駆けつけて手伝ってくださった方々、特に受付や物販は写真展事務局のスタッフの方々に大きな協力をいただきました。
 また、昨年に引き続き舞台の監督・音響・照明をスペース・オルタの佐藤真起さん、笠井さん、加藤さんのご協力をいただき、少ない予算の中で、素晴らしい舞台をつくってくださいました。
 開演後、スタッフのひとりが「ねぇ、奇跡が起こったの?」の声。ほぼ満席の会場にみな驚きと嬉しさでいっぱいでした。ほっとしました。
 遠く長崎から駆けつけた西岡さんの司会も順調でした。直前まで準備に追われた歌詞のスライドも歌とうまく重なり、お客さんの反応も好評でした。広河さんのチェルノブイリ報告は現地の深刻な状況を強く訴えました。昨年よりずっと素晴らしいナターシャの歌声が会場を包みました。日本語のスピーチも心に届いたようでした。
 チケット対策の直前までのマスコミ抗戦、駅貼りポスター・チラシ配り・発送などの情宣のうちどれが最も効果的だったのか、チケットの申し込み・回収したアンケートからは判断できませんでしたが、このコンサートをきっかけに、チェルノブイリへの関心をひろげ救援につなげていきたいと思います。
 救援コンサートの趣旨を多くの方に伝えていく難しさを考えさせられました。反省すべき点も多く、今後の課題を残しましたが、全体として成功できたと思います。協力してくださったみなさま、どうもありがとうございました。


4/26神奈川川崎「中原区民会館」
ストッププルトニウム神奈川連絡会代表●佐藤一子さん

はじめての川崎での開催
 チェルノブイリ原発事故から14年目の4月26日、昨日に続きナターシャ・グジーをむかえ、『チェルノブイリ14周年救援コンサート ナターシャ・グジー「忘れないで!!」』を開催しました。
 今年は、今までのチェルノブイリ救援の企画に関わってくれた、ストッププルトニウム神奈川連絡会の運営委員のメンバーの一人が事務局長を担ってくれる事になり、彼の職場と活動の基盤である川崎での開催となりました。
 これまでの開催は横浜近辺が多く、川崎市に暮らす人達が参加しづらい状況にあり、川崎での開催を決定しましたが、川崎だけで300人前後の人達の参加が可能か、少し不安もありました。しかし、実行委員会には川崎で活動する市民団体や労働組合の皆様が大勢参加してくださり、また昨年のナターシャ・グジーコンサートをきっかけに発足した、チェルノブイリ子ども基金/横浜も協力してくださり、無事成功裡に終える事ができました。
 またナターシャに事前に川崎に来てもらい、労働組合のご尽力で川崎市長を表敬訪問し市長と懇談する事ができました。その後記者会見を行い、各紙がナターシャの写真入りでコンサートの案内を載せてくれました。この記事を見て参加者が増えました。
 当日は雨で心配をしましたが、300名弱の参加があり、ナターシャの歌と、広河さんのスライドで、大勢の人にチェルノブイリの現状を知らせる事ができました。
 救援への寄付等目標の30万をお渡しする事ができ、ほっとしています。
 日本でも、昨年9月に茨城県東海村の核燃料加工工場JCOで起きた臨界爆発事故は、日本で初めての死者を出し、住民の被曝・避難を引き起こす大事故となりました。50基以上ある日本の原発、また3日に一度は神奈川の中を走っている核燃料輸送、そして全国の半分の核燃料を製造している横須賀の核燃料製造工場、また研究用原子炉と神奈川の中でも課題はたくさんあります。これ以上の被害が起きない事を願いながら、今後もチェルノブイリの子どもたちの支援を続けていきたいと考えております。またこのコンサートの参加者から自分たちの会でも開催したいという希望が出ています。来年の15周年は大勢の力で、チェルボナカリーナのコンサート開催が出来る事を願っています。
 実行委員会への参加や様々な形でこのコンサートを支えてくださった皆様に感謝すると共にチェルノブイリ原発事故を考える場を与えてくれたナターシャ・グジー、広河隆一さん、そしてチェルノブイリ子ども基金の皆様ありがとうございます。


5/5埼玉県「丸木美術館」
丸木俊さんを偲ぶ会ゲスト
子ども基金ボランティア●岩城桂さん

 ナターシャが出演するというので、私はその日、初めて丸木美術館を訪れました。美術館は森と小川に囲まれた美しい自然の中にあって、美術館自体、風景画の一部のようですね。
 しかし、何より驚いたのは、美術館が東京からも遠く、不便なところにあるにも関わらず、大勢の人たちが偲ぶ会に参加していたことです。実は、会場に向かうタクシーの中で、この日の偲ぶ会には全国から人がやってくると聞き、恥ずかしながら初めて社会的な関心の高さを知りました。
 こんな私ですが、5月5日に行われた追悼コンサートには何とかすべりこみで間に合うことができました。この日、美術館の外で催されたコンサートは、運良くお天気にも恵まれて、まさに青空コンサート。最初に登場したアカペラ・コーラスグループの歌も、なかなか味があって良かったですし、その後に出演した中学生たちのコーラスも、一生懸命な感じがしてほほえましかったです。この中学校では、毎年遠足で丸木美術館を訪れているらしく、この日は、何年も前にこの美術館を訪れた卒業生もコーラスに参加していました。でも、ナターシャがバンドゥーラを抱かえて登場し、弾き語りを始めた途端、会場全体が彼女のとりこになってしまったようです。観客が暑さも忘れ、ナターシャの歌声にうっとりしている様子がはっきりと伝わってきました。この日、ナターシャはウクライナの民族衣装を着ていましたが、そんな彼女自身も、彼女の歌うウクライナ民謡も自然の中にすっかり溶け込んでいました。コンサート・ホールで聴くのとはまた違った魅力があって、とても素晴らしかったです。


5/15神奈川県横浜市「ギャラリーダダ」
チェルノブイリ子ども基金横浜
代表●鈴村稔さん

◇ 「…会場がですね、狭さもあるし、音響設備もない中で…、まぁ考え方を変えれば、ナターシャと身近に接することができるとか、あるいは、直接お話しをできるという会場は外にはないのではないか」(ギャラリーダダの「あるじ」の挨拶より)
◇ 「皆さん、今晩は。私は、ナターシャです。昨年もここでコンサートをしました。今日皆さんに会えて、とても嬉しいです」(ナターシャさんのなめらかな日本語)
「私たちが忘れがちなチェルノブイリ事故の悲惨さを、ナターシャのコンサートで話を聞き、再認識いたしました。明るく、美しいナターシャが、被曝していることを思うと、心が痛みます」(T.A.)/「生で聞く歌声は感動ものでした。より多くの人に聞いてほしい。そしてチェルノブイリの悲劇を考えるきっかけになればうれしい」(自治労横浜新聞)/「ナターシャさんの歌声とバンドゥーラの音色は、私たちが毎日の生活の中で忘れてしまっていた素朴さと純粋さを思いおこさせてくれました。大変貴重な一時だったと思います」(R.N.)/「彼女と彼女の祖国の為に私たちはどんな事が出来るのでしょうか。初めの一歩、まずはナターシャさんのコンサートに出掛けてみましょう」(I.N.)【参加者の声より】


5/27三重県津市「津リージョンプラザお城ホール」
三重チェルノブイリ被曝児童救援募金10周年企画
代表●宮西いづみさん

 今年の「三重」は、チャリティーコンサートという形ではなく、「三重・チェルノブイリ被曝児童救援募金」発足10周年を記念する企画として取り組みました。三重での10年の活動の足跡の発表、13年にわたる広河隆一さんの現地取材報告、そしてナターシャ・グジーのステージという設定でした。
 この10年間寄せられた募金の10%を運営費に当てる以外はすべて救援金として現地に届けてきた「三重」として、10周年記念企画といってもそれを実施するための特別の財源を確保していたわけではなく、「総会」的なもの、と言いながら、2000円の参加券を売る、という矛盾をかかえての準備でした。記憶の風化、関心の低下の中へあの手この手で切り込んでいくしかなく、従来以上にチケット販売が大変でした。経費削減のために子ども基金事務局の舞台担当者の助言にも目をつむったところもありましたし、市の施設であるホールの使用に関して管理側に最大限無理を言いました。 しかし、どの方々からも意を汲んでくださり、快くお力を貸してくださいました。どうなることかと緊張したチケットの売れ行きも、たくさんの方のご尽力をいただいて、なんとかクリアできました。
 終わってみれば、毎年と同じ、「よかった、よかった」の一言です。
 高校生による素朴な発表も予想外の好評、広河報告の迫力はナターシャのステージとファンを二分しました。そして去年と比すべくもないナターシャの声の伸びは「マイクは不要だった」とアンケートの何人もの回答が証明、さらに彼女の日本語によるメッセージは参加者の心を強く打ちました。
 やり終えて10日、今はまだ肯定的な感想ばかりが胸にいっぱいです。今後のことは、もう少し熱がさがってから冷静に検討しようと思っています。


みんなにお願い
声高に騒がないで
戦争はもうやめて
屋根の上にはコウノトリ
そして世界中に平和を

屋根の上のコウノトリ
巣の中には雛鳥
昼も夜も
巣を守る
屋根の下にはひとりの少女が
幸福を待っている
ニューヨークの人も
ベルリンの人も 東京の人も
みんなお互い信じあって
そして私を信じて

屋根の上にはコウノトリ
屋根の下に幸せが宿り
そして世界中に幸せが宿る


『屋根の上のコウノトリ』より     


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