甲状腺手術後の子どもたちの声 

 チェルノブイリ原発事故から14年が過ぎた今なお、被災地では人々は様々な病気に苦しんでいます。「チェルノブイリ子ども基金」では甲状腺手術後の子どもたちの「現地特別保養」、医薬品支援、困窮家庭にある子どもを日本から支援する「里親制度」など、とくに甲状腺手術後の子どもたちへの支援に力を入れています。
 7月24日から8月5日の間、ベラルーシ・ウクライナから甲状腺手術後の6人の子どもたちが来日。[子ども未来会議](「ありがとう基金」主催)に参加し、チェルノブイリの今なお続く被害について訴えました。その後、京都・奈良をまわり、京都・東京の2箇所で子どもたちの話を聞く会を行いました。このなかには今まで行われた現地サナトリウムでの「日本週間」に参加し、日本の「里親」が支援している子どももいます。
 今回は被災した子どもたちと直接関わっている現地救援団体の職員も来日し、現状を報告し、また、子どもたちを取り巻く状況や被災地の様子などを、32回目のチェルノブイリ取材から帰国したばかりの広河隆一(代表、フォトジャーナリスト)が報告しました。

広河隆一(代表、フォトジャーナリスト)の報告

 5月末から7月末までウクライナとベラルーシに行っていました。チェルノブイリの事故では関係者らが全て急性放射線障害はなかったと発表していました。被災者一人一人の家を訪問し、初めて事故で何が本当に起きているのかが分かる状況です。2年前から、放射能の汚染により消えた村をひとつひとつ訪ねて548の村を記録しました。チェルノブイリの被害はそうした村の喪失と、健康上の被害があります。公表されるのは政府の発表だけで、実際に一人一人の症状がどういったものなのかは表に出ませんでした。
 甲状腺手術後の子どもたちは、抵抗力をつけ、生きる希望をもつことが大切です。「みながあなたたちを支えている、あなたたちは一人ではないんだ」と励ますことが一番です。医者の治療よりも、一般の人たちの手紙がはるかに励みになることがあります。
 当初、私たちは成功するのかどうかわからないまま、おっかなびっくりドイツの療養所で十人の甲状腺手術後の子どもたちの保養をはじめたのですが、その結果が非常に良かったので、少しずつ自信を持ちはじめ、拡大していこうとしました。しかし外国での保養は、そのための経費がかかるので、保養できる子どもたちは少なくなってしまいます。そこで、現地で多くの子どもたちを保養するためのサナトリウムの運営と建設に着手しました。
 ベラルーシではミンスクから北西80キロ離れた森の中に建設しました。私たち日本とドイツとベラルーシで運営されています。日本は夏季の保養費の全額、他の時期の高濃度汚染地の子どもの保養費の5%を受け持ち、他に医療機器・音楽、コンピュータ、陶芸教室など援助しています。ウクライナでは黒海のほとりにサナトリウム「南」を建設し、昨年「子どもの家」、今年は宿泊施設を新築しました。ここで毎年夏にウクライナの甲状腺手術後の子どもたちの「特別保養」を行なっています。放射能に汚染されていないきれいな空気の中で過ごすサナトリウムでの保養は子どもたちの健康に大きく役立っています。
 しかし、事故当時からの避難民や今でも汚染地に住んでいる人を訪ねてみると、問題は深刻です。ウクライナの「チェルノブイリの家族の救援」には約3000家族、約1万人の会員がいますが、体の異常を訴える人がどんどん増えています。例えば、強度の喘息で今までに仮死状態になったことが既に三回もあり、保養のために外に出ることも出来ない女の子がいます。部屋の中に加湿器のようなものが一つあれば彼女はずいぶん楽になるのですが、その家では家賃さえ払えないという状態なのです。事故当時、土曜で天気が良かったので、プリピャチの川岸では彼女を含めたくさんの家族がピクニックをしていました。そのほとんど全員が病気になっているのです。
 7年前に、私たちは姉妹団体などとチェルノブイリの2万5千人の避難民の健康調査を行いました。今あらたに、どんな状態であるのか調査を始めています。私たちの救援には限りがあるけれども、実態であきらかにし、助けなければならない子どもを把握したいと考えています。事故から14年半経ち、事故当時の子どもがあと数年経てば「子ども」ではなくなるため、「子ども」を救援する仕事もなくなっていくのではと思っていたが、残念ながらそういうことはありません。次の世代の子どもたちから現在大変な病気が進みはじめているのです。事故処理作業員の子どもたちで救援の対象にしなければいけない人が急増しているというのが現在の状況です。
 チェルノブイリ原発3号炉はまもなく閉鎖されると言われていますが、そこで働き続けている人達にも病気はすざましいものです。つい最近、チェルノブイリ原発周辺が冠水しました。その時に原発周辺の汚染された土壌がプリピャチ川からドニエプル川に流れてしまいました。おそらく水道水などがかなり汚染されたと考えられます。
私たちの活動には限りがありますので、甲状腺を手術した子どもにターゲットを合わせて、保養をさせたり、薬を送ったり、早期発見を目的とした医療器機の支援などを行ってきました。小さな組織ではありますが、甲状腺の病気の子どもたちを助ける分野では世界で最大の組織になっています。しかし、私たちの力はどんどん先細りになっているという状況です。
 病気の子を日本に呼んで保養させる、ということは1992年以来私たちはしていません。今回の子どもたちは日本で保養するためではなく、「子ども未来会議」参加するために来日しました。会議の場で自分の事をきちんと話せる子どもを現地救援団体に選んでもらいました。ただ、自分の病気を知っていても、人に知られることは、たとえ友達でも嫌だという子どももいます。周りの人には自分がチェルノブイリの被害者であることを言いたくないのです。この間京都で報告会がありました。この子どもたちはそこではじめて自分の病気のことを話したのではないかと思います。子どもたちは勇気を持って自分たちの言葉で訴え、他の子どもたちを助けようと参加しているのです。


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