モスクワ便り

РАДИО МОСКВА / RADIO MOSCOW


 束の間の夏が去り、ロシアには駆け足で再び秋、そして冬が近づいています。9月も前半というのに、天気予報を見ると、北の方には予想気温の前にマイナス記号が並び出しました。例年、10月のはじめには、ここモスクワにも雪が舞います。
 ところで、今年もロシアの夏、とりわけ8月は事件や事故の連続でした。ここ数年、ロシアの8月は、平穏には過ぎ去りません。日本でも大きく報じられたように、今年はモスクワ都心での爆破テロと見られる事件、バレンツ海での原子力潜水艦の沈没事故、さらには、モスクワのテレビ塔の火災が立て続けに起こりました。
 中でも潜水艦の事故は、その後のロシア政府の対応とあいまって、ロシア国内にとどまらず、世界的に大きな波紋を広げることになりました。そして、ロシア、あるいは旧ソ連諸国全体が抱える問題をさらけ出すことにもなったと言えます。
 それは、まず何よりも人の命があまりにも軽く扱われるということです。軍最高司令官の大統領が直ちに現場に急行せず、休暇を続けたこと(ただ、経済問題などについては協議していた)、そして、軍上層部の対応に非難が集まりましたが、これは要するに、はじめの段階ですでに全力で救出にあたる「価値」がないと判断された、生存者がいても僅かで、しかも助けられる見込みは薄いとの判断が働いたためと見られます。結局、アフガニスタンやチェチェン、あるいはチェルノブイリに送られた兵士たち同様、乗組員は118つの駒に過ぎなかったということです。当局が、当初、乗組員名簿の公開を阻んだのも、彼らが一人一人の「人間」となることを恐れたためかもしれません。悲しいことですが、戦争と粛清の繰り返しであったこの国の歴史を考える時、やはり10年ほどの年月では、人々はその過去の呪縛から自由になることはできないのだと痛感します。恐らく、今回の政府の対応については、判断にミスがあったというより、あのようにしか出来なかった、というのが実際のように思います。
 しかし、この10年ほどで、確かに変わった面もあります。今回の事故をめぐって、ロシアのマスコミは、いまだかつてなかったような規模で、かつ露骨な形で政府の対応を批判しました。当局側も、かつて同様、公開を拒むという閉鎖性ははっきりあらわにしましたが、一方で報道内容に直接の規制をかけることまでは出来なかったようです。こうした状況を見る限り、チェルノブイリの事故の際あったような報道の統制を今のロシアで行うことは、もはや不可能に近いと感じます。
 ところで、今回の事故をめぐって、日本をはじめ外国メディアは、抗議する遺族に口封じのため注射を行ったというシーンをセンセーショナルに流しました。これは、もちろんロシア国内でも報じられたのですが、個人的には、あれが本当に口封じだったのかは、検証の余地があると思います。口封じにしてはお粗末すぎますし、何より、あの場で黙らせても意味があるとは思えないからです。日本の報道では、その部分だけが繰り返され、前後関係が不明なのも問題です。むしろ、マスコミ全体が無批判に「売り物になる」センセーショナルな部分ばかりを横並びに報じる日本の状況の方が、「全体主義的」では、と危惧します。
 今、外国のメディアにもっと扱ってもらいたいと感じるのは、ロシアのマスコミが大きく報じない部分、チェルノブイリや数々の事故の経験を経て、なおかつ、事故に際してもきちんと対応できない国が、原潜や核兵器に依存し、また、大量の天然資源を輸出・消費する一方で、再び原子力に回帰しようとしている現状です。特に日本は隣国として、また、数少ない原子力推進国同士として手を結ぼうとしているのですから、この問題はもっと真剣に取り上げられてしかるべきではないでしょうか。

(モスクワ・平野進一郎)

 モスクワ放送でご活躍中の平野さんの声はラジオのほか、http://www.vor.ruで聞くことも出来ます。興味のある方は是非どうぞ!
 また、夏期休暇で一時帰国した平野さんは休暇の合間に子ども基金にボランティアとして来てくださいました。紙面にてあらためてお礼申し上げます。


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