モスクワ便り

РАДИО МОСКВА / RADIO MOSCOW


 モスクワでは毎年3月8日の「国際婦人デー」を迎えると、ようやく春の始まりをはっきりと意識できるようになります。日の長さも毎日約4分ずつ長くなり、太陽も真冬のような弱々しい姿ではなく、眩しく暖かな光を大地に注ぐようになります。ロシアをはじめ、旧ソ連諸国では、「国際婦人デー」は今も大きな祝日で、一般に男性は女性に花を贈ることになっています。このため3月8日の前日や当日には、普段でも多い花屋や花売りが更に町中に増えて、男性も女性も大小様々な花束を手に通りを行き交い、町全体が華やいだ雰囲気に包まれます。(ちなみにロシアでは、今年から、「男性の日」である2月23日の「ロシア軍の日(祖国防衛者の日)」も旗日となりました。)

 ただ、この冬は、ロシアらしくない冬で終わろうとしています。1月の頭にマロースと呼ばれる第1級の寒波がやってきて、皆が厳しい冬を覚悟した途端、腰砕けになってしまいました。その後は一番寒いはずの時期に気温がプラスに転じるような有様で、「暖冬」です。3月8日を前に気温もプラス10度近くまで上がって雪も殆ど融けてしまい、すでに木々の芽もだいぶ膨らんでいます。

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 さて、こんな風にせっかちに今年の春は始まりを告げていますが、この春が今度は「初夏」に姿を変えようとする頃、再び4月26日のチェルノブイリの日がめぐって来ることになります。しかし、残念ながら、ロシアでも今年の4月26日にどれだけの人が「チェルノブイリ」を意識するか、甚だ心もとないと言わざるを得ません。2000年末の原発の閉鎖と昨年の15周年が過ぎて、この問題に対する意識の「風化」が急速に進んでいるような気がします。新聞などマスコミで「チェルノブイリ」が扱われることも減ってきていますし、扱われても、以前のような「熱を帯びた」ものではなくなっています。総じて、「チェルノブイリは過去のものであり、しかも、思ったほど重大なことでもない」という空気がじわじわと広がっていると感じます。

 例えば、最近やや目に付いた「チェルノブイリ」関連の報道としては、国連がまとめ、先日公表された、チェルノブイリ対策の「報告書」をめぐってのものがあります。その報道の内容は、報告書の内容をなぞったもので、概ね「チェルノブイリの被災者支援は、初期の緊急対策的な段階を終え、被災者の自立支援に重点を置くべき時を迎えている」というような内容です。それ自体は、確かに「正論」とも思えるのですが、しかし、その内容には至る所に重大な問題点があります。

 まず、2月22日付けの「イズベスチヤ」紙は、国連の現地代表者たちへの取材を元にした記事を掲載していますが、その論点をまとめると、1)「チェルノブイリ」の問題は心理的問題であり、自分たちの問題を自分たちの手で解決できるようにして、やる気を起こさせるため、被災者対策の主導権は、(外国の人たちではなく)現地の人々が握るようにすべきである(つまり、外国からの支援が被災者を堕落させているから、これを排除する必要がある)。2)チェルノブイリによって生じた実際上の危険は、小児甲状腺ガンの増加のみ。これも「ヨウ素入りの塩」を使うことで克服できるはずなのに、実行されていない(そのため病気が増えている)。3)国際社会が「チェルノブイリ」に関与し続けるのは、それが唯一の大規模な放射能汚染事故であり、今後についての「知識」を与えてくれるからである、ということになります。また、2月15日の「独立新聞」は、ミンスク発の記事で、チェルノブイリの「ゾーン」はすでに危険性が薄らいできており、逆に16年の間に手付かずの自然が回復しているので、これを観光資源として利用すべきであり、「ゾーン」を危険な土地として扱いつづけることは、現地の復興にとってマイナスに作用する、という内容を報じています。

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 一方、これらに先立って、1月8日付けの「ウクライナ・プラウダ」(インターネット新聞)は、「チェルノブイリ被災神話の終わり」という題で英紙「オブザーバー」の記事の翻訳を掲載しています。その内容も、国連関係者などの話しを元にした、「(被曝による)医学的影響は、考えられていたよりずっと小さなもの」で、むしろストレスと被災者支援の害の方が大きいというものです。その要点は、1)移住政策が社会の崩壊やストレスを招いた。また、被災者への人道支援が、何百万もの人間を骨抜きにした。2)被害者といえるのは、事故当時に働いた処理作業員と小児甲状腺ガンの子どものみ。白血病や、その他の障害の問題は事故とは無関係。それらが増えているというのは、「募金集めのため」の宣伝に過ぎない。3)汚染地からの避難は全体として過剰な措置であり、「益よりも弊害のほうが大きい」。そのストレスで病気が増えている。4)被災者への慈善活動が「破壊的な悪影響」を及ぼしている。被災者たちは、年金や様々な特典を得ているが、彼らは他人が自分たちのために何かをするのが当然だと考えている、ということです。

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 こうした報道は、どれも、現地の「被災者」と「支援」の問題を論じているにもかかわらず、何故か、支援をしている側、そして、それを実際に受けている側の「声」というものが一切触れられていません。しかし一般の読者がこれらの内容をそのまま受け取れば、実は被害はたいしたことがないのに、「援助者」と「被災者」が共犯関係で事態を故意に悪化させているのだ、という風に理解されかねないでしょう。確かに、一部には、「正しい」側面もあるのかもしれませんが、だからといって、それが全てであるかのように論じて良いということにはならないはずです。こうした報道が繰り返されることで、「被災者」に対する視線がどのようになるかは、想像に難くありません。それによって生じうる不当な不利益、例えば「ストレス」に対する責任は誰が負うのか、ということも問題になるでしょう。そもそも、ストレスはヒトが普通は五感で感じることが出来ず、きちんと解明された訳ではものが相手なのですから、例え「ストレス」が病気の直接的原因であったとしても、不安やストレスを感じるな、というのは事実上、無理な注文です。「ストレス」も含めて「チェルノブイリ」と考える方が実状に則しています。これは仮定の話しにしかなりませんが、避難は不要だと言われるまま、そこに残ったとしても、やはりストレスを感じない生活は有り得なかったはずです。こうしたことは、少し考えればすぐに分かることなのですから、権威ある「国連」の声だけを、あたかも「真理」であるかのように世に広めるのは(広めさせるのは)、何らかの意図があるのではないかと勘繰りたくなります。

 16周年のこの春、どのような論調で「チェルノブイリ」が世界で扱われるか、注意深く見守る必要があるように思います。

       (モスクワ  平野進一郎)

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