現地救援団体紹介

<前号からの続き>


チェルノブイリのサイン (ベラルーシ・ミンスク)

 チェルノブイリ原発事故の悲劇から10周年の1996年4月26日にミンスク市で設立されました。団体の名称はすぐに付いたわけではありませんが、事故の悲劇の結果として、私たちの子どもたちの首にできた手術の傷跡から名付けました。団体の創設・発起人となったのは、代表を務める手術をした子どもを持つ母親です。

 この団体は非政府、非政治的、非営利団体であり、甲状腺ガンや甲状腺腫の病気に苦しむ人たちの権利や法的利益を守るため、また社会的、医学的、人道的援助を行うために創設されました。全国各地に住むチェルノブイリによる障害を持つ子どもを抱える170の家族が加入しています。

 1986年4月26日から5月31日の間にミンスク市およびミンスク州に在住の子どもたちを襲った甲状腺ガンが、原発事故と関係しているのだと公表されたのは事故から10年後のことでした。この時までミンスク市とミンスク州は「汚染されていない地域」とされていました。しかし、国立甲状腺腫瘍センターの学者や医師の報告によると、ベラルーシでは1990年から1998年の時点で16歳までの子どもの甲状腺ガンの発病率が非常に高くなっています。この報告に基づき、ミンスク市とミンスク州はゴメリ州、ブレスト州に続き第三の発病増加地域となりました。1996年7月に「チェルノブイリ原発の悲劇による住民の社会保護の法律(91年2月22日制定)」が改正され、居住地域にかかわらず、甲状腺ガンまたは甲状腺腫の診断を受けた子どもたちはチェルノブイリ原発事故の犠牲者であるとみなされるようになりました。しかし、我が国の予算には限りがあり、法律で規定されているからといって、その援助と年金を必ずしもきちんと受けられるわけではないというのが実情です。

 チェルノブイリ原発事故のような科学技術による環境破壊的な悲劇は人類が始まって以来のことです。ヨーロッパにとっても避けて通れないものです。事故直後の数年間は、多くの西側諸国が最も被害を受けたベラルーシの援助の呼びかけに応えてくれました。人道支援の物資が届き、国外ではチェルノブイリの12〜16歳の子どもたちを保養に招待する社会団体が創られ始めました。私たちもスウェーデン、オランダ、イタリア、ドイツなどの海外での保養やイギリス、ドイツ、オランダからの物資支援のパートナーを持っていました。

  2002年4月26日はチェルノブイリの悲劇の16周年です。手術後の子どもたちは長い治療とリハビリが必要です。多くは思春期を迎え成人となろうとしていますが、残念ながらこの問題は国外の人々に関心は持たれていません。国内であってさえ、チェルノブイリの惨事に対する関心は実質的に消えています。このようなことは私たちの団体の活動にも影響しています。国外のパートナーの数は減っています。現在、国外に3つの人道的支援のパートナーを持っていますが、そのうち2つは活動が困難で1年前から活動を休止しています。そのため私たちは新たな国外のパートナーを探し、新たな人道支援のプログラムを組まなくてはなりません。

 甲状腺の検査を受けた子どものうち、約半数の子どもたちは甲状腺をすべて除去しなければならない状況です。更に子どもたちは一生ホルモン治療を受けなければなりませんし、再三に渡って精神的打撃を受ける放射性ヨード治療に耐えていかなければなりません。また、放射性ヨードの薬剤を購入すべき保健省が財政的に不十分なため、子どもたちが治療を受けられるまで時間がかかります。そのため、常にガンの転移におびやかされている子どもたちの健康は更なる不安にさらされています。  

 甲状腺は人体のすべての組織の成長と作用をつかさどるホルモンを分泌する器官です。甲状腺をすべて切除された子どもたちは、血液検査を受け、必要なホルモン剤を正しく投与されなければなりません。しかし、ベラルーシでは血液検査に必要な薬が頻繁に不足するため、血液分析が実質的には行われません。ほとんどの場合は、ホルモン剤のL-チロキシンの投与量は年齢・体重・身長によって決められます。子どもがアクサコフシナの放射線医療センターにガン転移の可能性についての検査を受け入院する際、医師が子どもたちに体調について尋ねると、子どもたちは興奮しやすいことや、記憶障害、胃の痛み、頭痛、視力の低下、全体的な虚弱などを訴えます。この問診によって、副次的な症状が主要な病気として診断されることもしばしばあります。

 私たちの子どもたちは「危険な世代」と呼ばれています。しかし、真実を学んでこれと共に生きる事が必要です。「チェルノブイリの子どもたち」についての真実がどれほど恐ろしいものであろうとも、その真実は知ろうとしなければなりません。

 私たちの団体はたくさんの問題を抱えており、そのいくつかを解消するために、日本のパートナー、特にチェルノブイリ子ども基金と協力しています。 「チェルノブイリのサイン」は日本の子ども基金が、チェルノブイリの悲劇によるベラルーシの住民の苦しみを日本で広く訴え、チェルノブイリの子どもたちに対する援助してくださることに感謝しています。そして、日本のみなさまが私たちの問題に関心を持ってくださることに感謝し、これからもこれらの問題の解決に向けて経済的支援を含めた援助をしてくださることを望んでいます。

「チェルノブイリのサイン」代表 チーボノヴァ・タチアナ、実行委員 ナゴルナヤ・リリア


子ども基金が事務所に支援したパソコン

★子ども基金のコメント 子ども基金はこの団体の甲状腺手術後の子どもたちをサナトリウム「希望21」での保養に招待したり、困窮家庭にある子どもたちを「里親制度」により支えています。ほかに事務所の家賃や電話代、スタッフの給料、甲状腺手術後の子どもたちに必要な医薬品やビタミン剤などの医薬品を支援しています。2001年からは甲状腺手術後の青少年のための支援として奨学金制度を開始しました。

ニュース目次へ