現地訪問報告
(5/21〜30)


 現地救援団体との間で山積している、Fax等のやり取りだけではどうにもならない問題を解決し、現地の実情を把握するために、急きょウクライナへの渡航が決まった。昨年の9.11テロ事件以降、飛行機の本数が減ったため、往復ともフランクフルトに1泊しなければならない。また、ワールドカップを控えて帰国便はウェイティングのまま出発となった。

 医薬品で半分埋まったスーツケースと救援金を懐に緊張を持ってのウクライナ入国だったが、思いがけず速やかにすんだ。

 とても美しい5月のウクライナの街並みを窓越しに、子ども基金のキエフ事務所のあるリハビリセンター(下の写真)に向かう。リハビリセンターには、子ども基金のキエフ事務所のほか、リハビリのための絵画・刺繍教室、チェルボナカリーナの練習室、医療センター、救援団体「家族の救援」の事務所、昨年10月から開始した日本語教室、コンピュータ教室、遠方から検査にきた子どものための宿泊施設がある。ここの責任者はサスノフスカヤさん(基金ニュース48号参照。今回も彼女の家に民泊)と、日本語教室の教師もしている今回の通訳を依頼したユーリャと打合せ。

 今年、6つのグループの子どもたち合計300人の保養を受け入れるサナトリウム「南(ユージャンカ)」での保養について、事前に受取ったリストどおりの子どもたちが来ているか確認すること、参加する子どもたちとの面談で支援が必要な子どもを探すことなどを再確認。

 また、昨年から開始した奨学金制度について、例えば、病気(甲状腺手術後、または重い病気)だけど、それほど経済事情が悪くはない場合、経済状況は悪いけれど病気ではない子ども、病気の場合は成績があまりよくないなど、どの子どもを優先で候補に挙げるべきか混乱している。条件を緩和する提案(例えば他の団体で、経済状況が悪い上に、両親を失った子がいた。成績がとても優秀と言うわけではなかったが、例外的に支援)をした。チェルノブイリ被害者手帳をもっていれば「甲状腺手術後・重い病気」の条件を外していいのではという提案も受けたが、それは外したくないと伝えた。

 翌日はリハビリ室を支援(ニュース47参照)した放射線医療センターへ。ここの小児内分泌病棟部長バヤルスカヤ医師が責任を持って選ぶ子どもたち50人も今年「南」での保養に参加する。彼女によると、事故から16年が経ち、思春期を迎えた子どもたち、青少年が子どもを産むことに不安を持っていること、無事出産しても、病気になったら自分のせいではないかという精神的なストレスを抱えていることなどが大きな問題だという。また、将来の夢があっても、一生薬を飲みつづけ、定期的な検査が必要な病気によって、甲状腺手術後の子どもたちは生活そのものが制限されている。精神面での支援が必要だが、ウクライナにはそのような状況にないという。また、汚染地に住む子どもたちは、検査のためにセンターまで来る交通費がない。医師が行くことがあるが、経済的な理由から頻繁には行くことができない。

「公式的」には汚染されていないとされる地域でも汚染された草を食む牛からのミルクを飲まざるをえない人々がおり、彼らの体内のセシウム値は高い。今年の夏、汚染地の病気の子どもたちを「南」で保養できることは大事だという。昨年秋に支援したリハビリ室には生まれつき甲状腺がないという子ども、汚染地から治療に来ている子どもたちも一生懸命参加していた。

 その後、センターに戻り、日本語教室では、子どもたちの真剣なまなざしにはっとさせられる。夕方、キエフ発の夜行に12時間揺られて「南」へ。24日は子どもたちの受入れを前に地区の委員会が調査する最後の日。今まで何度も委員が視察し、衛生や防火、子どもたちの安全など様々な項目を調査し、改善を勧告している。私は子ども基金が支援をした2つの建物やシャワー、ボイラー設備を中心に、修理の要望の上がっている個所を確認した。お湯がきちんと出ること、栄養のある充分な食事を出すことを話し合う。

 翌日は再びキエフ事務所で何人かの里子と奨学生と一時的に緊急に支援した家族と会う。緊急支援をしたある家族の母親は、夫とは離婚し、病気の3人の子ども抱え、成人した娘と自分が工場などで働き生計をたてている。何度も政府などへ訴えたがしりぞけられ、思いがけず日本からの支援が決まり、びっくりしているという。その後、救援団体「子どもたちの生存」との会談。クリミアでの保養の参加する子どもたちと期間の最終確認と日本からの支援金を、銀行や会社に支払ったの書類を確認する。その後、刺繍教室と「チェルボナ・カリーナ」の練習などを見学。刺繍教室ではカリーナの衣装を縫うこともある。

 救援団体「家族の救援」とは、医療センターの利用状況と問題、各リハビリ教室の状況、「南」の修理代の支援、保養費の支払、リハビリセンターの利用契約の更改など打合せと交渉。日本にきちんと報告すること、保養中に子どもたちに面接すること、修理代を全額日本が出すことは絶対しない、保養費の追加の支払はできない、リハビリセンターの経費を五月雨式に払うこともしないなど主張する。途中、医療センターを視察。このセンターに来る子どもたちの、特に女性機能の未発達が問題になっているとセンター長リュドミラは子どもたちのリストを指して言う。

 翌27日は今回はじめて会う救援団体「ニガヨモギの花」を訪問後、内分泌研究所、「家族の救援」との残りの問題打合せ。「ニガヨモギの花」はいわゆる圧力団体。被災した子どもたちの権利を政府に認めさせることが主な目的としている。事故から16年経ち、ウクライナ政府や国連等の国際機関は「チェルノブイリはたいした問題ではない、公式な統計はない」という。だが、彼女たちは身をもって被害の実情を知っている。以前は老人にしかなかった病気が、若い世代に増えている。この「ニガヨモギの花」と子ども基金は直接の協力関係はないが、ここの団体の甲状腺手術後の子どもたちは病院を通じて日本の子ども基金からの医薬品を受取っている。日本におけるヒロシマ・ナガサキの被爆者への補償に高い関心を持っていた。

 内分泌研究所へは甲状腺手術後の子どもたちのための医薬品Lチロキシンを支援し続けている。今回は副甲状腺も摘出した子どもたちに必要な医薬品ロカルトロールを持参。この研究所はウクライナの多くの甲状腺手術後の子どもたちを検査、治療している。日本から支援した、手術後の子どもたちに必要な医薬品は、ここでの検査によって服用量が決められ、配られる。

 「放射性ヨード治療を受けている子どもたちに会いますか」と聞かれる。被曝することを心配してのことだ。6週間前に甲状腺の手術をした、事故後に生まれた13歳の子どもが入院中だった。6日間の入院で75ミリキュリーから125ミリキュリー被曝するという。ここの医療スタッフは、放射能バッジをつけ、被曝量を測るようにしている。子どもたちが過ごす部屋の前には中に入らなくても様子が分かるように小さなモニタが設置されていた。部屋に入ると被曝するからだ。

 キエフ事務所に戻る前に、緊急支援をすることになった家族を訪れる。今年1月に亡くなった夫は、自分が重い病気であることを家族に伏せていたようだ。妻はチェルノブイリの事故処理作業員だった夫の死はチェルノブイリと関係があると考えている。彼女も糖尿病を患っており、昨年足を切断している。事務所では保養中に「南」でコンピュータを教える先生に会い、保養における子ども基金の方針と約束について説明。「家族の救援」と「南」の修理代とリハビリセンターの契約書の更改について最後の打合せ、絵画教室の問題点と希望を聞く。昨年日本から送った画材や材料が大切に使われている。翌28日にキエフを発ち、30日朝に関空着で事務所に戻った。短期間の滞在であったが、多くの問題の中、核事故の被害を隠ぺいしようとする動き、大人になろうとする年代の子どもたちの持つ深刻な問題、連綿と続く放射能の影響に対して、子ども基金の今後の活動を深く問われる思いに囚われた。

(事務局 松田奈津子)

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