チェルノブイリ報告〜チェルノブイリの証言


N・イリーナ(17歳、ベラルーシ) 「いつも薬を飲んで、病気が中心の生活」

(C)広河隆一

―イリーナはどんな子どもでしたか。

イリーナ(以下I):とても静かでおとなしくて、絵を描くのが好きでした。

―ひとりで描いていたの。

I:ひとりの時もあるし、友だちと一緒におしゃべりしながら描くこともありました。特に自然を描くのが好きでした。

―イリーナのお父さんは何の仕事をしていましたか。いつ亡くなられましたか。

イリーナの母(以下母):彼はとても家庭的な人でした。夫を愛していました。原発関連の会社で働いていました。当時、街にある仕事はそれだけでしたから。健康によ くなかったと思います。意識を失ってから、すぐに病院へ運ばれたのですが3日目の朝に亡くなりました。1998年、3年半前のことです。

―その時イリーナは何歳だったの。

I:15歳。その日のことはよく覚えています。きっとお母さんは私に説明しても分からないだろうと思ったのでしょう。詳しいことは聞かなかったけれど、お父さんが病気で死んだということは分かった。

―それは、もう手術をした後だったの?

I:手術は12歳の時、1996年です。

―手術を受けなければいけないという話は突然のことでしたか。手術をすると聞いてどう思いましたか。

I:ただ、怖かったというだけ。まだ何が何だかよく分かっていなかったし、お医者さんも事前に説明してくれなかった。お母さんはとても難しいことだと言っていました。手術は数時間だったけれど、とっても怖かった。将来の健康なども不安です。今、いつも薬を飲んで、病気が中心に生活がまわってます。

―お父さんはその時どう思われましたか。

母:夫は突然の手術に動揺していましたが、何かよからぬことが娘に起こるのではないかと予感はしていたようです。手術のせいで、進学や仕事に何らかの制約がかかってしまうのではと心配していました。

―手術の後、問題はない?

I:毎日飲む薬のせいか、心臓の調子があまりよくないです。心臓に負担のかからないよい薬があればと思うのですが…。飲んだ後に、めまいと腹痛がします。

―薬は簡単に手に入りますか?

I:ある程度までの薬は。Lテラキシンはミンスクの救援団体(チェルノブイリのサイン)が配ってくれるけど、18歳になったらもらえないので、どうしようか困っています。

母:食料や家賃などの生活費さえ困っているのに、薬を買わなくてはならないなんて…。家に水道は引かれていませんし、時々、停電も起こります。生活を維持していくことがたいへんです。

―今、一番したいことは?

I:大学でいろいろな文化の勉強がしたい。けど、入学希望者はとても多くて、競争率は激しいし、学費も払えない…。

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