6月現地訪問報告(番外編)

みやにしいづみ


《気になっていること》

 今回は1度もコウノトリに出会えなかった。その巣も、明日帰るという日になって、やっと、1個みつけただけ。「たまたまですよ」、と現地の方は言われたが、そうだろうか?人間共がどう取り繕っても、あそこはもう行きたくない、棲めないよ、とコウノトリたちがささやき交わしている声が聞こえる思いがした。現地訪問は3度目。最初は5月、2度目は夏。そして今回は6月。どれもコウノトリがこの地に飛来している時期。行き先もほとんど同じ。

 1度目から2度目へ、コウノトリの姿は少なくなっていた。そして今回ゼロ。思い過ごしだろうか? しかし、人間よりはるかに本能的に鋭い彼らの判断選択に不安をかきたてられた。

《汚染隠し?》

 事故炉周辺。汚染地への案内経費は、高くなっていたが、反比例して(?)「入りやすく」なっていた。汚染地入り口でのチェックも、注意事項も無きに等しかった。管理事務所の2階で汚染地の現状を聞く、という従来のプログラムも無く、1Fの食堂で食べきれないほどの昼食をだされただけ。その費用は汚染地案内と別徴収。地区内のあちこちに立てられた測定器をつけた杭にはポリ袋がかけられ、それにほこりが積もっていた。つまり、放射能測定なんぞは、もうしていない、ということ。

 一方、「新しいプロジェクト」のため、いくつものプラントが稼動し、働く人々の姿があった。新しいプロジェクトとは、事故炉にステンレスの半円形ドームをかぶせて、その中で残留物の処理をする、という。現状では雨水のために汚染が地面にしみこむから、と。何を今さら、の感。ドームの中で何ができるのだろう? 成果の見込みよりも雇用の提供? それよりも、ここはもう汚染地でない、という国際的PRの準備? 予想されていたことだが、この地が観光資源になっていく確かな予感。

《被曝後遺症の無視》

 事故から18年、1歳で事故に遭遇した子も19歳、結婚し、親になりつつある。彼らはもう「子ども」としてカウントされず、被害者の統計数字は減少していく。そのことが、被害の消滅であるかのように語られる。大人になったかつての被曝児から生まれる子どもの異変。それを無視したい当局。汚染地にある州立病院の医師が、子どもに本来ないはずの病気の増加を事故との関連を立証する統計がない、と言い切った。

 1歳の子どもの子宮頸がん、2歳の子どもの卵巣がん・・・・小児婦人科が設置されたということは、稀有な発症ではないことを意味している、と訪問者でさえ、察しがつくのに。「この国」は、もうチェルノブイリのことを国家的「負」として、言われたくないのだ。

 そんな風潮の中、被曝者の「見捨てられ感」は募っている。頼るは、外国からの支援。こちらの力量に比して、過剰な期待を受け止めるしかなかった。

《救援》

 救援する者とされる者とが存在することの理不尽を容認したままでする救援は、される側の人たちへの侮辱だと思い続けてきた。その理不尽を覆す力がないならば、どうすればいいのか。

 今回も各地で、ヒロカワは私の家に泊まってくれた、ヒロカワはこれをおいしいといってたくさん食べた、ヒロカワは寝ないで一緒に酒を飲んでくれた・・・・とたくさん聞かされた。救援される側の人たちに、常に寄り添い、共に涙し、怒りしている広河さんの姿が目に浮かんだ。広河の支援なら、屈辱感なしに受けられる・・・・彼らがそういっているように感じた。私たち、どこまでできるだろうか? 大きな課題である。


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