2004年甲状腺手術後の子ども・青年のための特別保養

報告 : 佐々木 真理


子ども基金が「甲状腺手術後の子ども・青年のための特別保養」を実施しているのは次のような理由があるからです。

・チェルノブイリ事故後に小児甲状腺ガンが発生

事故後、被災地では小児甲状腺ガンが増加しました。チェルノブイリ事故の最中に放射性ヨウ素-131が放出されました。放射性ヨウ素-131は半減期が短い為その地域に汚染は残りませんが、人間の甲状腺に作用し甲状腺ガンや他の甲状腺の病気をもたらします。甲状腺ガンは事故数年後から現れました。最も被害を受けたのが事故当時幼かった子どもと胎児です。事故後10年以上経ってから発病することもあります。

・甲状腺手術を受けた子どもたちの現在の様子

手術で甲状腺を取ってしまうと成長ホルモンを作り出せなくなるために一生ホルモン剤を飲み続けなければなりません。同時にビタミン剤やカルシウム剤の服用が必要となることも多いです。また他の病気を併発する場合や、転移の危険もあります。何度も手術をしなければならないケースもあります。手術後数年経っても、疲れやすさ、頭痛、心臓の痛み等の症状がある場合も少なくありません。手術後も必要な治療、薬の服用、定期検査を続けています。

・保養の必要性、効果について

放射性物質のセシウムとストロンチウムは半減期が長い為、土地は汚染されたままです。今も汚染された土地に住んでいる子どもたちにとって、一定期間でも汚染されていない土地で暮らし汚染されていない食物を体内に摂りこむことは、免疫力を増加させる効果があり、健康にとって非常に重要なことです。甲状腺手術を受けた子どもの場合には、体の面だけでなく精神的ショックも大きいため心のケアも必要です。同じ経験をした子どもたちと一緒に過ごし友だちをつくったり、自分たちを親身になって心配してくれる大人たちの存在を感じたりすることのできるこの保養は、精神的リハビリにも大変役立っています。

・外国での保養に比べた場合の自国での保養の利点

経済面:費用が少なくてすむため、より多くの人数を保養させることができる。
健康面:行くのに時間がかからない分、体に負担をかけずにすむ。また普段と同じような食事を摂ることができる。

*海外での保養(ドイツ、イタリアなどが多い)では食文化の違いや、受け入れ側の親切心などから過度の食事や甘いもの(子どもだから喜ぶ)を摂ってしまい、その結果肥満や糖尿病になることもあるそうです。

☆ ウクライナ「ユージャンカ(南)」 ☆

期間:2004年8月1日〜14日(14日間)
参加者:子ども50人+付添、医師4人、年齢10〜18歳(うち例外として20〜21歳:8人)
参加者募集の方法:日本センター(=子ども基金キエフ事務所)のスタッフが、甲状腺の手術を行っている内分泌研究所(キエフ市)の医師から情報を得て、保養の必要な子どもを集めます。また、病院で行われる甲状腺の病気の親子のための合同説明会(薬や普段の生活の注意など)の際、日本センターのスタッフがこの保養を紹介し希望者を募ります。
支援対象:子どもたちの滞在費、交通費、薬代、遠足代(近くの町やプールなどに)。

黒海沿岸にある保養所です。キエフの救援団体「家族の救援」が運営しています。利用できるのは夏の期間(6月中旬〜8月末)だけです。暖房設備はありません。同じ敷地内に他のグループの子どもたち(ドイツの支援等)や、一般の保養者(自費)も滞在します。保養所内の施設は宿泊棟、レクレーション棟(以上は外務省の助成と子ども基金の募金で建設)、食堂、野外ステージ、野外スポーツコートがあります。

ここの大きな特徴は海がすぐ近くにあることです。それが子どもたちにとっては最大の魅力です。子どもたちが海へ行く時には、健康と安全を考慮して日中の日差しの強い時間帯は避けるようにし、また必ず付添の大人と一緒に行くことになっています。その他、卓球、電子ピアノ、ビデオ鑑賞(以上はレクレーション棟にて)、バレーボール(野外コートにて)などをして過ごすことができます。また、付添の大人たちがコンサート、芝居、詩の朗読、各種コンクール、ディスコ等の催し物を計画します。今回は20〜21歳の年齢の高い参加者たちが、年齢の低い参加者の世話や催し物を積極的に手伝いました。栄養面を考慮し、食事と食事の間にはヨーグルト、ケフィール、果物、ビスケットなどの間食が子どもたちに与えられました。

食事は、内容も衛生面も年々良くなってきています。新たに食器煮沸器を入れ、食堂入口には洗面所設置されていました。また去年までと比べ、宿泊棟内のトイレやシャワー室の掃除も行き届い ていました。

保養参加者たちからの声

○ ここでの保養はこれで5回目。お互い遠くに住んでいてここでしか会えない友だちに会えるのがうれしい。海も食事も、すべて素晴らしい。(イリーナ18歳)

○ 初めて来ました。きれいなところで気に入りましたが、お母さんと離れるのが少しさびしい。(アーラ13歳)

○ ここでの保養は何もかも満足です。不満なことは何もありません。保養に招待してくれたに日本の基金にありがとうと言いたいです。(ウラジーミル18歳)

○ 私はここへ来るのは4回目です。今回は弟も一緒に来ています。私たちは海も催し物も、すべてとても気に入っています。日本の皆さんありがとうございます。(アレクサンドラ18歳、弟イリヤ:10歳)

ゴメリのナターシャ

ナターシャ・コンツェヴェンコは1998年に「子ども基金奥羽支部」の招待で、母親と一緒に岩手県で保養をしました。私は彼女が来日の際に東京の町などを案内し、その後は文通を続けていました。ナターシャはほぼ毎年ベラルーシの保養所「希望21」での特別保養に参加していましたが、今年は参加していませんでした。現在は郵便局に勤務していますが、8月は仕事を休むことができなかったのだそうです。体調のことなども心配でしたので、ゴメリ市の彼女の家を訪ねることにしました。母親に彼女の体調のことを聞いたところ、「娘の仕事は激務で体がきつい。最近、ある薬を止めていたら体調が悪くなった。また病院で相談して、飲み続けないといけない。」とのことでした。その薬は病院から無料で出してもらえるものだと聞き、安心しました。昼間、職場を訪ねてみました。昼休みというのに、郵便局を訪れる人が絶えないため仕事が終わらず、休み時間はほとんどないようでした。それでも笑顔で「忙しくて大変だけど、この職場は上司も同僚もみんなよい関係で、それにとてもきれいでしょう!」と言いました。母親も、「本当に大変な仕事だけれど、失業者が多い中、仕事があることは幸せなこと。」と。その日は交代の職員が休暇のため、彼女は朝8時から夜8時までの勤務でした。給料は月$100。姉は1年以上失業中で、父は最近中国に出稼ぎに行ったそうです。彼女も家族の生活を支えているのです。

(写真)上から、特別プログラム「デジカメ」教室/希望21、宿舎の部屋の中で/南、宿舎のすぐ前が海

 


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