19周年救援キャンペーン・チェルノブイリ報告を聞いて


■“核のない21世紀へ チェルノブイリ報告&希望のコンサート”は、悲劇はもう繰り返さないでという思いのナターシャ・グジーさんの透き通るような歌声と45回目の取材をしたばかりの広河隆一さんの報告であった。

五感に感じない放射能は、事故後、丸19年を経てさらに深刻な形で人々を覆っている現実、子どもたちの置かれている厳しい状況、放射能汚染地帯の様子、次の世代に対して放射能の影響を心配し続けながら生きる若い人々…広河さんの報告が続く中で私の脳裏では「原爆稲籾・長崎50年目の稔り」(NHK福岡)の映像が重なりあっていた。

― 長崎の原爆稲を育て続けている九州大学で、岩田伸夫教授(現名誉教授)は、ヒバクした稲の特徴が1本の稲に「稔ったもみ」と「空もみ」が混ざっていることに注目し、「この異常は、染色体の構造そのものが変化するためではないか」と。「稲の1生は1年1世代、原爆稲は40世代経っている。これを人間に例えると30年で1世代とすれば、もう1200年くらいになるわけで、1回染色体に変異が起こればずっと続く。人間と稲は必ずしも同じではないが、ある程度は稲が証言しているのではないか」―

深刻さは、誰も責任をとらず、とれもしないまま、ますます静かに進行し続けていくのだろう。

広河さんの報告は、一転、国内の浜岡原発の問題へと移った。地震は天災であるが、原発震災は人災であり、地震地帯に安全だと云い続けて浜岡原発が建て続けられたことなどが語られた。そして、広河さんは、ヒロシマ、イラクへの劣化ウラン弾投下、憲法、原発震災のことにふれ「今、日本がおかれている状況は、カエルを熱湯に入れると驚いて跳んで逃げるが水をジワジワ熱くしていけば死ぬまでつかっているカエルのように,危機感がなく破局を迎えるであろう分れ際にあると思う」と結ばれた。

ヒバク国であり世界でも希な地震大国日本は、原発を1基も建ててはいけなかったのである。核兵器と原発はコインの裏表である。放射能・死の灰に軍事も平和利用もないのである。広河さんが云われたように、チェルノブイリ原発事故の教訓は、原発が事故を起こしたらどうしようもない、ということである。浜岡原発震災を未然に防ぐために、広河さんの報告を周りの人へ伝えあいませんか。 

(東京・佐藤弓子)

■「子どもたちを被曝させたのは誰」と題して、広河隆一さんと藤田祐幸さんのビジュアル講演と、女声アンサンブル「ごくらくトンボ」さんのコーラスをお聴きしました。

広河さんの「20年目に入ったチェルノブイリ」では、今なお放射線による被曝が続いていることを改めて実感しました。事故当時には乳幼児であった世代が若者になり、結婚し出産もしている姿をスライドで見せてもらいました。笑顔の中に隠しきれない不安を見せられたように感じ「どうかお幸せに」と思わず声をかけたくなりました。かつて三重に来てくれた子たちや、現地を訪れたときに出会った子たちが、病気への不安なしに成長し、次世代に希望をつないでいってほしいと切実に思いました。

ガンに冒されているのに、一生懸命に日本語を学習しているうちに、いつの間にか病気の進行を抑えていたというスヴェトラーナは「生きる気力」の大切さを教えてくれました。こちらが支援しているつもりでいたのに、そうではなくて、子どもたちはもっともっと大きくて、大切なものを私たちに与えてくれているのです。広河さんはその「何か」を映像で私たちに見せてくださっているのだと思います。  

「ごくらくトンボ」さんの新曲、チェルノブイリとイラク、そして世界の子どもたちに寄せた「砂漠に耳をつけてごらん」は、心に浸み入り、涙ぐみそうになりました。さわやかでやさしい歌声でした。  

何年ぶりかでお会いした藤田祐幸さんの張りのあるお声には、ぐんぐん引きつけられ、核被害への怒りが強く迫ってきました。劣化ウラン弾による被曝がこれほどひどい状況にあること、にもかかわらず、この事実はマスメディアではほとんど取り上げられていないこと、「れっか(劣化)」ではなく「れっき」とした純粋なウランであること、湾岸戦争時に使用されたまま回収されず、放射能の微粒子が空気や水を汚染していること、人体にどんな影響を及ぼすのかわかっていないこと、ウランの半減期は46億年であること等々、次々と恐ろしい事実を知らされて、言葉にならないほどの衝撃を受けました。

これらすべてが人間の行ったことであり、自分も含めた人間の愚かさを痛烈に感じました。重い重い企画であった、と思います。 

 

(三重・真弓千重子)



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