第10回“甲状腺手術後の若者ための特別保養


☆ ベラルーシ「ナデジダ(希望21)」 ☆

実施期間:
2005年8月3日〜8月26日
参加者:
団体名「チェルノブイリのサイン」 17歳〜21歳までの若者20人、引率者2人
団体名「困難の中の子どもたち」17歳〜21歳までの若者43人、引率者3人
(例外として、甲状腺以外の病気の参加者(白血病、脳腫瘍)が数人含まれています。引率者は、教育者の資格を持つ人が各団体から選ばれます。今回の引率者5人のうち4人は、甲状腺の手術をした娘を持つ母親でした。)

保養の概要

今年もベラルーシの保養所「ナデジダ(希望21)」で、「子ども基金」主催による“甲状腺手術後の若者ための特別保養”が行われました。甲状腺手術後の参加者の年齢は年々高くなっています。本来16歳までの子どものための保養所である「ナデジダ」は、このプロジェクト期間中は特別に17歳〜21歳までの年齢の若者を受入れています。この期間中同時に、汚染地に住む16歳以下の子どもたちも保養をしています。滞在中には各種の健康診断の他、マッサージ、サウナ、温水療法、アロマテラピー、薬草療法などが受けられます。また毎日のように文化・スポーツ行事が行われます。演劇やコンサート、サッカーやバスケットボールなどの試合では参加者だけでなく、観客も大いに楽しみました。近くの別の保養所の人たちを招いての交流試合も行われました。森を散策したり、湖で釣をするなどの楽しみもあります。また現地の専門家が講師となる「マッサージ」「デジタル・カメラ」「テーブルマナー」「メーキャップ」の特別授業も行われました。この授業の講師料、材料費も「子ども基金」が支援しています。若者たちはそれぞれの教室に希望に応じて参加し、楽しみながら新しい知識を身につけました。私が滞在していた期間中は、「日本語」「日本料理」「日本の歌と踊り」の3つの教室を開きました。保養最終日の終了式では参加者たちに、「ベラルーシだけではなく日本にもみんなのことを心配し、健康と幸せを祈っている多くの友だちがいることを覚えておいてほしい」と伝えました。

去年は2006年度のプロジェクト実施に難色を示していたナデジダのマクシンスキー所長は、今年の保養が成功したことを重視し、「今年と同じ条件であればこのプロジェクトは来年もナデジダで実施可能」と結論づけました。「子ども基金」としてもこの決定を喜んでいます。

参加者たちの感想

○イリーナ(女・19歳・学生):初めて参加した。他の保養所にもいくつか行ったことがあるけれど、ここは最高。毎日何か催し物があって、全然退屈することがなかった。教育担当者も心理学担当者も素晴らしい人たちで、とても感謝している。また来年も来たい。
○サーシャ(男・21歳・経済大学学生):2回目の参加。前回は4年前。仲良くなった同室の一人とは、実はお互いの家がすぐ近所だとわかりびっくりした。もう一人は自分のうちから遠い町に住んでいる。近所にも遠い町にも同じ病気をもつ友だちができた。
○アンナ(女・20歳・大学生):去年に続き2回目。小さい頃に手術をした人たちはいろいろな外国へ保養に行ったようだけど、自分のように大人になってから手術した者たちにはそのような機会はまったくない。だからナデジダで保養をさせてもらえることにとても感謝している。
○ターニャ(女・20歳・美容師):去年に続き2回目の参加。ここでは心からリラックスできる。みんな同じだから(と、首の傷跡を指で示した)、お互いによく理解し合える。来年も来られたらうれしい。
○オレーグ(男・20歳・通信制大学学生):2回目。またここへ来て仲間たちに再会でき、とてもうれしい。医療サービスもいろいろな行事も、すべてに満足している。ナデジダ職員と、この保養を企画し支援してくれた子ども基金に感謝します。

前向きな子どもたち

一見、参加者はみな元気そうに見えます。何も知らない人の目には、ごく普通の健康な若者が夏休みを楽しく過ごしている、と映るでしょう。しかし甲状腺がんの手術をした者たちは、チロキシンというホルモン剤や、人によってはカルシウム剤も毎日飲まなければなりません。また転移がないかどうか定期的な検査が必要です。ある時近くの森の中で、グループ毎に色々な課題に挑戦する、という面白い催し物がありました。何にでも積極的に参加するある一人の子の姿が見えなかったので不思議に思っていました。宿泊棟に戻ってみると、彼は同室の子たちと料理をしていました。どうして森に来なかったのかと聞くと、「自分はもうすぐ放射性ヨードを受けることになっていて、今チロキシンを飲んでいないので(*)体調があまりよくない。同室の子たちも風邪気味だから、ここに残って料理をすることに決めた。ごちそうするから待っていて!」と笑顔で答えました。体調が悪いようには全然見えなかったので驚きました。彼は毎朝5時に起きてマラソンをしています。「医者は運動はだめというけど、自分は体を動かすことが好き。空手をやっている。運動をするようになってからはあまり風邪をひかなくなった。」と言いました。その後宿泊棟に残っていた何人かを招いて、じゃがいもときのこの料理をご馳走してくれました。その時、「自分は第2級障害者、彼は1級、彼は3級障害者だから・・・」というようなことを笑いながら言い合っていました。同じ病気の仲間同士だから、こういう話ができるのでしょう。<*放射性ヨード治療を受ける前の1ヶ月間はチロキシンを服用すると治療効果がなくなってしまうため。>

ナデジダの教育担当者の一人はこう話します。「このプロジェクトに参加している若者の多くは、同年代の他の若者に比べて、明るく何事にも前向きな姿勢で、他人に対して優しく、心が外に向けて開かれていると感じます。彼らは子どもの頃から多くの苦しみを味わい、健康な人が知らない世界を生きてきたので、生きていることの素晴らしさを誰よりも知っているでしょう。そういう辛い経験は彼らの心に大きな影響を与えたと思います。彼らと一緒に過ごせたことは自分にとっても素晴らしい経験となりました。」

今回初めてこの保養に参加した子の中には白血病の子もいます。救援団体の代表者は、「自分の団体の会員で白血病の子どもはもうたくさん亡くなっている」と話しました。もう一人初めて参加した、脳腫瘍の手術を受けた女の子がいます。手術後は手と足の自由があまり利かなくなってしまいました。足を少しひきずるように歩きます。見せてくれた写真の中にピアノを弾いている姿がありました。「手術をする前までピアノを弾いていたけれど、手術後は手がうまく使えなくなって弾けなくなったの。でもまたそのうち弾けるようになるかもしれない!」と笑顔で話します。何に対しても積極的で、周りが彼女の体を心配しやめた方がいい、というようなことにも自分から挑戦しようとする子でした。良い脳外科の先生に出会って、その先生のおかげで「自分は大丈夫、これからも生きていけると信じられるようになった」と言いました。心理学担当者の指導の下で、彼女は自分の歴史を1枚の大きな紙にまとめました。小さい頃から今までの写真を貼り、それぞれの写真の横には詩が書いてあります。チェルノブイリ事故の起きた頃と手術をした頃の写真は、「黒い(暗い、辛い)時代だったから」とカラー写真をわざと白黒コピーし貼り付けていました。彼女は記念にと、自分で作った「生きる」という題名の詩と自分の写真をくれました。「私は喜びを持って生きていく。すべてを愛して生きていく。」という内容の詩です。そして写真の裏には次のことが書いてありました。「私たちを励ましてくれてありがとう!」“1986年4月13日”(これは撮影した日付。チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年4月26日)。それはまだ黒の時代でなかった頃の写真でした。この保養中に行われた健康診断で、彼女は甲状腺にも問題があることがわかりました。彼女の黒い時代はまだ終わっていません。

(報告 佐々木真理)


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