11月01日(金)[ニセ従軍記者のすすめ]
ペンタゴン(米国防総省)で、きたるべきイラク戦争にそなえて、マスメディアの記者に、戦場での基礎的な訓練を施すプログラムへの参加を募集するという。
戦場で足手まといになられると困るということなのか、従軍記者たるもの、これくらいのことは自分でやれよな、ということなのか。とにかく、最近つくづく思うのだけれども、戦前のニッポンってこういう雰囲気だったのだろうな、というようなことが、ここワシントンでちょくちょく見られる。その昔、僕が尊敬していた故・入江徳郎さんの朝日新聞記者時代の古い著書『神々の翼』という本を読んだことがある。内容は、氏が従軍記者として戦場に赴いて、皇軍の素晴らしい進軍を翼賛するトンデモ本に近いものだった。入江さんにして、そのような本を書かせる狂気が戦前のニッポンにあった。そして、今も世界中の従軍記者たちに、そのような狂気に赴かせる圧倒的な流れがある。AP通信のMANAGING EDITOR のMIKE SILVERMANという人がこんなことを言っている。「記者訓練はすばらしいアイディアだよ。APのジャーナリストたちにとっても有益だし、司令官たちもメディアともっと気持ちよく共存できる。イラクと戦争になれば、ペンタゴンは、ジャーナリストが戦場に迅速に赴き、最前線の部隊と一体になって取材させてくれるだろうさ」。何というおめでたさだろうか。いや、APのこの記者は、規制の多い戦争取材の壁を突破して、とにかく最前線へ行くことを最優先に考えて「ニセ従軍記者」になれ、とココロのなかで思っているのかも(まさか)。

11月04日(月)[何でもかんでもテレビの前でさらす社会]
CNNのラリー・キング・ライブはホントに今や「権威」になっているみたいだ。今夜は、CBSイブニングニュースのアンカーマン、ダン・ラザーが出ていた。今日が誕生日だとか。それで中間選挙の予想などを語っていたのだけれども、ラリー・キングが、連続銃撃事件について「過剰報道だと思うか?」と質問をしたら、ダン・ラザーはすかさず「一部のケーブルテレビのニュースは明らかに過剰報道だったと思う」と答えていた。多分、CNNも含めての発言だったと思うのだけれども、そのCNNのコニー・チャンのショーに、例の連続銃撃事件でテレビで一躍有名になったチャールズ・ムース捜査本部チーフの妻(白人女性)が生出演していたのは、つい2日前のことだったような気がする。こんなのもありかよ、何でもテレビにさらせばいいってもんじゃないだろ。テレビ画面を横目にみながらそんなことを考えていた。こちらの社会は、ホントに何でも誰でも、記者会見が設定されて、どんどん露出する。たとえば、連続銃撃事件で言えば、ムース氏をはじめ、各所轄の署長クラス、州知事、州選出の国会議員、治療にあたっている医師、たくさんの目撃者等々。それでみんなとても雄弁なのだ。人前で雄弁じゃない人はいないみたいな社会。日本の社会とはこの点が非常に異なっている。出たがり社会というか、自己主張しないと損だ、みたいな価値観があるような。

11月05日(火)[中間選挙というお祭り]
今日は中間選挙の投票日。CNNやFOXなどは朝から大騒ぎだ。何しろデカい国なので、時差があって、大勢が判明するまでどれくらいの時間がかかるのかわからない。投票の方法が州ごとに全然違っていて、ハイテク投票を導入したところなどは、テレビで投票の仕方をみても複雑すぎてさっぱりわからない。日本のように投票終了と同時に「出口調査」でドカンと結果を表示するということがない。今回の場合は、この出口調査機関(VNS=VOTER NEWS SERVICE)のコンピュータに不具合があって、資料が提供されないと言う。2年前の大統領選の際に「誤情報」が提供されて大騒ぎの原因にもなった曰くつきの出口調査機関だ。CNNの選挙特番をずっと見ていたが、3大ネットワークの開票特番は午後10時スタートと大人しい。
結局、夜中頃には共和党の優勢がはっきりしてきた。日本の選挙特番と違うのは、芸能タレントが出演していないことだ。全体的にはお祭り騒ぎだが。

11月06日(水)[共和党の歴史的な勝利という結果で]
朝5時に起きてテレビのスウィッチをオンにしたら、バタバタと共和党が勝ち進んでいる。急いで車で支局に。結局、NATIONAL AGENDA が LOCAL AGENDAを駆逐した、ということなのだろう。ブッシュ大統領が、各地を駆け回り、対テロ戦争、イラク戦争を訴え続けた「戦意高揚大会」みたいな選挙遊説が功を奏したということなのだろうか。ニューメキシコ州という辺境の州の中間選挙を取材しにいったが、そこでもイラク、イラクだったものなあ。アメリカ合衆国という国は、地方自治のお手本のような国柄だと思っていたのだが、つまらないことになった。
何故こうも単純なのか、とガイジンである僕は思ってしまうのだ。まあ、アメリカ人の意識にとっては当たり前のことなのか。ミネソタ州のモンデール(元副大統領)の「敗北の弁」会見などは見ていて相当気の毒=残酷なものだった。ところが、CNNなどは「切り替え」も早くて、選挙の結果がはっきりしたあとは、またもや、イラク攻撃に照準を移している。ブッシュ大統領は、今日はテレビの前に露出するチャンスがないという。あんまりハシャぎすぎるとイケないという周囲の判断がそうさせたのか、とにかくブッシュ大統領は今日は出てこない。

11月07日(木)[あまりに「挙国一致」な空気が充満してきた]
午後2時から、ブッシュ大統領が中間選挙後初の記者会見。場所はいつものホワイトハウスの小さな建物ではなく、隣のアイゼンハワー・エグゼクティブ・ビルディングの広めの部屋。内外の記者が300人くらいか。登録して行っておけばよかったか。日本人の記者は2,3人しか姿が見えず。僕はCBSの生中継回線で会見を見ていた。初めのうちは厳しい顔つきだったが、ブッシュ大統領は、そのうちに嬉しさをこらえきれないみたいに上機嫌になった。で、問題は記者席の「序列」だ。これがホワイトハウスの場合も隠然たる「序列」がある。この記者会見も、あらかじめ質問であてることになっている(事前に「談合」があったのだ)記者連中は「第1列」に座っている。CBSのジョン・ロバーツといった「花形記者」たちだ。でも、聞いていて、ちっとも鋭くない、と言うか、怖くない人達だ。何か出来レースを見てるみたいな感じ。大統領は、イラクとか北朝鮮に対して、相変わらず勇ましいセリフで決めていた。それで、今度、2004年に再選をめざす時は、チェイニー氏を再び副大統領候補に据えるとも。
ところで、この中間選挙では、フロリダの開票結果が注目されていた。2000年の大統領選挙での「因縁の場所」だからだ。もし、あのフロリダ州の集計作業が、別の解釈のもとで行われていたならば、現在、ホワイトハウスには、民主党のゴアが鎮座している筈だ。それで、ブッシュ大統領の弟のジェブ・ゴアが、今回の中間選挙で圧倒的な差でフロリダ知事に再選を果たしたのが、よほど嬉しかったのか、ブッシュ・シニア(お父さん)が、テレビ画面の中でも、たいそう喜びを露わにしていたのを見た。でも、そんなことはどうでもいい。フロリダで重大なことがひとつある。あの大統領選の時の集計作業を掌握し、投票の再計算をうち切るように命令するなど、現場を牛耳っていたキャサリーン・ハリスという州務長官がいたのをご記憶だろうか。この女性が、今回、フロリダで共和党から下院に立候補して当選していたのだ。この女性は、当時ブッシュ陣営の選挙運動の副委員長でもあった。日本人の感覚で言えば、「そんなのありか?」と思うような職務兼任だけれども、その女性が今度は国会議員になってしまったのだ。露骨だなあ、と思う。キャサリーン・ハリスは、WASP女性の典型みたいな人物で、家柄は億万長者、役人になる前は、IBMのマーケティング担当役員だったとか。そういう人間に投票するフロリダ第13選挙区の有権者たち。キャサリーン・ハリスの選挙CMをネットでみて、正直、虫酸が走った。

11月09日(土)[ニューヨークの人混みにまみれて]
ちょっとした用でニューヨークにきのう来た。ここに来ていつも感じるのは、ワシントンはホントに田舎だな、という感覚だ。アメリカは、これから、サンクスギビング、クリスマスと祝日シーズンに入り、ショッピング客で賑わう季節になるらしい。マンハッタンの中心部は、人とモノで溢れかえっていた。もう、9/11なんて関係ない、といった感じ。日本の本に飢えているので、紀伊国屋書店に寄った帰りに、ちょうど向かいのMOMAのショップで本を見る。初版が1998年にドイツで出版されたとある、The Hulton Getty Picture Collection という20世紀の10年刻みの写真集があって、パラパラめくっていたら、とても面白い。60年代と70年代の2冊を買い求めた。特に立ち読みしていて目に焼き付いたのが、1968年のソ連軍のチェコ侵攻=「プラハの春」弾圧事件の際に撮られたチェコ民衆の写真だ。すぐに、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』のことを想起した。しかし、このたった2枚の実写の写真は、歴史の一瞬を確かに刻み込んでいた。どうも、精神的に弱っているからか、懐旧モードに逃げ込んでいる自分が見える。振りかえるな。前へ。前へ。

11月11日(月)[これは結構面白い本だな、と読み進む]
東京から送られてきたまま、ツンドク状態になっていた『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア 柏書房)を読む。これは結構面白い本だな、と読み進むに従ってひき込まれてしまう。原題は「STUPID WHITE MEN」。ちょっと関西風の翻訳だけど、アメリカのリベラル(もう、死語だ)が本音で書くとこういう本が出来る、という見本だ。
著者のマイケル・ムーアについては、よく知らないが、以前CNNの人気コーナー
「People In The News」でも取り上げられていたほどだから、全くマイナー中のマイナーというわけでもないようだ。ちょうど今こちらでも彼の監督作品「Bowling for Columbine」が公開中だ。いくつも紹介したいエピソードがあるが、笑ってしまうというか呆れてしまうのが、アメリカの公教育部門のPRIVATIZATIONに関する話だ。例えばコロラド州は、高校とコカ・コーラがタイアップ契約を結んで、校内でコカコーラを販売する独占権を与えている。そして、校内に自動販売機が設置され、年間7万ケース以上の売り上げがあると、企業からさらに援助金がもらえるのだ、という。だから、教師達は、校内でじゃんじゃんコーラを飲めと推奨してるとか。多くの高校では、GM(ジェネラル・モーターズ)が経済学のコース(授業)を提供している。生徒たちは、GMの例から資本主義の利点と、GMのような企業を運営する方法を学ぶことになる、とか。シェル石油やエクソン・モービルが学校に環境問題のヴィデオ教材を提供しているとか。例えば、日本の公立高校で、東京電力が「原子力発電の正しい認識」という授業を提供したら、一体どういうことになるだろうか。日本ハムが「食肉表示の正しい見方」というテキストを学校に配布したらどういうことになるだろうか。全く、アメリカはどうかしてる、とこの本を読むと実感するようになる。
それで、思い出したのだけれども、中間選挙の取材で、ニューメキシコに行った際、共和党候補の応援にチェイニー副大統領がやって来た大集会の取材をしたことがある。その会場に、何と地元の公立高校のブラスバンドとチアガールたちが「動員」されていて、日本の感覚から言えば「メチャクチャに変だぜ」と思ったのだ。同行のアメリカ人スタッフに感想を求めると「ちっとも変じゃない。選挙集会に参加するのは社会学習の一環だ」と言い張ったことがあった。でもなあ、チェイニー副大統領が演説を始めて「テロリストに勝利した」「サダムは大量破壊兵器を今すぐ放棄しなければ我々は必要な措置をとる」とか言うと、高校生のチアガールたちが、脇でやんややんやと囃し立てる光景にはゾッとしたけれどもね。
話が脇にそれたが、このマイケル・ムーアの本は、そうか、こういうアメリカ人も1000人に1人くらいはいるぞ、という思いを抱かせてくれた点で、実に納得させられた。しかも、チョムスキーとかサイードとかソンタグじゃなくて、という所がいいのだ。

11月12日(火)[まともな主張がまともではないように見える社会]

随分以前に東京のAさんから送られてきた映画『チョムスキー 9/11』をやっとみる。日本ではチョムスキーと言えば、現代アメリカを代表する知識人のように思われてるようだけれども、僕の今いる環境では、チョムスキーはまるで「狂人」扱いだ。メジャーな新聞も扱わないし、テレビに至っては、絶対に登場させない。ここまで内と外の評価の違う人というのも珍しい。と言うのも、彼が本当のことを言っているからだ。まともなことを言っているからだ。そのまともな主張が、ここ(ワシントン)ではまともでないように見える。映画自体は、インタビューと講演を撮ったものを繋いだ、きわめてシンプルな構成のものだ。だが、ちからがある。「9/11は一種のWAKE-UP CALLだ」「アメリカに対テロを語る資格はない」「誰が犠牲になったのかが歴史的なのである」「テロをやめたいのなら参加しないことです」。いくつも心にひっかかってくる言葉に出会ったが、一番ズシンときたのは、次のような言葉だ。

『偽善者とは他人に課している基準を自分には課さない人間のことだ』

それにしても、講演会の盛り上がりは何だろう。一体それらの人々はどこにいるのだろう。ワシントンにいる限り、そんな人は見えない。それらの人々は中間選挙で誰に投票したのだろう。
こどもたちの言葉は時折、社会的な計算が働かない分、真実を言い当てることがある。9/11について、以前仲間が取材した際、ある少女が言った。「なぜアメリカはテロリストに狙われたんだと思う?」「それは嫉妬よ」。嫉妬=JEALOUSYという言葉を聞いて、ハっとした。その通りだからだ。では、なぜアメリカは妬まれるのか。彼女たちには、この圧倒的な富の配分の格差や、世界観の押しつけについて思いは至らない。なぜなら「外の世界」を知らないし、知る必要もないからだ。
「イラクや北朝鮮は核開発を放棄するべきだ。」「じゃあ何故アメリカは核兵器を持っていいの?」「アメリカはよき人々の国だから」「じゃあイスラエルは?」「イスラエルもよき人々の国だから核兵器をもっていい」「ロシアも、イギリスも、フランスも、中国も、インドも、パキスタンも?」「そうさ、すでに核兵器を持ってる国はそれだけの理由がある、よき人々の国だ。イラクや北朝鮮は、悪の枢軸国だ」「枢軸国って?」「第二次大戦の時のドイツ・イタリア・日本のような悪の仲間。」

『偽善者とは他人に課している基準を自分には課さない人間のことだ』

この映画を制作した山上徹二郎さんは本当にすごい。アメリカ人は自国のこの種の人間について映画をとろうとしない。


映画『チョムスキー 9.11 Power and Terror」情報
東京ユーロスペースでは、大入りにつき11月17日(日)より拡大上映決定!

[場所/日程]

東京>ユーロスペース/絶賛公開中!(10:50/19:15/20:50)
大阪>シネヌーヴォ/12月7日(土)〜
名古屋>名演会館/12月8日(日)〜

ビデオ・DVD11月22日発売決定!

●詳細&その他の地域での上映日程>http://www.cine.co.jp


11月13日(水)[シンクタンクという潜在力]
シンクタンクという語にどういう訳語が適当なのかよくわからないが、今日、このうちのひとつに出かけて話を聞いたら、これが実に面白い内容だった。北朝鮮をめぐる専門家たちのディスカッションだったのだが、筋金入りの専門家2人(D・グレッグとオーバードーファー)がパネラーだったので、いつもはブッシュとかラムズフェルドとかいう人たちの極端な北朝鮮観ばかりを聞いている身にとっては、とても新鮮でかつ刺激的な内容だったのだ。そうか、やっぱり専門家はスゴいな、と。北朝鮮の核開発に関して、北が秘密開発を認めたという「事実」についても彼らは、北側がケリー国務次官補に対して、実際にどういう言葉を吐いたのかという逐語訳の文章を入手していた。
で、言いたいことは、このシンクタンクというサブ組織の潜在力である。おそらく、2大政党制という国情がなければ、こういうサブ組織も存続しにくいのではないか、と勝手に想像してしまう。政権党でない野党的な立場からの政策提言などを積極的に行って、いわばシャドウ・キャビネット的な役割を果たしているようにも見える。さらには、前政権の政策担当者の「一時避難」の場所になっているようにも見える。そこにある根本的な哲学は「知は力なり」という西欧的な価値観である。日本にはこういうものを維持・運営していくだけの余力(カネの力)というか「潜在力」がない。景気がちょっとでも悪くなると最初にリストラ対象にされるのが、こういうサブ組織なのじゃないだろうか。「頭じゃねえんだよ、体力なんだよ」と。「知は力なり」という法則に、メディアはどれだけ従っているだろうか。「数字は力なり」ではなく。

11月14日(木)[なぜ情報が歪曲されるのかの一例]
日本の朝刊各紙を見たら、トップニュース級の扱いで「北朝鮮が生物兵器保有」とある。10月にケリー国務次官補がピョンヤンを訪問した際、北側が核開発ばかりか生物兵器の保有も認めていたというのだ。ところが、不思議なことに、国務省は「そういう発言はなかった」と否定しているではないか。変だなあ。それで、バウチャー報道官の書面回答なるものを取り寄せてみると、そこにはっきりと書いてあるのだ。
「そういう発言や(保有を)認めたことはなかった」と。日本でのこの情報の出所をよくよく調べてみると、どうやら「政府筋」(=きわめて高位の政府高官)のようだ。この高官は、然るべき筋を通じて「ケリー・カンソクジュ会談」の中身を熟知している人物なので、そうなると、何らかの「意図」のようなものを感じてしまう。断っておくが、北朝鮮が生物・化学兵器を研究・開発しているらしいことは、かなり前から指摘されていることだ。ただ、ケリー国務次官補に「保有を認めていた」というのは、取材した限りは誤報のようなのだ。「書き得(どく)」という業界用語がある。このケースもそういう範疇に入るのだろうか。ただ、情報の出所が出所だけに「みっともない」。
もっともこの種の情報操作は、アメリカのメインストリームのメディアでは相当にあるという。それをじっくり見ておこう。

11月16日(土)[歴史家の責務とは何だろうか]
アメリカの歴史学者にして、日本近現代史の碩学ジョン・ダウアー教授の「9/11と12/7」(同時テロ事件と真珠湾攻撃)というテーマのワークショップがあるというので覗いてみる。会場は、ロードアイランド州プロビデンス近郊のブラウン大学。昨夜のうちにプロビデンスに入っていたので、ブラウン大学までレンタカーで一走り。会場がわかりにくいのだった。おまけに悪天候で、一苦労した。ワークショップの参加者は、30人あまり。大学の研究者や院生クラスの学生もいる。ダウアー教授の講義はとても刺激的な内容だった。9/11と12/7の両事件のアナロジーとして挙げられていたのは、「ジハード」と「聖戦」、「自爆攻撃」と「カミカゼ」、さらに話は展開して、戦前の日本の国家総動員体制と、現在のアメリカの準戦時体制の酷似状況、例えば、「神州日本」と「GOD BLESS AMERICA」、「大東亜共栄圏」と「グローバリズム」、「鬼畜米英」と「AXIS OF EVIL」と刺激的な対比が行われ、活発な討議が続く。こういう部分もアメリカのアカデミズムにはまだ残っているのか。彼らの目から見ると、アメリカのメインストリームのメディアは惨憺たる状況だという。特にCNNとFOX。昼食時に、ダウアー教授に、「日本では今、反米ムードが増大している。『チョムスキー』なんていう映画が結構当たっている」と話したら、「ああ、あれを撮ったユンカーマンというのは友達だ。つい1週間前に会ったばかりだよ」とか。世間は結構狭いものだ。それにしても、歴史学者が現実に起きていることに敏感にコミットしているのを見せつけられたような気がして「歴史家の責務とは何だろうか」という焦慮に近い思いにとらわれた。

11月17日(日)[歴史家の責務とは何だろうか(2)]
ドミンゴの出演するオペラ「IDOMENEO」を観てきて、何て今のアメリカ人向けに出来ているオペラなんだ、と半ば感心、半ば呆れて、日本の新聞をまとめ読みした。きのうのダウアー教授の話があまりにも面白かったので、そのことを念頭に置きながら新聞をみていたら、北岡伸一という歴史学者が、「世論と外交の関係」について、このところの北朝鮮報道・外交を射程に論じている文章が目にとまった(16日付け読売新聞「論壇思潮」)。これがとてもまともなのだった。北岡氏が指摘しているのは、近代日本の外交においては、多くの場合、世論のほうが政府より強硬だったという事実。そこで例示されているのが、日露戦争後のポーツマス条約締結後の小村寿太郎に対する非難、そして起きた日比谷焼き討ち騒擾。ところが、1933年の日本の国際連盟脱退の際は、松岡洋右は世論に歓呼の声で迎えられたという。どちらが正しかったのかはその後の歴史が証明している。歴史家の責務とは、こういう例示を的確に行うことだと思う。ひるがえって、現在の日本のメディア状況は、松岡洋右と小村寿太郎への反応で言えば、そのどちらに近いのだろうか?アメリカのケーブルテレビのニュースは、敢えて言えば、連日「イラクをやっちまえ!」のレール敷設作業をやっているとしか思えない。 

11月18日(月)[凄腕ボブ・ウッドワード記者の暴露]
ボブ・ウッドワード記者と言えば、知る人ぞ知る、かつてウォーターゲート事件をすっぱ抜いた凄腕の記者だ。59歳だが、ワシントンポストの現役記者を今でもやっている。このウッドワードの記事がワシントンポストに連載され始めているが、その面白いことと言ったら。ブッシュ政権内の内幕、「対テロ戦争」や、イラク・北朝鮮への対応のリアルタイムの動揺ぶりが活写されていて、やはりスゴい記者というのはホントに凄い記者なんだ、と実感させられる。で、記事を読みたい人は、オンラインでいつでも読める。www.washingtonpost.comで。CIAの北部同盟への巨額のドルばらまき(およそ7000万ドル=およそ87億5千万円のキャッシュ!)のものすごい実態が露骨に記されてもいる。これらの記事は彼の新著「BUSH AT WAR」の販売促進目的という面があるのだ。
ところで、僕がとても面白いと思ったのは、FOX TVという「御用ニュースチャンネル」についてウッドワードが書いている部分のことだ。CNNに対抗する形で作られたこのニュース専門局の特徴は、徹底的な政権の御用機関化だ。ウッドワードは、このテレビ局の社長ロジャー・アイルズが、ホワイトハウスに対して「アドヴァイス」を申し入れていた経緯を暴露しているのだ。アイルズが同時テロ事件後にホワイトハウスに送ったメッセージは次のような内容だったという。「アメリカの民衆は辛抱強く待っていますし、我慢もするでしょう。ただ、それも、ブッシュ氏が一番強硬な手段を使うと確信している限りのことですが」。こういう「指南」をマスメディアのトップがやっていたのを暴露してるのだ。それで、唐突なようだが思い出したことがある。森前首相が「神の国」発言をして、その釈明の記者会見を官邸クラブでやった際に、某マスコミの政治部記者と思われる人物が、記者会見の事件はなるべく制限した方がいい、とか「指南書」を森氏側に手渡していたことが発覚したことがあった。某マスコミとは某公共放送とも言われている。その件は、記者クラブ・ルールによって、不問に付されたが、規模・スケールは全く違うけれども、FOXの場合とよく似ている。ただし、こちらのメディアでは、特にFOXの競争相手のCNNでは、このFOXの行状を問う討論番組なども堂々とやっていた。そこに出演していたトークラジオのパーソナリティーみたいな男が絶叫していた。「ウッドワードなんか、あのキャサリン・グラハムのところの新聞の社会主義者じゃないか。国を売るような記事を書きやがって!」。どこの国でも同じような光景がみられるものだ。

11月20日(水)[空港で靴を脱がされるということ]
ボストンに来たのはこれが初めてだが、アメリカのなかでは古い街だけあって、なかなか趣が感じられて好きだ。目的はMIT(マサチューセッツ工科大学)のジョン・ダウアー教授に話を聞くためだ。先週、ブラウン大学で聴講したワークショップの内容があまりにも面白かったので、じっくり話を聞いてみようと思ったのだ。マサチューセッツ工科大学の社会科学の分野は、なぜか伝統的に自由の気風が貫かれているという。そう言えば、チョムスキーもMITだった。普通の大学キャンパスという校舎ではなく、町中の建物は、どこかの従業員宿舎みたいな感じ。まあ、いろいろなことを考えさせられた対話だった。その内容はここには記さない。ただ、ピューリッツァー賞受賞作『敗北を抱きしめて』の著者は、歴史学者として、現実に今起きていることにとても敏感に反応していたことだけは確かだ。ところで、僕らは、USエアウェイズのシャトル便を使って往復したのだが、行き帰りとも、僕もカメラマンも、セキュリティ−・チェックにひっかかった。
つまり、外国人(USAにおけるガイジン)は有無を言わさず、靴を脱がされ、上着を脱がされ、厳重なボディ・チェックを受ける。カバンの中も全部洗いざらいみられる。USエアウェイズは特にひどいのかもしれないが、ガイジンへのRACIAL PROFILING が露骨だ。対テロ戦争は、人種的な戦争ではない、宗教的な戦争でもない、文明の衝突でもない、とか言われたって、飛行機に乗ろうとする度にアメリカ白人はすいすいゲートを通過して、僕らは靴を脱がされる羽目になるというのは、笑い話にもならない。日本の成田空港で、白人だけにそういうことをやったら、どんなことになるだろうか?

11月21日(木)[すき焼きを食べていたドミンゴ]
ワシントンという場所も、まだまだ知らないところがいっぱいある。いわゆる観光名所と呼ばれる場所には、考えてみるとほとんど足を運んでいない。
ちょうど東京に住んでいる人が東京タワーに行こうとなんかしないのと似ている。いやいや僕の場合は、単に怠惰なだけか。夜、久しぶりにW氏と、市内の日本食レストランで会食した。と言うよりも、僕の故郷の酒=男山を鯨飲したのだが、いい加減に酔いが回って、帰ろうとしたら、W氏が興奮気味にトイレから戻ってきた。「ド、ド、ド、ド、ドミンゴがいる」。ええっ?「ド、ドミンゴがメシ食ってる」。みると、ほとんどのお客さんが帰ってしまって客数の少ないテーブル席に、プラシド・ドミンゴがマネージャーとおぼしき人物と、食事をしている。ドミンゴ好きらしいW氏は、恥ずかしそうに挨拶をしにいった。僕も酔っていた勢いで挨拶に行ってしまった。つい先日、IDOMENEOをケネディ・センターでみたばかりなのに、酔っていて、そのIDOMENEOという単語が出てこないのだった。それで、IMO、IMO、IMO と繰り返す失態を演じてしまった。見ると、ドミンゴ氏の食卓には確かに、日本食の王者=すき焼き鍋が鎮座していた。そうか、ドミンゴはすき焼きも食べるんだ、と妙に納得して帰途についた。

11月22日(金)[「従軍記者」訓練を垣間見る]
バージニア州QUANTICO海軍基地にあるキャンプ・バレットの集合時間が午前6時半。昨夜のドミンゴ酒がたたって完全な二日酔い状態で、今日の「従軍記者」訓練の取材現場に着いた。まだ薄暗い。今週1週間を通して実施されたペンタゴンのメディア・トレーニング(11月1日の項参照)の取材である。58人がこのトレーニングに参加しているという。毎朝5時起床。夜8時頃までみっちり訓練を受けている。今日が最終日で、8キロほどの行軍がプログラムの中心である。この訓練を受けているマスメディアの記者・カメラマンたちを、同じ職業の僕ら、つまりメディアの記者・カメラマンが取材する。一種のメディア向けのイベントなのだ。だからペンタゴンのトリー・クラーク報道官(女性)も今日は参加している。待ち伏せ攻撃とか、毒ガス攻撃でガスマスクを9秒以内に装着する訓練など、結構実践的なのだった。模擬弾が使用されていた。結構迫力がある。けれども、思うのだ。実際の戦場はどうなのだろうと。この、キャンプ・バレットのなかの通りの地名をみて「へええ」と思った。OKINWA Rd.とかCHOSIN Ave.とかいうのがある。沖縄と朝鮮。こういうのを基地内の通りの名前につけてしまうのが軍の普通の感覚なのだろう。僕らの取材のアテンドをしてくれた兵士は、日本の三沢基地とか沖縄に駐留していた、と話していた。帰り際に「またいつか東京かどっかで会おう」とこの兵士に言われた。そのうち、このキャンプのなかに、BAGDAD AVENUEとかいう大通りが出来るかもしれない。

11月25日(月)[モスクワ劇場占拠事件「強行突入」から一ヶ月]
かつてモスクワ支局に勤務していた頃、ロシア人スタッフらが吐き捨てるような感じで「チェチェニア」と言っていたのをぼんやりと覚えている。すでに、その当時、チェチェン民族は、ロシア人にとってはヒドい蔑視と憎しみの対象となっていた。そこに至るまでの過程には長い長い歴史がある。モスクワで起きた劇場占拠事件の悲劇的な顛末には、言葉を失ってしまうほどの衝撃を受けた。僕はその頃、メキシコのロスカボスにいた。APEC首脳会議という「お祭り」の取材をしていた。そこに出席した日本の首相は、ロシア特殊部隊による強行突入に対して、いち早く(もう言葉は忘れてしまったが)、勇気ある措置に断固たる支持を表明する、とか何とか言って、無条件支持を表明したのだった。ヨーロッパの世論が、使用されたガスの成分を明らかにするように求め始めた矢先のことである。プーチン政権の本質が露呈した出来事なのだ、これは。プーチン政権は、チェチェン勢力全体を、今やテロリスト集団と位置づけようとしている。9/11以降は、国家がテロリストと規定すれば、何をやってもいいことになってしまった。明らかに21世紀の初頭の段階で、世界は20世紀よりも「悪くなっている」。先週サンクトペテルブルクで米ロ首脳会談が行われたが、主要議題は、イラクとNATOと北朝鮮であって、モスクワで起きた惨劇は、ロシアの国内問題にされてしまった。やはり、世界は20世紀よりも「悪くなっている」。

11月26日(火)[海辺に寝転んで『海辺のカフカ』を読む]
アメリカは今週、木曜日にThanksgiving Dayを抱えていることもあって、次の金曜日も、役所や学校、会社もほとんどが休みになって、感謝祭連休に入る。それですっかり休日モードなのだ。しばらく休んでいなかったので、思い切って短い休暇をとることにした。と言っても、何も考えていなかったので、格安チケットのパック旅行(飛行機代、ホテル代、メシ代ぜ〜んぶ込みというやつ)で、ジャマイカに来た。だから多少、団体旅行のあの独特の雰囲気にまみれても仕方がないのだ。海辺に出て読みたい本を、まとめ読みすることにした。それで村上春樹の『海辺のカフカ』(新潮社・上下)を海辺で寝転んで読んだ。うーむ。これは「夢の回路」の謎解きのような物語なのだ。例によって、CORRESPONDENCE=照合、観照が、物語のあちこちに地雷のごとく敷設されていて、僕らは、その照合が紡ぎ出す筋立てに、どんどん引き込まれていく。「世界はメタファーだ、田村カフカくん」。猫好きの僕としては、相当えぐい場面にも出くわしたが、それにしても何で、ジョニー・ウォーカーなのか? 特に、ジョニー・ウォーカーの語る「戦争の論理」ふうのセリフが、かなり気持ち悪くて、ひょっとして、頭文字のJ・Wに何か意味があるのか、などと勝手に想像を膨らませた。こちらではJ・Wと言えば、BUSHと続くのだ。あはは。村上春樹にしても、村上龍にしても、主人公が十代半ばまでの少年であることの意味は、今のニッポンで最も「損なわれている」年代という思いからなのだろうか。

11月28日(木)[イスラエルを標的にした自爆テロがケニアで]
DCに戻ってみると、ケニアのリゾート地で酷い事件があったという。イスラエル資本のリゾート・ホテルに爆弾を搭載した車ごと突っ込む「自爆テロ」事件があって15人が死亡したという。最初聞いて驚いたのは、ケニアに何でイスラエルがリゾートホテルを所有しているのか、という知識不足からくる驚きだった。
モンバサというリゾート地。その昔、作家の村上龍なんかが、いいとこだ、と推奨していたらしい。もっとも一歩リゾート地の「外に」踏み出せば、そこには貧しいイスラム系の集落があるという点では、一種の「観光植民地」だったのかもしれない。そういう僕自身が今日の午前中まで滞在していたジャマイカも、完全にアメリカの観光植民地の様相を呈していた。ドルがほとんどどこでも通用するし、観光客の75%以上はアメリカ人だという。バリ島とオーストラリアの関係だって、そういう側面がある。観光植民地というのは、残酷なくらい、貧富の差と、文化の軋轢が直に目に見える場所である。ちょっと前にカーラジオで流れていたユダヤ系団体の意見広告CMは、パレスチナを非難する内容で、故ジョン・レノンのGIVE PEACE A CHANCEという言葉をキャッチフレーズに使っていた。また、中東が血生臭くならねばいいが。

Copyright (C) 2003 Webcaster All rights reserved.