10月01日(水)[CIA要員名リーク事件の根の深さ]

このところホワイトハウスをにぎわしているのは、CIA要員の名前を政府高官が意図的にリークした事件だ。そもそもこの話は、イラク戦争の大量破壊兵器にまつわる「情報操作」に端を発する。当時のガボン大使が、「ニジェールからイラクがウラニウムを輸入していたという情報は根拠がない」と政府に報告していたにもかかわらず、ブッシュ大統領の一般教書演説にこのくだりが盛り込まれた。結果的にこの情報はねつ造されたものだった。そのことをこの元大使は強く批判していた。ブッシュ政権にとってはこの元大使の発言は頭痛のタネになった。その「報復」なのだろうか、政府高官が少なくとも6人のジャーナリストに対して「ガボン大使の妻がCIAの要員だ」とリークしたというのである。そして、この元大使がリーク元としてカール・ローブ大統領上席顧問の名前を示唆したことから大騒ぎになったのだ。というのもカール・ローブはブッシュ政権を内側から支えている超大物だからだ。「情報操作」の泥仕合の側面がさらけだされた感が強い。この疑惑に民主党は色めき立ったが、果たしてどこまで追及が進むか。司法省はアシュクロフトのもとにあってブッシュ陣営に不利になるような捜査を進んで行うとはとても思えない。それで民主党などは独立した調査機関の設置を要求しているのだが、それもどこまで実現性があるかどうか。夕方のNBCニュースをみていたら、さっそくこの元大使が民主党よりの反戦派の人物だと人身攻撃をしていた。こういうところが米メディアは実に露骨だ。いずれにしても、この問題、相当に根が深い。


10月02日(木)[NPCでのカートゥーン・オークションにて]

NYの日帰り出張から戻って雑件を整理していたら、その時間になってしまった。ナショナル・プレス・クラブでカートゥーン(漫画)のオークションがあるのだ。新聞や雑誌などに掲載された時事風刺漫画の原画がオークションで競り落とされる。漫画好きの身としては顔を出さないわけにはいくまい。まあまあの質の高さ。全部紹介できないのが残念なくらい。メディアで働く人々がお客だろう。会場で軽食とカクテルが振る舞われる。オークションは、サイレント・オークションという時間制限付き書き込み式のと、LIVEオークションといういわゆる競り落としのものの2種類に分かれていた。値段のはるものはLIVEオークションにかけられる。それが結構高値になる。平均250ドル〜350ドルくらいか?人気のあるものは400ドル(4万4千円)というものもあった。
僕は、サイレント・オークションで4枚に書き込みをしたが、締め切り直前に高値を書かれてしまって、競り負けた。やっと1枚だけ手に入れたのは、北朝鮮の核開発で国民が飢えているというテーマのもの。まあいいか。ちなみに「9/11と8/14」は僕が競り負けた1枚。「Air Superiority(制空権)」は375ドルで落札されていた。「RATING(視聴率)」はテレビを皮肉ったもの。


10月04日(土)[LANG LANG(郎朗)の演奏に酔いしれる]

まだ21歳だとか。その彼が中国の礼服を着てステージに現れる。ケネディ・センターのコンサート・ホールには中国人らしい観客の姿が目立つ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30。難曲中の難曲といわれる。ランランについては、ひとづての断片情報しか知らなかった。3歳からピアノを習い始めた神童とか、アメリカの5大交響楽団とすべて共演した初の中国人ピアニストとか。演奏が始まるや、観客たちはその超絶技巧に圧倒されてしまったかのようだ。すばらしい演奏に酔いしれた。観客への対応もまだぎこちなく、そこが「すれていない」という好印象を与える。あまりの拍手の多さと大きさに応えて、アンコールの「トロイメライ」をゆっくりと弾き出すと、観客はとてもいい気持ちで疲れを癒された感じ。惜しみない拍手をこの若い才能に送っていた。先週の土曜日も、ここでみたバイオリニスト、マキシム・ベンゲーロフと言い、若い才能のほとばしりの場に立ち会えるのは幸運だ。音楽の世界の才能はこのように国境を越えられるのに、そうではない対極の思考が、この同じワシントンにはある。


10月05日(日)[自爆「テロ」と報復「攻撃」]

何ともむごたらしい事件だ。イスラエルのレストランで起きた自爆「テロ」事件は、子供を含む19人が死亡し、イスラエル政府は、その報復としてガザ地区以外に今日になってシリア領内の難民キャンプを越境「攻撃」した。その言い分が「テロリストをかばう国家は応分の責任を負わねばならない」というアメリカのアフガン攻撃の時の論理と全く同じなのだった。自爆「テロ」犯とされているのが、29歳のパレスチナ人女性弁護士だという。何と、4カ月前に弟を亡くし、さらには婚約者である31歳のいとこも亡くしていたという。ともに、イスラエル軍の攻撃によって殺されたのだとの現地からの報道だ。これに対する「報復」が今回の事件の動機ではないかというのだ。イスラエルはすぐに「報復」攻撃を行った。個人が行えば「テロ」と呼ばれ、国家が最新兵器を用いて行えば「攻撃」と呼ばれる。テロリズムの定義は実に政治的かつ曖昧だ。テロリズムを否定する根拠は「殺すな!」という人倫にある。ところが、人間社会は、人を殺してもいい例外をどうやら3つ設けた。ひとつは「戦争」、2つめは「死刑」、そして3つめが「正当防衛」だ。「戦争」では堂々と敵である人間を殺していいことになっている。本来は人を殺してはいけないのだ。だからこそ、戦争の「大義」の正統性が問われる。行うべくして行った戦争なのかどうか、という問いかけが重要なのだ。イラク戦争では一体何人が死んだのか。アメリカ兵がではない。人が一体何人死んだのか。それすら明らかにならない、されない、しようとしない道徳的な退廃を後世の人々はどう考えるのだろう。先日、エドワード・サイードが死んだ。今、目の前のCNNからは「イスラエルはアメリカと同じ民主主義国家だ」というCMが流れている。「殺すな!」という言葉は今は響かないのか。


10月06日(月)[アルーニ記者を「抹殺」しようという動きについて]

先月、スペイン警察に「アルカイダとのつながりがある」という容疑で逮捕された中東ニュース専門局、アルジャジーラのタイセル・アルーニ記者について、エドワード・サイードの生前最後の著書『裏切られた民主主義』(みすず書房)に記載がある。

アルジャジーラはモスルやバグダッドやバスラやナシリアに特派員を送っており、その中にはタイシール・アルーニというアフガニスタン戦争を雄弁に報道した気骨のある記者もいる。彼らは、バグダッドやバスラに何が起こったのかを、ずっと詳細で現実的に伝えている。
イラクの住民たちの抵抗や怒りも伝えられており、これを切り捨てた西洋のプロパガンダのように、むっつり押し黙って、クリント・イーストウッドまがいの男たちに花を投げようと待ち構えている一団として描くのとは大きく違っている。(同書より)

中野真紀子氏の詳細な訳注によれば、彼はアフガン戦争中とイラク戦争中の2度にわたって、アルジャジーラ特派員として取材中、現地支局を米軍によって爆撃され、命からがら生き延びてきた記者なのだ。もっともイラクでは同僚のカメラマン、タリク・アヨウブが殺された。
このことこそ、僕らは報じなければならなかったのだ。以前にオサマ・ビンラディンにインタビューしたことがあるというエピソードよりも。彼は、つまり、狙われていたのである。こんな露骨なことがあっていいものなのか。先週、CNNでは、このアルーニ記者の「倫理」を問う御用評論家を登場させ、アルーニ記者のその後を報じていたが、大昔にみた映画『鉛の時代』を思い出してしまった。


10月07日(火)[草の根保守と草の根リベラル〜カリフォルニア・ドリーミング]

カリフォルニア州のリコールはこちら時間の夜10時過ぎには、CNNなどが一斉に「リコール成立、シュワルツェネガー当選へ」を流し始めた。レーガン以来のハリウッド・スター知事の誕生である。リポーターたちは一様に上気・興奮している。お祭りなのだ。勝利集会の司会は何と夜のTVトークショーの超人気司会者、ジェイ・レノだった。日本の常識で言えば古館伊知朗が司会やってるようなもので「こんなのあり?」というほど露骨な立場表明。カリフォルニアは元来が民主党の牙城だったと言われる。東海岸と西海岸は違う、と。西側はずっとリベラルだ、という固定観念はあっさりと葬られた。有権者がそのように投票したのだから、その「変化」こそみるべきなのだ。それは一言で言えば、「草の根保守」の全米規模での浸透である。直接的には9・11のトラウマなのだろう。
こういう夜に、僕らは、カリフォルニアの結果を横目に見ながら、草の根リベラルというか、市民派の集会を取材に出かけた。ワシントン市内の境界で開かれた民主党のクシニッチ候補とラルフ・ネーダーの集会だ。ざっと見渡して500人くらいだろうか。2階席はガラガラだ。反戦、反グローバリズム、福祉の民営化反対、反核、死刑制度反対など、おおよそブッシュ政権の政策とは正反対の政策を掲げても、今のワシントンではこの程度しか人が集まらない。アメリカを「草の根保守」が覆っているのだ。日本の情況とどこか似ているよな、と思う。


10月08日(水)[シュワルツェネガー勝利をどうみるか]

米メディアは朝から本当にお祭り騒ぎになっている。アメリカン・ドリームの体現だというもので歓迎ムード。現状維持よりも変化を求めるリコールが成立したことへの歓迎ムードなのだろう。ブッシュ大統領はさっそくお祝いの電話を入れた。APEC参加前にカリフォルニアに立ち寄る際には「ご対面」が実現するかも知れない。けさのCNNのモーニングショーにはマイケル・ムーアが出ていた。シュワルツェネガー勝利の感想について「今のアメリカでリコール実施が決まれば、ほとんどみんなリコールされちゃうんじゃないか。ブッシュ大統領だってリコールされるだろうよ」とぶちまけていた。きのうのシュワルツェネガー勝利集会の司会をジェイ・レノがつとめていたことの「露骨さ」をアメリカ人に聞いてみても「何が悪いの?」という答しか返ってこない。「だって、シュワルツェネガーって、一番最初にジェイ・レノのTVナイトショーで出馬を宣言したじゃん。」「だから?」「TVの人気番組ともたれ合ったということでしょ。」「そうだとしてもそれが人気テレビ番組のやり口でしょ。」テレビ番組の公共性とか、政治的中立性とかそのような観念論なんか糞食らえ!ということなのだろう。これがアメリカのホンネのメディア論だ。


10月09日(木)[Yo La Tengoの演奏を見逃す]

パワフルな曲「Nuclear War」を演奏しているYo La Tengoというグループの演奏が今夜ワシントンの9:30クラブである。日本核武装論を追っている関係で、この演奏のもようを是非とも撮影収録しておきたかったのだ。「リハーサルのあいだならば、それが可能」との返事をきのうもらったので、9:30クラブへ行ったが、そこはミュージシャンの約束時間、案の定、遅れてしまって、別の予定とガチンコしたのでせっかくの演奏を聴くことができなかった。残念。森カメラマンと室谷カメラマンの2人に撮影を任せて辞去。そういう折りもおり、国務省の記者会見で、「国務省の建物を核爆弾で吹っ飛ばしてしまえ」という物騒な言葉をテレビ伝道師がテレビで喋ったというので、質問が飛んだ。きっかけはジョエル・モーブレイという記者の新刊書『危険な外交〜国務省はいかにアメリカ人の安全を危険に陥れているか』の感想として発した言葉なのだという。なるほどね。ジョエル・モーブレイという記者の名前はよく覚えている。去年、国務省の機密公電を持っていると会見で発言して身柄を拘束された記者だ。きわめて右寄りの主張の持ち主だ。ワシントンに来たばかりの頃、この取材をしたけれど、オンエアは持ち越しになっていた。Nuke Them! というのは、9・11の直後にNYでも聞かれた言葉だというけれど。


10月10日(金)[フラストレーションを解消するために]

仕事やそれにともなう雑事で、胃液が多量に分泌されてしまうような理不尽なことが起きると、日本の「まあまあまあ、穏便に」型社会では、事を荒げない方向に、荒げない方向にと動きがちだ。だって組織だもの、というわけだ。そういう積み重ねが、実は、組織そのものをダメにしていくことが多い。問題が起きた時には、その時にすぐに、何がダメで何がアンフェアなのかを提示していくべきなのだと思う。そういうたぐいのことが身辺で起きたものだから、ちょっとばかりフラストレーションがたまった。メディアの振る舞いについて、アメリカのメディアのヒドさが、イラク戦争以来きわだっているという思いから、昨夜はサイードの講演などのテープをみていて、結構感動したりした。モノを言わなきゃダメだよな、と。
フットボールの黒人クォーターバックを蔑視する発言をしたラッシュ・リンボウが鎮痛剤の常習中毒になっていたとして30日間のリハビリに入ると突然発表したらしい。ああいうフラストレーションの固まりのようなトーク・ラジオのホストのようにはなってはダメだ。
というわけで週末はゆっくり好きな音楽を聴き、うまいものを食べ、レッドソックスとヤンキースのテレビ観戦でもするか?もっとフラストレーションがたまるかな?


10月11日(土)[小泉・ブッシュ両首脳はウマが合う]
読みたい本がたまってきた。ワシントンは月曜日のコロンバス・デー休日まで3連休。去年も感じたことだが、11月のサンクス・ギビング・デーあたりから、人々はすっかりお休みムードに突入するので、この10月はそこに至るまでの準備段階、つまり凪(なぎ)みたいな感じで弛緩気味になる。17日からのブッシュ訪日も、オフィシャルな行事ではなくて「息抜き」(米高官)だという。今朝のワシントンポスト紙は、東京発の記事で、小泉首相が自衛隊派遣とイラク復興支援(つまりカネを出すこと)をブッシュ大統領に直接約束する、と報じている。米高官は、小泉首相とブッシュ大統領は本当にウマがあう、と言っている。共にカウボーイ好きで、ゲーリー・クーパーが大好きで、decisve(直決型)だと。日本の親米派、反米派がともに饒舌になって、知米派の人々が口をつぐむ奇妙な情況が続いている。

10月12日(日)[格闘技としてのベースボール]

スポーツ競技で勝ち負けの結果がつけられれば、世の中はかなり平和になるだろう。アメリカとイラクが2年くらい前にサッカーの試合でどっちの言い分が正しいか白黒をつけていたら、無駄な人死には避けられたのかもしれない。でも、そうはならなかった。白黒にこだわるアングロ・サクソン気質というか、アメリカ人のスポーツでの勝ち負けへの執着は、ほとんど病気に近い。きのうのNYヤンキースとボストン・レッドソックスの試合は、因縁が絡まりすぎていて、外国人である僕には想像できないくらいの勝ちに対する執着が込められていた。だから、あんな乱闘事件まで起きてしまったんだろう。NYヤンキースのあの72歳の老コーチが、果敢に突っ込んで行って、逆にレッドソックスのピッチャーに投げ飛ばされるシーンは、「教育上よろしくない」とかそういうレベルを通り越して、実に感動的だった。で、今日は雨で「水入り」。あのまま殺気だったまま今日の試合に突入すれば、また一悶着あったに違いない。そういう意味では、雨は天の配剤か?


10月13日(月)[サイモンとガーファンクルが完売+追加公演]
もう記憶の彼方だけれども、若かりしダスティン・ホフマン主演の『卒業』なんていう映画をみたのは、生まれ故郷の北海道旭川市で、まだ中学生の頃か。つまり30年以上も前のことだろう。その映画のなかでテーマ「ミセス・ロビンソン」を歌っていたサイモン&ガーファンクルの再結成公演が、今月18日から全米で始まる。ここワシントンでも12月14日にMCIセンターであるというので、チケットの売り出しが始まったのだが、あっという間に「完売」。一体どういう人が見に行くんだろう。すると、15日に急遽追加公演があるというので、買ってしまったのだ。そうか、つまり僕のようなオヤジやオバハンが見に行くのか。アメリカの歌手の寿命=息の長さは想像を絶するものがあって、僕がワシントンに来てからも、このワシントンで、ボブ・ディランとかシェールとか、来週もジョーン・バエズとか、わけのわからない古手が堂々とコンサートをやらかしている。シェールなんか、それこそ、ソニーとシェールの頃から聞いてたぞ。その彼女、整形に整形に整形を重ねたお化けみたいに今だバリバリの現役でやってるんだから恐ろしい。もっともシェールは、「これが最後のステージ」というのがこの所の売り文句にはなっているが。日本って、そういう意味じゃ、歌手ってティッシュぺーパーみたいに使い古され、捨てられる。本当の意味でタレント=才能を大事にしてないよな、と思う。というわけでまだまだ先の話だが、サイモンとガーファンクルは見に行く。

10月14日(火)[沖縄の米軍基地と北朝鮮有事の関係]

米公文書館は宝の山だ。何しろ、その時々の政府がいかに国民を欺いてきたのかが、公文書という動かぬ証拠を通じて、よーくわかるのだから。そういうことが最もわかるのが「密約」(Secret Agreement)の存在を直接間接に示す文書類だ。朝鮮有事を想定した「密約」は、沖縄返還交渉の際に、さかんに日米韓のあいだで協議された。
実は日米安保条約の裏には、朝鮮半島有事の際は、在日米軍基地は、「無制限に」アメリカ軍が自由使用できるという「密約」がある。「無制限に」意味は、核兵器の持ち込みを含めての謂いである。1969年〜73年当時の米公文書を読むと、まるで、現在の日米韓の協議文書を読んでいるみたいな錯覚を覚えてしまう。それほど、基本的なスタンスは変わっていないのだから。歴史から学ぶとはどういうことなのか?そういう意味も含めて、セリーヌの小説を読み始めた。


10月15日(水)[メジャー・リーグの真剣勝負を妨げた男]

CBSのイブニングニュースをみていて驚いた。きのうの大リーグ・プレーオフの試合中、ファウルボールを観客席最前列でキャッチしようとした男性が、結果的に味方選手(カブス)の守備を妨害してしまって、それがもとで大逆転されてしまったということがあった。イブニングニュースは、その男性の身元を写真入りで名前や年齢・職業とともに報じているではないか。地元カブス・ファンの反応も伝えていたが、身の危険を感じたこの男性は、警備員に守られながら球場から退出させられたという。大ニュースとして報じられている。カブスの「呪い」(curse)というタイトルをどこの局も使っている。カブスの呪いと言っても、日本人にはほとんどわからないが、カブスがワールドシリーズに進出した1945年にその「呪い」のもとになる事件が起きたという。チケット2枚を買い、ヤギと一緒に(!?)球場を訪れていた常連の男が、この日に限って入場を拒否され球場の中に入れなかった。それ以降チームは、長い長いスランプに陥り、「ヤギが呪いをかけた」とされているのだそうだ。この「呪い」のことだが、それが今に至るまで大ニュースのもとになるあたり、いかにアメリカ人にとって野球が「国技」であるかがわかる。
ガザ地区ではアメリカ人外交官3人が爆弾で死亡した。ホワイトハウスも国務省も素早く反応した。パレスチナ情勢への今後の影響が心配される。ヤギの呪いどころではない。そう言えば、イスラエル軍にブルドーザーでひき殺されたアメリカ人activistがいた。あれは今年の5月のことだったよな。


10月16日(木)[この政権のアジア政策の「うつろさ」加減]

イラク戦争であれだけブッシュ政権を支持してきた筈のワシントンポスト紙が、今朝の社説で、ブッシュ大統領は日本訪問を含む今回のアジア諸国歴訪で、アジア政策の理路整然としたビジョンを示し得ないだろう、と批判している。北朝鮮への対応についても、外交交渉をめざすのか体制変革をめざすのか明確な返答を示し損なっていると指摘している。経済政策についても然り。「テロリズムやイラクを超えて、ブッシュ氏のアジア政策での政策の<うつろさ>=Emptinessは悲しいことに2001年9月11日の攻撃後のブッシュ氏の外交政策を象徴している」(同紙)。日本訪問についても、日本側が訪問前にイラク復興への財政支出をすでに発表してしまっているし、それに対してホワイトハウスの歓迎声明も発表済みとあっては、実質的には小泉首相とメシを食うだけという「息抜き」日程となる公算が強い。なあに、それこそが、黒船来航以来の150年で<最良・最高の関係>にあることの証じゃないですか、という声がどこからか聞こえてきそうだけれども、そのような二国関係のありかたに、独立国同士のきちんとものを言い合える(耳の痛いことも含めて)関係を欲しているごく普通の日本人の間からは、「弱腰外交」だの「従属外交」だの「帝国〜属国」だのと言ったコトバが出てくる下地があるのかもしれない。こういうコトバのエモーショナルな効果には危険な部分さえ含まれているが、今が<最良・最高>だとすれば、今後のニチベイカンケイは、今より悪くなるしかないということになるけれども。どこで何を食うか?とりあえずそこを見ておこう。

10月16日(木)番外編
[NYヤンキースとレッドソックスの死闘における松井をみる]

と、以上のようなニチベイカンケイではない本当に意味のある日米交流を今夜みた。NYヤンキースとボストン・レッド・ソックスのワールドシリーズ進出をかけたプレーオフの死闘(第7戦)である。本当に頑張っている松井の姿をみて感動してしまう。試合は松井の活躍が光った。ギリギリで5−5に追いついたのも松井の功績大だった。結局、延長11回味方のサヨナラホームラン(Game Ending Home Run)で劇的な幕切れ。この瞬間、ホントに掛け値なしに松井はヤンキースの不可欠の戦力になっていたものなあ。ところで何でいつのまにか僕は松井を応援してるんだろう?


10月17日(金)[Layover(乗り継ぎ時間/途中下車)の滞日]

CNNのジョン・キング記者の東京からのリポートをみていたら、ライス補佐官がアジアAPEC歴訪のバックグラウンド・ブリーフィングで思わず漏らしたホンネの言葉を使って、日本訪問の意味を皮肉っていた。
「東京でのLayoverの間、大統領夫妻は小泉総理と夕食を共にし」云々。睡眠時間を含めて17時間の滞在時間の意味は「Layover」だと言いたいのだろうが、その割には日本はとても重大な決断を行ったのだ。イラク「戦後」復興で、過去にはない「戦闘地域への自衛隊派遣」と「(湾岸戦争の失敗を繰り返さないための)素早い財政支出表明」をやってのけた。日本にとってはとても大事なことだが、このことがどれだけアメリカの普通の市民に伝わっているのだろうか?「日本はATMマシーン(現金自動引出し機)ではない」とは米高官の言葉だが。自衛隊が「自衛」行動ではない任務で戦闘継続地域(現に昨日も米兵が戦死し、これで戦闘終結宣言以来の米兵戦死者が100人を超えた)に出ていく。何かがなし崩しに遂げられている。


10月18日(土)[ワシントンポストの大きな2ショット写真]

今朝のワシントンポストの国際面には、ブッシュ大統領と小泉首相の2ショット写真が大きく掲載されている。ノーネクタイでくつろいだ姿。2人とも満面の笑みを浮かべている。その後ろに「遊心亭」という看板。元赤坂の迎賓館・和風別館なのだそうだ。掘り炬燵でくつろいでという演出だったらしい。クロフォードでのテキサス流のもてなしへの返礼ということだろう。大昔のロン・ヤス時代に、訪日したレーガン大統領を、中曽根首相がどこだかの純和風別荘みたいな所に招待して、法螺貝か何かを吹いていたシーンを思い出した。その小泉首相は、中曽根、宮沢といった歴代首相の党公認に難色を示しているらしい。もうそろそろ引退なさいませんか?と。時代は変わる。けれどもニチベイカンケイは変わらない。


10月19日(日)[神(God)と国家と軍の「三位一体」]

米陸軍のウィリアム・ボイキン中将という人物がいる。彼は、国防総省の諜報部門の次官代理を務めている高官だが、熱烈な福音主義キリスト教徒(evangelist)で、教会の集会に軍服姿で演説したなかでその心情を吐露した部分が論議を呼んでいる。ボイキン中将は、イスラム勢力との戦争について「悪魔(Satan)との戦い」と述べ、ソマリアでの軍事行動の際に戦ったイスラム兵について「我々の神は彼らの神よりも偉大だ。我々の神だけがホンモノで、彼らの神は偶像(idol)だ」などと語っていたという。その演説の映像はNBCなどが放映していたが、今朝のABCのインタビューでライス補佐官が「宗教戦争にするのは間違いだ」と批判していた。国防総省内では、ラムズフェルド長官も、マイヤーズ統合参謀本部議長も明確に批判することを避けていた。キリスト教右派といわれている人々は、ブッシュ政権の成り立ちに深い影響力をもっている。イラク現地に赴き、布教活動を行っているグループもいる。よこしまな宗教から正しい宗教に改宗させようと心の底から信じ込んでいる人たちだ。イスラム教を露骨に敵視する発言を行ったテレビ伝道師のフランクリン・グラハムは、ブッシュ大統領の就任式に出席して「説教」を行った人物でもある。父親のビリー・グラハムも「イスラム教は邪悪な宗教だ」と公言する人物だ。今日は日曜日だが、日曜午前のテレビ伝道師の番組をみていると、この国はかなり「キリスト教原理主義だよな」と思ってしまう。日本人である僕には、昨夜のヤンキースVSマリーンズのワールドシリーズの試合中に「God Bless America」が当たり前のように歌われ、その歌手の横に海軍の若い兵士が直立不動で立って敬礼している姿に、奇妙な違和感を覚えてしまう。God(神)と国家と軍の三位一体ぶりに。
こういう国で、ジョン・レノンはよく「God」なんていう曲を歌えたもんだとつくづく思う。


10月20日(月)[「安全の保証」という語の難解さ]

北朝鮮の核開発放棄と引き換えに、アメリカ、日本、韓国、中国、ロシアなどが北朝鮮への「安全を保証」する(Security Assurance)何らかの文書を策定する考えがあるという。APECミーティングでの話し合いなどで、この線で調整が進んでいるとのことだ。ブッシュ大統領もバンコクで文書化の検討を初めて明言した。不可侵条約は論外。この「安全の保証」というのが具体的に何をどのように保証することを言うのかよくわからない。実にわかりにくい概念だ。米政府高官はSecurity Guaranteeという言葉も慎重に避けている。「保証」であって「保障」ではない。その一方で、ブッシュ政権はこれまで「あらゆるオプションを放棄しない」とも言ってきている。ブッシュ・ドクトリンの最大の特徴は「先制攻撃」つまり「やられるまえにやれ」だから、北朝鮮が核開発を放棄したと、ただ宣言しても、それが確証されない限り、先制攻撃オプションは保持するということなのだろう。北朝鮮の狙いは、「安全の保証」ではなく「現状の政治体制の維持を確約せよ」という要求に限りなく近いのだから、つきつめて考えれば、対立点は全く消えていないのかもしれない。そのことを突き詰めずに、ある種の曖昧な領域を残したまま、「安全の保証」という言葉が一人歩きしているような印象が強い。とにもかくにも、あの国は、短期間でかあるいは長期間でかは確言できないが、変動が起きるだろう。


10月21日(火)[セリーヌの「夜の果てへの旅」は現在に響く]

人から奨められて読んだ。セリーヌだ。セリーヌと言っても、バッグじゃないし、歌手でもない。ルイ・フェルディナン・セリーヌ。呪われた作家と言われている。『夜の果てへの旅』は見せかけのヒューマニズムに対する呪詛に彩られているが、ここに描かれているアメリカがとても面白い。セリーヌ自身のアメリカ実体験に基づく記述に、当時のフランス知識人のアメリカ観が滲み出ていて面白いのだ。いずれにせよ、こういう深い味わいの小説を読むと、人間という生き物はちっとも「進化」なんかしていないと思ってしまう。第二次世界大戦前夜に書かれた作品だというのに、この作品は今という時代にも、いや今だからこそ、深く深く響いてくる。進歩?それどころか僕らは「退化」しているのではないか。というのは戦争に関する主人公の独白から感じることだ。ナチス協力の戦犯容疑に問われたという過去の経緯はよく知らないが、国書刊行会というマイナー出版社の充実したセリーヌ作品をゆっくり読んでいこう。


10月22日(水)[イラク戦争は思うように行っていない]

ラムズフェルド国防長官のメモが出回っているというのでちょっとした騒ぎになっている。普段は威勢のいいことを言っている長官だが、このメモの内容を読む限りでは、対テロ戦争が「ながくつらい戦いになる」ときびしい現状認識を示している。メモは10月16日付け。ウォルフォウィッツ副長官やファイス次官ら3幹部にあてたメモだ。いわく「私の印象では、真に大胆な手段を講じていないのではないかと思うのだ。もちろん、精密かつ論理的に正しい方向を歩んでいるのだが、だが、これで十分だろうか?」つまりラムズフェルド長官は現状に強い不満を抱いているのだ。実際、イラクでは「戦闘終結宣言」以降の米兵戦死者が100人をとっくに超えている。イラク占領中の米軍内に自殺者が増えているという情報や、戦意喪失が顕著という内部調査の結果もある。いいことばかりが起きてはいない。アメリカ人は安心して海外を旅行できなくなった。セキュリティ・チェックはどこもかしこもとても厳しくなっている。アメリカは安泰ではない。その現実にどこまで向き合うか。ラムズフェルド・メモはそのことを考えるきっかけになるのだろうか。興味深いのは、こういうメモが流出するメカニズムだ。どのような経緯が、あるいは「狙い」が込められているのだろうか?


10月23日(木)[豪議会での米大統領演説に2人の議員が]

APECを終えて、同盟国オーストラリアのキャンベラを訪問したブッシュ大統領は、5000人ほどの市民の反戦デモで迎えられた、と今朝のカーラジオで聞いた。また、連邦議会での演説中に、2人の国会議員が抗議の意思表示をしてヤジり退席させられた。その映像をみていたが、英国議会風の与野党対面型の議場の反応は、賛意をあらわすのに一斉に「イエー」と言う。そういうなかでの反対の意思表示。ブッシュ大統領は「I Love Freedom of Speech」と応じていた。そう言えば、日本の国会演説の時はどうだっただろうか。何も記憶に残っていない。国賓の議会演説は公式行事なので、その進行を妨げるというのは、礼を失することになるので、そういうことはしてはならないのだ。というように、例えば日本の全議員たちが(一人残らず)考えていたのだろうか。CBSのジョン・ロバーツ記者は、デモ警備をバックにキャンベラからリポートしていた。大統領の留守中だというのに、ここのところワシントンでの仕事が増えて少し疲れ気味になっている。
ところで、スペイン警察に逮捕されていたアルジャジーラのアルーニ記者が保釈されたようだ。理由は「健康上の理由」と報じられているが、この記者の逮捕劇には、以前記したように強い疑念がつきまとう。スペインでは、あるいは中東諸国では、この記者のことが問題化しているのだろうか。


10月24日(金)[テレビ界に蔓延する病気について]

この季節にしてはあたたかいの日差しのなかを朝、支局に着いたら、いきなり、日テレ視聴率操作事件のことを知らされた。きれいごとを言うつもりはない。自分もテレビで仕事としている人間なのだから。ただ「そこまでやってたのか」という半ば呆れる気持ちがまず浮かんだのだが、徐々にいやあな、いやあな気持ちになってきた。というのも、こういう「病気」に、テレビ報道も含めて、日本の、そしてここアメリカのテレビ界も、深く深く冒されていることを知っているからだ。バラエティ番組の世界のことはよく知らないが、僕が本当にヤバいと思うのは、テレビ報道の世界もこういう「病気」に最も深く冒されていることを知っているからだ。イラク戦争の報道でもそのことを実感したし、日本の夕方に並ぶニュース番組の中味をみても時々そのようなことを感じることがある。何でこんな放送を流しているんだろうとか。NHKのニュース定時番組もずいぶんと変わってきた。硬派、ハード路線で続いてきたような「報道番組」も、それ自身がエンターテインメント番組になりつつある。そういう現象を生じさせる最も大きな動因は数字=視聴率である。制作者・取材者の立場からみれば、自信をもって伝えたい番組は、なるべく多くの人に見て欲しいと思うのが自然の感情だろう。けれども、異様に多くの人が見すぎるというのは、ちょっと気味が悪い。オウム事件報道の時にそのことをいやというほど思い知った。ときおり、テレビは「発情」する。50年の歴史を重ねた日本のテレビの内容は劣化していないか?僕らは自分たちの足元を見つめなければならないと思う。そのためには「評論」するのでなく、みずからの放送でそれを示すことだ。


10月25日(土)[土曜夜のブロードウェイは眠らない]

所用でニューヨークに来ている。いつもながらこの街はエネルギッシュで、田舎のワシントンから来ると疲れる。人が街を歩く速度が速いし何か「戦ってるなあ」というイメージ。夜のブローウェイにもしばらくの間いたが、人が溢れるほどいる。新宿とか渋谷を思いだした。夜になってもみんな遊び続けている。「楽しもう」というエネルギーに溢れているのだ。Show Must Go On. くだんのヤンキースVSマリーンズの試合は、ホテルのバーのカウンターに陣取っているヤンキースファンらに混じってみていたが、試合がマリーンズ勝利で終わるや、バーの端っこの方で拍手が上がった。圧倒的少数派ながらマリーンズファンもこのバーにいたのか。四番・松井は元気がなかった。今年からヤンキースに来て重責を担った松井もこれでちょっぴり肩の荷が下りたことだろう。


10月26日(日)[ショーン・ペン主義者への道]

今日で夏時間も終わり、1時間時刻が戻ったので、何だかやたらと夜が長いような気がして映画館に出かけた。話題のタランティーノ監督の『キル・ビル』か、ショーン・ペンらが出演する『ミスティック・リバー』かどちらにしようか迷ったが、後者を選んでみてホントによかった。『スタンバイミー・地獄篇』っていう感じだろうか。Tim Robbinsが泣けてくるほどよかった。ショーン・ぺンの存在感たるや、だからあれだけ政治的に明確なポジションをとっても「消されない」実力があるということなんだろうなあ。ストーリーの展開ぶりも緊張感が緩まない仕掛けがいくつも施されていて、よく出来た映画だと思う。きっと『キル・ビル』をみたら、こんなふうな心地とは正反対の気分jだったんじゃないだろうか。ただ、僕は「復讐権」「あだ討ち」は、西部劇でなら認められるのだろうが、罪業は罪業なのだと思っているのだ。おっと、これ以上あらすじ風のことを書くのは野暮というものだろう。今後は「ショーン・ペン主義」を標榜しようか。


10月27日(月)[フロリダの安楽死論争の背景に何がある?]

今夜のCNNラリーキング・ライブのゲストには、今、大論争になっている出来事の主人公が登場した。フロリダの病院で、心臓発作の後遺症のため13年間、意識が戻らないままpersistent vegetative state(遷延性植物状態)にある39歳の女性がいる。その女性の「安楽死」措置をめぐって、渦中の夫が弁護士とともに出演したのだ。こういうところがいかにもアメリカである。何でも曝す。ただでさえ、「安楽死」をめぐる論議は複雑なのだが、このケースの場合、裁判所が夫の主張どおり「安楽死」を認める裁定を下したのちに、両親らが猛烈な反対キャンペーンをはって、結果的に、州議会がジェフ・ブッシュ知事(ブッシュ大統領の実弟)にover-rule(越権)を認める法案を通してしまった。その結果、一旦はずされた栄養補給のためのチューブが、知事の命令で再び取り付けられたのだ。チューブを外せば1週間から10日で死亡するとみられていた。両親らは、かすかに反応する娘のビデオテープをもとに「回復の見込みがある」と言い張っている。対立の背景には金銭的な問題もあるようだ。中絶反対運動らを推し進めるキリスト教右派の市民らが「安楽死」阻止を訴える両親の立場を強く支持している事情もある。それにしても、ラリーキング・ライブに出演した夫氏は、視聴者からの仮借ない電話質問にどんどん答えていた。
「なんで離婚して奥さんの世話を両親に任せないのか?」とか。みているうちにイヤな気分になってきた。何でも晒し、何でも論じ合う社会のありように、やはり違和感を覚えてしまうのだ。このテーマも、メディアにとっては「消費」の対象なのか?


10月28日(火)[他人の不幸は蜜の味?]

日テレの視聴率買収プロデューサーの話は、テレビを仕事とする人間にとっては、他人事ではない、いやあな話だ、とちょっと前に書いたが、日本の某テレビ局ではこのニュースが伝わるや局内で大歓声があがったそうである。「ざまあみやがれ!」というわけだ。他人の不幸は蜜の味か。日本の新聞のはしゃぎ方も尋常じゃない。まったく、テレビって奴らはどうしようもないよな、という視線のようなものが記事から滲み出ているものもある。アメリカのテレビ業界の視聴率競争も、日本以上の異常なものがある。何しろ、みられるためなら何でもアリ。大昔の映画、フェイ・ダナウェイの『ネットワーク』なんかの時代はまだかわいいもんだった。その後の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に出てくるクレイジーなテレビ・プロデューサーは、犯罪の実況中継をやらかすのだが、そんなのは米テレビの犯罪報道や警察密着モノのテレビ番組に、似たようなのが、わんさか登場してくる。米テレビが、戦争の実況中継をやらかしたのは、ほら、ついこのあいだのことだ。それでFOXニュースは視聴率で大躍進した。基準を変えること。このことが求められている。数字の大きさを競うだけの単細胞や、F1M1至上主義のマーヶティング馬鹿と袂を分かつ新しい基準が必要なのだ。それにしても、本当に他人の不幸は蜜の味か?


10月29日(水)[亡命者との5年ぶりの邂逅]

ファン・ジャンヨップ元書記は北朝鮮から亡命したなかでは最も高い地位にいた人物だ。その人物に5年ぶりに会った。前回は韓国ソウル市内の安企部の施設(安家=あんか)という場所でだった。そこへ向かう間での車の中で目隠しをされたので、正確な場所はわからない。前回は3時間半におよぶインタビューが許されたのだったが、今回のワシントンではそうは行かなかった。わずか30分。ワシントンの某ホテルでのインタビューはかなりきびしい条件のもとで行われた。実際に再会してみて何かが変わったという印象を受けた。何があったのか。それはよくわからない。ただ、具体的な事実の確認をされることを極端に警戒して嫌がる。北朝鮮の核兵器の所持の真偽とか、拉致事件とか。不正確なことを言いたくないということなのだろう。けれども、それ以上のバイアスのようなものを感じてしまう。インタビューの行われた部屋には、10人以上の「身内」が同席していて、そのうちの2人はインタビュー中にしきりにメモをとっていた。また微妙な質問になると、何かファン氏はしきりに真横の男性に視線を移していた(ように感じた)。いずれ時間が許せば、もう一度胸襟を開いて話をしたいものだと思った。81歳になるファン氏の家族の消息は不明だ。強制収容所に送られたとか自殺説や事故説などが飛び交っている。あれほどの独裁体制の監視国家である。確実に報復を受けているのだろう。悲しい現実がこの人物の背後にある。


10月30日(木)[アメリカのテロ恐怖症は相当に重症だ]

天気がいい。散歩でもしたくなるような。国務省への黄元書記のアーミテージ副長官訪問の入りの撮影に立ち会おうと思っていたら、MSNBCが騒いでいる。議会ビル(キャノン・ビルディング)に銃を持った人物が侵入したという第一報だ。大したことないだろうと思っていたら、議会ビルが警察によってLockdown(封鎖)され、中にいた議会職員らが全員外に出されているではないか。天気もいいし、森カメラマンと一緒に議会ビルに出かけてみると、ちょっとした騒ぎになっている。僕らと同じ報道陣がいっぱい。情報では、白人女性、20〜25歳、ピンクのシャツにカーキ色のパンツ、黒のバックパックに38口径のリボルバーを所持していたとか。誰何されて建物の中に逃げたとか。まあこれだけのカメラマンがすぐには集まるのだな、と思うほど次々にカメラマン・記者らが集まってきた。あちこちで「避難」してきた人への路上インタビューが始まる。SWAT(特別機動隊)なんかが慌ただしく中に駆け込んでいく。結局、議会職員があしたのハロウィーン用の衣装とプラスチックのオモチャの銃を持ち込んでいたことが判明。まったく人騒がせというか、大げさなんだよなあ。オモチャ一個で大騒ぎになってしまうこのアメリカの治安警備状況。これも9月11日の同時テロ事件以降のトラウマなんだろう。空港で靴を脱がされるのも慣れっこになってしまった。
このことがコワいと思う。


10月31日(金)[ハロウィーンの日の発砲事件]

アメリカはハロウィーン商戦が好調とか。この週末は天気もよく、今日は午後早い時刻に人々は帰途に着いている。そんなおり、テレビでショッキングなシーンが映し出されている。カリフォルニア州の裁判所の敷地内で、男が無造作に背広姿の男(弁護士)に至近距離から発砲しているのだ。撃たれている方は、必死に木の陰に隠れてよけようとしているのだが、驚くのは、撃っている方が実に無造作に何発も続けて(8発くらいか?)発射していることだ。
そして撃ち終わるや、何事もなかったかのように、すたすたと歩き出しているではないか。結局は、この発砲男は取り押さえられるのだが、発砲の様子がたまたま別の取材で裁判所の敷地内に来ていたカメラクルーによって撮影されているのだ。それでこのシーンは何度も何度も放送された。銃社会の狂気は、例のマイケル・ムーアの映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも告発されていたが、今日はたまたまハロウィーン。数年前にハロウィーンの扮装をした日本人留学生が撃たれて死亡した不幸な出来事があったことを思い出した。ハロウィーンでかわいらしい扮装をした子供たちがキャンディーをもらいに来るたびに、そういうことが二度と起こらないようにと願わざるを得ない。そのためには銃信仰から脱することだと思うのだが、今のアメリカ社会の「力の信奉」の原理はそう簡単には変わるまい。

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