04月03日(日)[ヨハネ・パウロ2世の死去と宗教右派の台頭]
再び東京にいる。滞在しているホテルでCNNをつけると延々とローマ法皇死去のニュースをライブで伝えている。ポーランド生まれのこの法皇が果たした政治的な役割は、これから歴史の中でしっかりと評価されるだろう。それにしても、欧米社会でのこのニュースの大々的な報じられ方。日本では考えられない一大事なのだ。クリスチナ・アマンポール記者がバチカン前の広場から号外を手に刻々と報じている。そして、もっとも考えてしまうのは、死去のタイミングだ。最近のアメリカ社会の空気の変化を感じ取ってきた立場からみれば、例のテリ・シャイボ尊厳死問題で否が応でも見せつけられた宗教右派の台頭ぶりとひきかえに、この非戦・平和主義者の法皇の死は何か象徴的な決定的な「変化」を物語っているように思われるのだ。一体誰が後継の法皇に就くのだろうか。ブッシュ大統領夫妻が、去年6月、イラク戦争後に法皇を訪ねた際の奇妙な光景を思い出す。ブッシュ大統領は何と法皇にアメリカの「自由勲章」を授与するとか言って、英語で文言を読み上げたのだが、法皇は全くそんなものに耳を傾けていない様子だった。その代わり、法皇が指摘したのは、『ここ数週間で嘆かわしい出来事が明らかになった』と例のアブグレイブ収容所での虐待事件を非難していたのだ。とは言え、今の流れの中では、こうした出来事も追悼色一色のなかでなかったことのように葬られるだろう。

04月05日(火)[授賞式の夜に考えたこと]
今回の一時帰国は、幸運にもいただくことになったボーン・上田賞の授賞式に出席するのが主な目的だった。2002年にワシントン支局に赴任して以来、こんなに長く東京に滞在することはない。久しぶりの東京は、ワシントンとあまりにも空気が違っていて、異邦人感覚を刻々と味わう。ただ、食べ物が本当に美味しい。気をつけなければならないのは、日々のニュースが徐々に自分から遠ざかっていくような奇妙な感覚に襲われることだ。つまり、ワシントンにいる時は、無意識のうちにニュースを集めることに神経が集中していたということだろう。午後6時から日本記者クラブで行われた授賞式&立食パーティーには、懐かしい顔ぶれの方々に集っていただいた。自分の所属する会社の外の人々になるべく多く声をかけていただいた。自分のこれまでの仕事を振り返ってみて、そういう会社外の人々にお世話になったことが多いからだ。外とのつながりこそが大事だ。受賞の挨拶では、自分の考えていたことをあけすけにお話ししたが、何しろさまざまな偶然が重なって今回の受賞の運びになったことだけは確かだ。謙虚に自己研鑽を続けることをめざすこと。それが授賞式の夜に考えたことだ。

04月06日(水)[ピーター・ジェニングスの肺ガン告白]

泊まっているビジネスホテルではCNNが見られるのでつけていたら、ラリーキング・ライブにABCテレビのアンカーマン、ピーター・ジェニングスが生出演しているではないか。いよいよ最後の大物アンカーも引退か?と思ってみていたら、肺ガンにおかされていることを告白し、来週からchemotherapy=化学療法を受けるという。ただ、番組は続行するという。よかった。3大ネットワークのアンカーが続々交代するなかで、先週は、ABCの『ナイトライン』のテッド・コッペルが12月で番組を降板すると発表したばかりだ。すでに降板したNBCのトム・ブロコウ、CBSのダン・ラザーらも加えてみると、個人的にはピーター・ジェニングスが一番好きなアンカーマンだ。彼が消えてしまったら、本当にまともなアンカーがいなくなってしまう。まともなアンカーマンが消えると、それに代わってまともじゃないアンカーもどきが登場したりすることもある。それでテレビがダメになる。それはアメリカでも日本でも同じだろう。


04月08日(金)[尊厳死メモは誰が書いたのか]

故テリ・シャイボさんの尊厳死問題で議会が「政治介入」(栄養補給チューブを再装着するように求める法案を決議した)した際に出回ったメモがある。共和党にとって、このケースに積極的に「政治介入」することが有利になると記したメモなのだが、一体このメモを誰が書いたのかをめぐって、フリスト共和党院内総務らの名前があがったりしていた。ところがワシントンポスト紙のマイク・アレンの記事を読んでいたら、何と、フロリダ州選出の共和党マルチネス上院議員の法律顧問ブライアン・ダーリング(39)が、自分がこのメモを書いたことを認め、法律顧問の職を辞任したという。マルチネス上院議員は、かねてからメモ作成への関与を全面否定していただけに、打撃を受けたことは間違いないだろう。面白いのは、このメモに「ねつ造」説が根強くあったことで、ブログが例によって、CBSのブッシュ大統領軍歴疑惑報道の文書の例を挙げながら、メモの信憑性に疑問を呈していた。ブログとMSM(メインストリーム・メディア)の関係。そこに「相補関係」をみるひともいるが、僕はブログに対してそれほど無邪気な期待感をもっていない。米メディアのこのあたりの空気を特集サイズで、夜のニュース番組で放映したが、メディア論が不在の日本では、こういう特集がうまく伝わるかどうか不安だ。


04月13日(水)[殉職ジャーナリストが米慰霊碑に加えられる]

2004年に取材中に何らかの理由で死亡したジャーナリストの数は78人。この数字は1812年以来、過去3番目に悪い記録だそうだ。第二次世界大戦中に殉職したジャーナリストは63人、ベトナム戦争も63人という統計がある。ヴァージニア州アーリントンにあるFreedom Forum Journalists Memorialという慰霊碑に、この78人の名前を刻んだガラス・パネルが加えられる。5月3日の「世界報道自由の日」(ユネスコ制定)にそのセレモニーが開かれ、CNNのジュディ・ウッドローフ記者が献辞を述べることになっている。「報道が真実を語らなければ、そして生きながらそれを語らなければ、真の自由はない」とは彼女の言葉だ。この78人のなかには、2004年の5月27日、イラクのマハムディアで取材中に不慮の死を遂げた日本の橋田信介さんや小川功太郎さんも含まれている。アルジャジーラの記者や多くのフリーランス・カメラマンも含まれている。死んでしまってから初めて「ジャーナリストの共通の王国」があるかのような、この最後の一線。現実的には、ジャーナリズム内部は、分裂と対立と党派性ですっかり弱体化しているのだが。


04月14日(木)[ジェーン・フォンダ、33年目の「謝罪」?]
NY出張ややるべきことが重なり、まともな取材ができない。そんななかで、是非とも会いたいと思っていた女優の一人、ジェーン・フォンダの講演夕食会がナショナル・プレス・クラブであったので出かけてみた。彼女が最近出した赤裸々な自伝『My Life So Far』がベストセラーになっていて、さまざまな話題を呼んでいる。実は、イラク戦争開戦の前後にインタビューを申し込んでいたが、いずれも実現かなわず、何とか本人と話がしたいと思っていたのだ。このチャンスを逃す手はない。今夜のワシントンの最大関心事は、何と言ってもメジャーリーグのナショナルズの地元デビュー戦で、ブッシュ大統領が始球式をとりおこなうらしいが、そんなことには目もくれず、ナショナル・プレス・クラブに向かった。今年67歳。すでに孫がひとりいるとはとても思えない若々しさ。
「ハノイ・ジェーン」の異名で、米保守層から国家の裏切り者として断罪され続け30数年。その理由のひとつが、ベトナム反戦活動の一環として、1972年に北ベトナムに渡り、そこで北ベトナム軍の対空砲陣地を訪れ、はしゃいでいた彼女のフィルム映像がある。自伝ではこのことを「謝罪」した記述があるが、そのニュアンスは自分の軽率な行動がプロパガンダに利用されたことを悔いているのであって、ベトナム反戦運動そのものを「謝罪」しているのではないことは明らかだ。
このあたりを彼女は次のように明言していた。

I am apologizing for one thing. One terrible mistake that I made - when I sat on an antiaircraft gun and was photographed. I didn't pose there, I just, I didn't think what I was doing and I sat down and I was photographed. And that is what I have apologized for. I didn't apologize for going to North Vietnam, I am proud that I went. I think it helped end the bombings of the dykes. 300 Americans had gone before me. Right after me our former attorney general Ramsey Clark went. I am proud of that. Every American who tried to oppose that war in whatever way they could are the real patriots.

強靱な意志は今現在も健在である。そして、だからこそ、彼女は今も「ハノイ・ジェーン」として標的にされ続けているのだ。

04月16日(土)[高田渡=酔いどれ詩人の死去]
朝早く、歌手の高田渡さん死去のニュースを受け取る。ああ、また一人去っていった、という思いに包まれる。あれはいつだったか、自分が担当していたニュース番組に高田さんに出演していただき沖縄の詩人、山之口獏の詩をモチーフにした歌をライブで歌ってもらった。控え室として会議室をとったら、そこで、オンエア前にかなりの量の缶ビールを所望され、ダイジョブかな?と迷いつつ、ビールを買いに行ってもらった記憶がある。高田さんの歌は、真性「酔いどれ詩人」の紡ぎ出す人生の一片の真実だ。じわじわと心にしみこんでくる。今でも僕の心にもそのシミが消えずに残っているので、困りものだ。56歳だって? 僕よりたった5歳しか歳が上だったんじゃないか。ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』の残りを読んでしまおう。

04月17日(日)[造園家(landscape architect)としてのライス国務長官]
ワシントンポスト紙のOUTLOOK欄にライス国務長官を褒め称える記事が載っている。腰痛再発の兆しがあるので、スイミングプールでかなり泳いでから、サウナに入ってポスト紙を読んでいたら目にとまったのだ。Derek Cholletが書いたその記事は、若干「提灯記事」風ではあるけれども、例えが面白い。レーガン政権に仕えたシュルツ元国務長官の比喩に従えば、国務長官の仕事は庭師(gardener)のようなものだという。同盟の協調を保ち、悪いタネを早めに摘んでおき、実りを食い荒らす害虫を早めに駆除するという仕事。ところがライス長官の場合は、それとは違っていて、世界のなかでのアメリカの役割を再構築すること、世界の現状をあるがままに受け容れることではなく、それを造りかえることだと指摘している。『ライス女史の野望は単にgardenerであることではなく、造園家(landscape architect)になることだ』。なあるほど。自由の拡大。世界中のあらゆる場所に(アメリカの信奉する)自由を拡大すること。ロングブーツを履いてさっそうと闊歩するライス女史のイメージを、この筆者は肯定的に受け止めているようだけれども、世界のほかの国々の人々も同じ思いを抱いているとは限らない。彼女が、庭園の設計図を描く時、それがアルハンブラ庭園のような庭か、日本庭園か、中国の皇帝時代の庭園か。庭の押しつけだけはやめてもらいたいものだ。

04月19日(火)[新法皇が選ばれて歓声があがるのを生中継でみている]

このところ、めっきりお天気がよくなって、まもなくバーベキューの季節がここワシントンには訪れる。
一気に仕事が押し寄せてきて、こっちはそれどころではないのだが、昼過ぎにCNNを見ていたらバチカンのサンピエトロ広場に集まっていた群衆が大きな歓声をあげている。コンクラーベの4回目の投票の結果、ドイツのヨゼフ・ラツィンガー枢機卿(78)が新しいローマ法皇に選ばれたという。
ベネディクト16世が法皇名だそうだ。支局スタッフのMが「非常に保守色の強い人選」とか言って大騒ぎしている。キリスト教徒にとっては大きな出来事なのだろう。今後、キリスト教の倫理にかかわる論争、例えば、妊娠中絶とか同性結婚、尊厳死、死刑制度、幹細胞の研究、遺伝子組み換え、さらには戦争=人を合法的に殺すこと、に対する世の中の動向にどんなインパクトがあるのか。正直僕には全然わからない。僕はクリスチャンではないし、いかなる宗教ももっていないので、あのような歓声の意味が理解できない。


04月21日(木)[J・フォンダの顔にツバを吐きかけた男が]

それは、先日この欄でも記した女優ジェーン・フォンダの自伝『マイ・ライフ・ソー・ファー』のプロモーション活動の一環として、ミズーリ州カンサスシティで行われていた本のサイン会でのことだ。ベトナム戦争の退役軍人で54歳のマイケル・スミスという男が、J・フォンダの顔に、噛みタバコのツバをたっぷりと吐きかけて逮捕された。「ハノイ・ジェーン」の傷跡は消えていない。男は1時間半もサイン会の行列に並んでいたという。ずうっと狙っていたんだろう。驚いたのは、地元のテレビ局がこの男のインタビューを流していて「俺と同じことをやりたいという退役軍人は一杯いるぞ」と凄んでいることだ。J・フォンダは特にうろたえた様子もなかったというが、この男を告訴する意思はないという。僕は、なぜか、伊藤ルイという故人のことを連想していた。大杉栄と伊藤野枝のあいだに生まれた伊藤ルイさんのことは、故・ 松下竜一の『ルイズ 父に貰いし名は』で大昔に読んだが、ジェーン・フォンダの「逃げない意志」の強さと、この伊藤ルイさんのことがどこかでつながっているように感じられたのだ。歴史のなかの確実なひとつの流れ。


04月23日(土)[都合の悪いことは金曜日の夕方に]

ワシントンポスト紙の1面に特ダネが載っている。アブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件について、軍の最終調査が作成され、当時のサンチェス司令官ら軍の上層部の責任は一切不問に付されることになったという。ただひとり、当時の刑務所管理のトップだったカーピンスキー陸軍准将については何らかの処分が下されるのが相当だとしているという。ひどいもんだ。何がひどいと言って、結論もひどいのだが、この種の軍にとって都合の悪い情報の発表ないしリークのタイミングのことを言っているのだ。記事にある「A military source said」は、金曜日の午後のことだろう。イラク戦争さなかの米軍による民家の誤爆事件の調査報告なども、金曜日の夕方にこっそりとリリースされたことがあった。金曜日の午後は、アメリカのメディアの人間も、人並みの「生活」をもっているので、さすがにダレていることが多い。もう週末気分に入るのだ。そういうタイミングだから、都合の悪いこういう情報があっても、後追いもなかなかままならないで無視されることがちなのだ。こういうのも広義の情報操作の一環だろう。どのタイミングでどのようなメディアに情報をリリースするか。広報官たちはそのようなタイミングを意識している。メディアはそれに翻弄されていていいはずがない。


04月24日(日)[上質のドキュメンタリー論を読む]
僕はものを捨てられないたちだ。資料とか雑誌とかなかなか捨てられない。オフィスの机の上は書類の山と化す。紙のハードコピーで読まないと何となく落ち着かなかったりする。ダメだな、と自覚する。全くもって旧人類だ。というわけで、意を決して大掃除を試みた。出てくる、出てくる、大昔の書類やらメモやらが。ところが難儀なことに、そのメモや雑誌についつい目がいってしまって、それを読み出したりすると、大掃除自体がストップしてしまうのだ。今日もそういう事態に陥ってしまった。原因は、掃除の過程で目にとまったペーパーだ。去年7月のテレビマンユニオン・ニュースという月報に書かれていた是枝裕和の『複雑な世界を複雑なまま表現するために』である。自らの作品『誰も知らない』の劇場公開を控えて、ドキュメンタリーとは、作品とは、表現とは何かを綴った論考だ。これがとてもとても面白いのだ。今のテレビ・メディアがもっとも考えなければならない、いくつものポイントを突いているので、読んでいて唸ってしまった。そうなんだよね、と。テレビ報道の現場から、このような真摯なドキュメンタリー論がもっともっと生まれるべきなのだ。ひとつだけ引用しておくと、『カメラが被害者に寄り添うという一見善意の態度は確保しながらも、自分たちとは全く無縁の「加害者」という存在を設定し、被害者の側から攻撃するというスタンス』に、メディアがやられてしまっていることの指摘。昔、どこかのパーティーの席で吉岡忍さんがこんなようなことを言っていた。「僕は被害者については書かない。加害者について書く。なぜなら被害者は偶然であって、加害者は必然だから』。メディアの立ち位置というのが、いつから、そしてなぜ、被害者という印籠を手にするようになったのか。そのことを考え尽くさなければならない。

04月25日(月)[ガソリン代が本当に高くなった]

このところ、本当にガソリン代が高くなった。以前だと満タンで30ドルを超えることはなかったが、今は35ドル近くかかってしまう。今日もガソリンを入れてから、いつものようにGWパークウェイを快調に飛ばす。今の季節は緑が美しく、運転していても気持ちがいい。この道を一体どれくらい通っただろうか。もっとも混雑するのは、July 4thの花火の時。花火見物のために、ポトマック川沿いのView Pointを確保するために車が朝から数珠繋ぎになる。季節を問わず、リスやタヌキのような小動物がよく道に飛び出して車に轢かれている。可哀想に。GWパークウェイが渋滞して、番組の生中継の時間に遅れそうになったことがよくあった。それ以降は、前日から泊まり込むようにした。胃によくないから。目の前のテレビをみていたら、ブッシュ大統領がサウジアラビアのアブドラ皇太子となかよく手をつなぎながら(何か気持ちわるいなあ〜)、テキサス州クロフォードの別荘へと案内していた。ガソリン価格の高騰を何とかするために、原油の増産体制計画を協議したという。この2人の話し合いで、ガソリンの満タン価格がまた30ドルを切るのか、切らないのか。石油はある意味で、諸悪の根源である。


04月26日(火)[上院議員バラク・オバマ、ライジング・スター]

去年の民主党大会で、ケリーやエドワーズ、クリントンよりも大きな会場の喝采を浴びた人物は誰か? 答はイリノイ州からその後選出された上院議員バラク・オバマだ。その時の会場の熱気と言ったら。その彼がナショナル・プレス・クラブで講演昼食会を開いた。チケットはかなり前からSold Out。超人気者なのだ。確かに何というか色気がある。2008年は無理としても、ひょっとして2012年なら大統領を狙えるかな、と。そういう講演会なのでちょっとのぞいてみた。社会保険が講演のテーマで、Social Securityの生みの親ルーズベルトの孫が一緒に並んでいた。ブッシュ大統領の言うOwnership Societyは健全な社会ではない、と力説するその姿は確かに魅力的であり、地味なテーマの割には拍手が随所で沸いた。このSocial Securityをめぐる政策、すこぶる国民には評判が悪く、ひょっとしてブッシュ政権の命取りになるかもという低支持ぶりだ。けれども、そういうことも含めて、まだアメリカにはダイナミズムの残滓が垣間見られる。どこかの国と違って。


04月28日(木)[プライムタイムTV会見のたそがれ]

午前中、カーラジオを聞いていたら、ホワイトハウスでブッシュ大統領が今夜、記者会見をやるという。このところの支持率低下をリカバーしようという試みなのだろう。ところが当初8時30分から始まるはずだったプライムタイムTV会見が、30分繰り上がって8時からに繰り上がった。3大ネットワークが会見の生放送を露骨に嫌がったためだ。と言うのも、今週はSweepsという視聴率計測月間にあたっていて、ネットワーク各局が、大事なプライムタイムに大統領演説なんて「ヤダよ」ということらしい。例えば、CBSはこの時間は高視聴率を誇る『CSI』と『サバイバー〜パラウ篇』を放送するはずだったのだから堪らないという事情だ。その記者会見、年金制度の改革やガソリン価格の高騰対策に主眼が注がれていたが、NYタイムズのデイビッド・サンガー記者が、北朝鮮のことを切り出すと、大統領は俄然元気を取り戻したようにみえた。キム・ジョンイルを名指しで『暴君で危険人物』と非難していた。これでどの程度ブッシュ大統領の支持率が回復しただろうか。会見の時間は、午後9時をわずかに過ぎたあたりまで続いたが、CBSやNBCは1時間を過ぎると、会見の途中であったにもかかわらず、放送を打ち切ってしまった。米テレビは実に態度がはっきりしている。


04月29日(金)[政治家の黄金週間ワシントン詣で]

クイズ。このゴールデンウィーク(アメリカにはない。通常通り働いている)に、ワシントンに来る日本の国会議員の数は何人でしょう? 答。少なくとも17人。去年より今年の方がかなり多いんじゃないだろうか。特に閣僚級となると、そこそこのカウンターパートとの面談・表敬・講演などが設定されることになり、日本大使館もてんやわんやの状態になるようだ。もちろん国会議員は視察等の公務としてこちらに来るので、旅費は、国庫から支出される「歳費」でまかなわれている。一体何をしに来るのか、というと、主に米政府高官らと会談・意見交換し、それを我々メディアにブリーフし、「成果」として帰国するのだ。各所で記念撮影をしている。それで何か大きなことが変わるのかというと、よほどの二国間の切迫した懸案がない限りはあまり変わらない。以前、着任後の閣僚たちがこぞってワシントン詣でする事態を「参勤交代」と記したことがあるが、日米関係の力学を冷徹にみている限り、こういう表現が外れているとは思わない。それにしても、今の時期、本当は二国間の切迫度から言えば、中国や韓国に行く方がよほど意味があると思うのだが、そうならないところがニッポンだ。


04月30日(土)[サイゴン陥落から30周年。リトル・サイゴンにて]

このところ仕事と私事に追われいて余裕をなくしている。音楽を聴いていない。車の中で聴くCDはいつもパット・メセニーの『The Way Up』の4曲目だし、映画もみていない。その代わり、人と会う機会が格段に増えて、頭のなかがオーバーフロー気味だ。それで、久しぶりに自宅近所Seven Cornerにあるベトナム料理屋でも行こうと思った。それが大きな間違いだった。今日がどんな日だったのかを考える余裕をなくしていたのだ。Seven Cornerにはリトル・サイゴンというベトナム人街がある。そこへ行くと街の様子がベトナムそのものになる。看板やら人の姿や売っている商品、歩く人々がミニ・サイゴンのようになっているのだ。ところがその夜は、リトルサイゴンの広場の中央に特設ステージが設けられて、何かのお祭りが行われているのだ。ベトナム解放30周年記念日。そうなのだ。4月30日、30年前のこの日に、サイゴンが陥落した。その記念日ということで、雨のかな、ベトナム人歌手らしいおっさんがニッポンの「のど自慢」みたいに歌いまくっていた。お目当てのベトナム食堂「Viet Royale」に入ると、お客でごったがえしていた。法衣をまとった仏教僧の横に、迷彩がらのジャケットを着た軍人風の男が座って何やら喋りまくっている。このエネルギー。なかにいるだけで疲れる圧倒的な喧噪。ベトナム戦争って一体何だったんだい? ワシントン郊外のベトナム人街の喧噪のなかで、そんなことをふと考えた。家に戻ると、今夜行われたホワイトハウス・コレスポンデント・ディナーでローラ・ブッシュ夫人のスピーチがバカ受けしているシーンが再放送されていた。

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