09月01日(木)[復活!しりあがり寿の「コイソモレ先生」]
青林工藝社の漫画アックスで、しりあがり寿の「コイソモレ先生」が復活した。4コマ漫画の極限みたいな作品だけれども、それもまたよし。しりあがり寿の作品の特色、あのシュールさ不条理さが懐かしかったりするのもヘンなもんだ。「双子のオヤジ」もすごかったが、「コイソモレ先生」の場合、余計なモノが一切省かれているので、凄みが増していた。日本の今の漫画界がどんなふうになっているのか全然うとくなってしまったけれども、手塚治虫や白土三平、つげ義春らの漫画をリアルタイムで生きてきた世代にとっては、今の漫画ってつまんないよね。
それにしても<業務>が追いかけてくる。それで<業務外>を圧迫する。やだなあ。今週は、月曜日にワシントンから戻り、火・水曜日が韓国のソウル。今日はこれから宮城県の仙台へと向かっている。長距離を移動し続けたので、体内時計がすっかり狂ったままだ。まともな思考がなかなかできない。愚痴を書いても仕方がないので、しりあがり寿でも読もう。

09月03日(土)[青木冨貴子の「731」は労作だ]
自分の仕事の履歴を振り返ってみると、旧日本軍の細菌戦部隊=731部隊とはいろいろと縁が深いことに我ながら驚く。駆け出しの社会部記者時代から、このテーマを取材してきた。平房の731部隊跡地にも取材に行った。今、つとめている会社には吉永春子さんという大先輩もかつてはいた。そもそも731部隊の活動を掘り起こした人物だ。このテーマの第一人者・神奈川大学の常石敬一教授とは公私ともお付き合いいただいている。松村高夫教授や西浦さんとのお付き合いがある。でもNY在住の青木冨貴子さんがこのテーマを追っていたとは全く知らなかった。驚いたことに青木さんは、数年に及ぶ地道な取材の結果、部隊長の石井四郎直筆の「1945-8-16終戦当時メモ」と「終戦メモ1946-1-11」の存在を掘り起こし、それを入手・解読したのだ。それだけでも驚くが、この本「731」を読むと、731部隊に関する国内外のこれまでの研究成果がとてもよくまとめられていて、読みやすい。だから入門書としても十分に通用する。そこに青木さん自身の現場取材の結果がもう一本の本筋として書き込まれていて、この部分の青木さんのストーリーテラーぶりは、上質の小説以上、読めば読むほどどんどん引き込まれてしまう。だから現場取材の記録というのは面白いのだ。振り返ってみて、アメリカの国立公文書館から入手した通称「ヒル・リポート」の滲んだ文字を必死になって解読していた時期はもう20年以上前だろうか。とにもかくにもこの「731」は労作だ。

09月04日(日)[ダイオキシンが引き起こした想念の連鎖反応]
東中野のポレポレ座であるテレビ番組の上映会があった。僕らの仲間MBC=南日本放送の山縣由美子さんが取材・制作した『小さな町の大きな挑戦〜ダイオキシンと向き合った川辺町の6年』だ。川辺町の亀甲俊博さんというひとりの町役場の行政マンがダイオキシン問題をきっかけに「本気」になった時に、何が起きたのか。その想念のチェイン・リアクション(連鎖反応)が出来事として記録されている。勇気がもらえる番組である。会場は満席。番組上映後、山縣さんや亀甲さんらに加え、田口ランディさんや番組内に登場する素敵な人々の話を聞くことができたが、当事者たちが憎悪や怨念とは遠く離れた場所から淡々と、かつエネルギッシュに立ち向かう姿に静かに心を打たれた。ひるがえって、なぜ東京という大都市にあるテレビ局がこのような試みを忘れ去ってしまっているのかを考えざるを得ない。イベント終了後の客席からの大きな拍手に、正直複雑な思いを抱えながら会場を後にした。想念は連鎖反応する。そこからちからが生まれる。

09月10日(土)[鳥の歌]
メディアを通して聞こえてくる言葉という言葉があまりにも上滑りなので、もう聞きたくないと思うとき、音楽に向かう。そんな折によく聞く曲のひとつに「鳥の歌」がある。スペイン・カタロニア地方の古い民謡だ。あのパブロ・カザルスが1971年の国連総会や、ホワイトハウスの故・ジョン・F・ケネディの前で演奏した名演は、CDで聞く度に唸ってしまうのだが(ホワイトハウス・コンサートでのカザルス自身の唸りもCDには収録されている)、それ以上に、聞く側のこころが<浄化>されて、汚穢まみれの言葉を忘れさせてくれる。カザルスはもちろんいいけれど、僕は、日本の音楽隊=シカラムータに参加しているチューバ奏者・関島岳郎の「鳥の歌」がとても好きだ。音楽の元素みたいなものがそこに感じられる。日本のフラメンコ・ダンサーのわりさや憂羅さんがずいぶん前、この「鳥の歌」をモチーフに踊ったステージをみたことがあるが、すばらしい音楽はすばらしい舞踏を生むのだな、とひどく感動した記憶がある。で、今日も「鳥の歌」を繰り返し聞くのだ。選挙にまつわる空虚な言葉を聞きたくないから。

09月13日(火)[『黒猫・白猫』のハチャメチャな楽しさ]
『ライフ・イズ・ミラクル』があまりにもよかったので、クストリッツァの旧作『黒猫・白猫』をみた。例の通り、あの土臭いブラス音楽が耳にこびりつくほど残る。いかにもクストリッツァらしいスラプスティクス活劇なのだが、これは一体いつの時代の設定なのだろうか。現代?それもどこの国の? 義理・人情の第一世代、拝金主義の第二世代、本能に忠実な第三世代と、それぞれが織りなすハチャメチャな人間喜劇は最後まで飽きさせない。この土臭さ・土着性にクストリッツァの自国への愛情がうかがえる。でも見ているうちに、これは『アンダーグラウンド』や『ライフ・イズ・ミラクル』とは違うな、と感じたのは、この映画からはなぜか「戦争」と「歴史」がほとんど捨象されているからなのだろう。それにしても、この映画に登場する役者たちの何とエネルギッシュで臭いのするような存在感。勢いあまって、主役のひとりは強烈な臭いのする●●溜めに転落する羽目になるのだが、これ以上書くのは野暮になるのでやめておこう。「選挙報道」疲れがちょっとだけ癒えたかな。

09月16日(金)[舞劇『覇王別姫』をみる]
バレエとはちょっと違うし、新体操や曲技からの影響も指摘しようと思えばできるし、これは何と言ったらいいのか。英語ではDance Dramaと翻訳されている。中国の上海からやってきた舞劇『覇王別姫』をみた。項羽と劉邦の史記の世界がダンスと音楽で表現される。エネルギー溢れるステージだった。非常に男性的な群舞は上海東方青春舞踏団だ。青春舞踏団というネーミングが日本語的にはちょっと可笑しい。映画の世界でチャン・イーモウやチェン・カイコーらが世界の映画シーンを席巻したように、ダンスの世界でも、バレエ史のなかの「ディアギレフ・中国版」が出現して、新しいチカラが世界の舞台を席巻するかもしれないな。ただ、僕は正直、バレエの伝統は中国には根付かないような気がしている。なぜなら、中国には、京劇に代表されるような、それ以上の強烈な文化的な伝統があるからだ。ステージ終幕で聞かれた2拍子の拍手喝采のありようは、バレエのそれとはかなり異なる。でも、主役たちのカッコよさをみると、やがては日本でも「ヨン様」的な追っかけファンが出てくるかも。 

09月18日(日)[「写真はものの見方をどのように変えてきたか」]

都写真美術館10周年記念として企画された「写真はものの見方をどのように変えてきたか」の終章(第四部)「混沌」をみた。大胆にも写真の歴史を俯瞰する試みだが、5月に米国から帰ってきてバタついていた時期に開催されていた第1章の「誕生」以外は全部見ることができた。第二部「創造」、第三部「再生」と続けてみてくると、写真の存在感が時を経るにしたがって希薄になり、現代は最もつまらない写真の時代になってきたことがわかる。その背景の一つに「メディアによる写真ブームの扇動」が挙げられるのかもしれない。とにかく、1800年代に撮られた写真の存在感は圧倒的だし、戦争という出来事が写真に与えたインパクトは今に至るまで未解決の問題を孕んでいる。第三部「再生」のテーマには、「12人の写真家たちと戦争」というサブタイトルが付されていたが、戦時中、日本の軍部のプロパガンダに手を染めた写真家たちが、戦後、どのような軌跡を歩んだのかの一端をみることができて、僕にとっては最も考えさせられた展示だった。大束元の撮った『終戦の詔勅放送に泣く女子挺身隊員』(1945年)などは、一瞬、現代の北朝鮮を想起させる深い作品だ。同じ大束が従軍カメラマンとして撮った『重慶爆撃』(1940年)、戦後の『人間天皇関西行幸』(1947年)などから伝わる大束の作家性には驚嘆するばかりだ。映像に溢れた今のような時代にあっては、静謐な空間に展示されたこれら過去の写真たちが訴える<真実>の方がより切迫感があるという現実。


09月20日(火)[教授の「/05」でE心持ちになる]
坂本龍一の新作「/05」を聴く。全曲アコースティック・ピアノの独奏のみ。前作の「/04」同様、聴いているうち心の凝りがとれてくる。こういうアナログがいいや。
こないだ見た教授のコンサートは打ち込みが多すぎて、とりわけ人の歌声やラップが打ち込みになっていて、それにあわせてライブ演奏っていうのは、正直どうも戸惑ってしまう。『Undercooled』のラップは、やっぱりその時々の出来不出来の差があっても、生の声で聴きたいというのは贅沢すぎか。『Aqua』『Energy Flow』『Amore』を聴いているうちに心地よくなって、ねむ〜くなってくる。僕の年齢は、YA/SA/Iという音楽の至宝に恵まれた年代だ。YAは矢野顕子、SAは坂本龍一、Iは忌野清志郎。本当に同時代に生まれてよかったなあといつも思うくらい、彼らの音楽はいつも素晴らしい。

09月23日(金)[Street Catsたちのまなざし]
4年も前に出た写真集だが、『路傍の猫』(津田明人 メディア・ファクトリー)という本を偶然にみつけて買った。大阪の淀川沿いの町に住む猫たちをカメラにおさめたものだ。多くの猫たちは、過酷な生活ぶりをうかがわせるように、片目がつぶれていたり、体にカサブタができていたり、毛並みもひどいものだ。その目が何か強烈な意思を撮影者に訴えかけているような気分になってしまう。捨てられたのか、逃げ出したのか、どのような運命の果てに町で生きるようになったのかはわからない。「飼い猫の5分の1の時間を生きるストリート・キャットのまなざし」と帯にある。こころを奪われる写真集である。このような写真集からストリート・チルドレンやホームレスの人々のことに考えをめぐらすことの<偽善><罪>の意識については書くまい。

09月24日(土)[Street Catsと"そとねこ"]
『路傍の猫』から強い意思を感じるとしたら、『東京ねこまち散歩』(一志敦子 日本出版社)からは、まちと共生する幸運なねこたちの姿が伝わってくる。その多くは路地の残る東京の下町が舞台だが、なかには南青山とか麻布十番、銀座も含まれている。神楽坂、戸越銀座、下北沢、人形町、浅草、谷中、神保町と来れば、それらの場所には確実に「まちの文化」がある場所なのだ。ねこと文化は大いに関係がある。日本の文豪でも、夏目漱石や谷崎潤一郎の愛猫家ぶりは有名だが、あの三島由紀夫も猫好きだったという。ところが、結婚した瑤子夫人が猫嫌いで猫を飼うのをあきらめたとか。今、僕の住んでいる学芸大学にも駅へ向かう途中"そとねこ"が路地にたたずんでいるのをよく目撃する。小さなコロッケ屋さんの近くでよくみかける。Street Catsが僕らに強い警告を与えているとしたら、これら"そとねこ"たちは、身勝手な言い方だろうが「なごみ」を与えてくれる。

09月25日(日)[イラクからの撤退をめぐる反戦派の分裂]
ヘラルド・トリビューン紙の記事を読んでいたら、例の反戦の母、シンディ・シーハンさんの抗議行動で全米に拡がっていたイラク戦争反対の声が、反戦派の内部対立によって分裂の危機を孕んでいるという。問題の核心は、イラクからの米軍「即時」撤退か、「暫時」撤退かの対立なのだ。ラディカルな反戦派は「駐留が長引けば長引くほど死者が増える」という。その主張は事実に裏打ちされており正しい。ところが民主党系の団体、MoveOn.Orgをはじめとする穏健派は、イラクの議会・憲法体制が安定する前に撤退するのは無責任であり、2006年秋以降の撤退をめざすのが現実的だと主張しているとか。2004年の大統領選挙のさなか、民主党内の候補者レースで、反戦派のディーン候補がラディカルな反戦を唱え、「現実的な対応」を唱えたケリーに駆逐されていった経緯を思い出す。「反戦じゃ勝てないんだよ、現実の政治は」と訳知り顔で解説していた民主党幹部がいた。そのディーン氏も今や「即時」撤退には反対だとか。ころころ変わるのだ、政治家のこころは。むしろ思い出すのは、ウッドワードが著書で明らかにしたように、第一次ブッシュ政権のパウエル国務長官が、イラク侵攻に抵抗して持ち出していたという「壊した壺の論理」だ。お店に陳列してあった壺を壊してしまったら、お金を払って飼わなければならない、と。イラクという壺を武力で壊してしまった後の混沌に対して、もはやアメリカは知らないふりをするわけにはいかなくなる、と警告していたのだ。24日のワシントン市内には20万人を超える反戦派が結集したという。だが、この分裂の目はそう簡単には乗り越えられないような気がする。

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