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[イラク戦争日誌(10)/03年3月30日
     ──アメリカの誤算 ]

 今日の「サンデー・プロジェクト」は全編、「アメリカの誤算」がテーマだった。実際、ホワイトハウスとペンタゴンは開戦前は、極めて短期間(数日間もしくは数週間)で決定的な勝利を収め、フセイン抹殺の目的を達成できると見込んでいて、開戦を決定した戦略会議ではドアの外まで大統領とその側近たちの笑い声が漏れ聞こえるほどだった。

●8つの誤算の連鎖
 しかし作戦10日目の今日、戦局は全くと言っていいほど予想外の展開となり、米英にとっては誤算の連続となった。

(1)
初期空爆によるフセイン爆殺の失敗を含め、空爆が思ったほどの効果を上げないまま、すでに精密誘導兵器の不足に直面し、通常爆弾の投下に切り替えざるを得なくなっていること。通常爆弾のほうが一般市民の犠牲が増える。
(2)
トルコが(国内世論の当然の反発だけでなく、米国が巨額援助の札束で頬を叩くような真似をしたのに地域大国としてのプライドを傷つけられて)米第4歩兵デジタル化師団(後方支援を含め6万5000)の通過を拒否したこと。フランクス現地司令官は地上戦闘部隊が過少であることに不満を露わにしていたが、精密誘導兵器による空爆に絶大な自信を持つラムズフェルド国防長官は「地上部隊は決め手ではない」とそれを退け、なおさら少ない12万の兵力(91年の約半分)で地上戦を始めた。
(3)
イラク側の抵抗が予想を遙かに超えるものであったこと。少なくともバスラなど南部の都市ではシーア派住民に“解放軍”として熱烈歓迎を受けて容易に制圧できると考えていたのに、事前に配置された共和国特別防衛隊、サダム殉教者軍団などの決死隊や民兵などによる予想外の抵抗に遭い、シーア派住民の中にも「フセインは嫌いだが“侵略者”からイラクの主権を守るために戦う」と言って銃をとるものが出るような有様である。
(4)
その結果、前線部隊の補給線が確保できないでいること。当初は“快進撃”などと賞賛していた第1海兵師団や第4歩兵師団などは、ウム・カスル港から300〜400キロも延びた補給線が、悪天候やゲリラ的な攻撃に阻まれて確保が難しく、前線部隊は早くも1日1食に切り詰め、川の水を濾過して乾きを癒していて、元気がない。
(5)
情報戦で圧倒することもイラク側に“衝撃と恐怖”を与える重要な作戦の1つだったが、イラク国営放送のテレビでフセインが演説したり幹部が会見に応じたりし、アルジャジーラが一般市民への被害や捕虜になったり戦死したりした米兵を詳細に報道したりしていて、米英側の自国民はじめ世界に向けての情報操作は余り成功していないこと。それどころか、「フセイン政権首脳が死亡」とか「化学兵器工場発見」とか「シーア派が蜂起」とか、米英側の希望的観測による“誤報”が相次いで、むしろそうした大本営発表ぶりに批判が高まっている。その腹いせに米英はイラクのテレビ局を爆撃したが、これは明白な戦争法規違反である。
(6)
米英側は事前に、絶望的になったフセインが油田に火を放ったり、橋やダムなどを破壊したりして、イラク市民が食料すら欠乏するような状況が現出すると想定し、そこで“正義の味方”米英が豊富な食料その他を住民に配って道徳的優位を確保することを考えていたが、フセインは橋などのインフラストラクチャーの破壊に走らなかったばかりか、予めバグダッドを中心とした国民に「6カ月分の食料備蓄」を配布したこと。飢えているのはイラク国民でなく米英の前線部隊である。
(7)
たちまち難民が周辺国に殺到して、それを国連やNGOなどが手厚く面倒を見るところを世界に放映して、米英の“人道性”とイラクの政権崩壊イメージを印象づけることは、情報戦の重要な柱の1つに予定されていたが、案に相違してほとんど難民が発生していない。「国連側は60万人に対応する計画を立てたが、シリアの難民キャンプに14人が入って27日までにシリアの親類らに引き取られた」だけ(28日付朝日)。それどころか、91年湾岸戦争後からヨルダンの首都アンマンに出稼ぎに来ていた大量の出稼ぎイラク人が国を守るため続々帰国し「姿がほとんど消えてしまった」(26日付毎日)という逆の現象さえ起きている。
(8)
ヨルダンでの誤爆で一般市民に死者が出たことをきっかけに、周辺アラブ諸国で反米気運が高まり、それを背景にスンニ派だけでなくシーア派の最高首脳も「米国に対するジハード(聖戦)」を呼びかけるなど、アラブ社会とイスラム世界の全体を敵に回す結果になりつつあること。

 ……など、米英にとって誤算の連続となった。このためブッシュ大統領らは「この戦争はいつまでかかるか分からない」と、決定的に判断を修正せざるを得ず、そのままバグダッド攻撃に突入するシナリオを一時中断、どうするか判断がつかないまま、取りあえず第4歩兵師団など10万人を増派することを決めた。同師団の兵員はテキサス州の本拠地に、装備はトルコ沖に、待機中だったが、田岡俊次によれば、これから南方に回して装備の梱包を解き、組み立てと調整をして、実戦に入れるのは、早くて4月20日前後になるという。また増派分のかなりの部分は、南部の再掃討と補給線確保に当てなければならないだろう。

(written by 高野孟)


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