中国とは何か?


 黄河中流域に元々「漢民族」がいて、周辺の野蛮な外敵(東夷・西戎・南蛮・北狄=まとめて「四夷」とも呼ぶ)と戦いつつ歴代の王朝を築いてきたかの中国正史のイメージは、まったく間違っている。各王朝が編纂する史書は、大昔から連綿と繋がる王朝史の万世一系的に正統な後継であることを誇示するために書かれていて、それを鵜呑みにして「書かれた歴史」を繋ぎ合わせようとすると、そうなってしまう。実際は、それこそ四夷が交通至便の洛陽盆地で交易し、お互いに言葉が通じないので筆談を用いたことから漢字が発達し、やがて共通語として漢語が形成され、それを使う人たちが漢族と呼ばれるようになったのであり、その意味で漢族とは“民族”ではなく四夷の交錯と累積の中から生まれた文化概念である。



龍神伝説を持つ東南アジア=タイ系の東夷

前1600~?
東北アジア系の狩猟民=北狄

前1100〜?
東北チベット系の遊牧民である羌(きょう)=西戎。それが衰えて戦国時代へ

前221〜
西戎。4代目に始皇帝が出てこの年に全土統一、文字・貨幣を統一。匈奴遊牧帝国と抗争
前漢
前202〜
漢族形成。武帝のとき中央集権確立、儒教の官学化。司馬遷『史記』(前104〜97?)
後漢
023〜
「新」を経て光武帝が漢を復興。北方の匈奴、後に鮮卑と戦って消耗し、群雄割拠へ
三国時代
220〜
魏・蜀・呉→晋→東晋と五胡十六国→北魏と宋・斉・梁・陳の南北朝時代と変転

439〜
鮮卑系の北魏が華北統一、道教保護。

589〜
鮮卑系。科挙制度始まる。

618〜
鮮卑系(契丹、トルコ、ウイグルなどの遊牧民大連合)。それが滅びて五代十国時代。

960〜
漢族600年ぶりの統一政権だが、北方の遼=キタイ=契丹に従属

1127〜
遼の後継「金」=満州女真族が宋を滅ぼして華北を支配。宋は亡命して南宋となり金に服す

1271〜
金の後継としてモンゴルが興り、中国全土を制覇して「元」を立てる

1368〜
漢族。しかしモンゴルは「北宋」として続きキプチャク・ハーン国を通じてロシアも支配

1636〜
「後金」=満州系。ホンタイジが全土制覇し「清」と名乗る
明国
1912〜
孫文革命。漢族中心
人民共和国
1949〜
毛沢東革命。漢族中心。