農と言える日本・通信 No.15             1999-12-07  高野 孟

●《報告》11月帯広で馬と酒に入り浸る!

 11月の帯広集合は、都合の悪い方が多くて、東京からは私のほか、草ラグビーチーム「ピンク・エレファンツ」の仲間でロックグループ「アナーキー」のリーダーの仲野茂と、毎日新聞編集委員(政治部)近藤憲明さんが初参加、20日から4日間滞在し(仲野はさらに1週間残留)、札幌から「北海道うまの道ネットワーク協会」専務の後藤良忠さんが一晩駆けつけて、地元の方々とともに大いに遊びました。

 牧場オーナーの平林英明さんの帯広市内のレストラン「ランチョ・エルパソ」は、改築がほぼ終わって、最後の仕上げを急いでいるところでした。「ストローベール工法」を取り入れた建物は12月3日に無事オープンし、8日にはオープン記念イベントの一環で藤本敏夫さんの農についての講演と次女のヤエさんのコンサートが行われるはずです。

 われわれは、古いエルパソの懐かしい建物で最後の晩餐を楽しみましたが、そこでもいろいろな方との出会いがあり、仲野茂は、エルパソ常連の若い音楽好きの人たちの中に20年前のアナーキーのデビュー当時のLPを大事に持っている人がいたりして大いに盛り上がり、結局、茂がアナーキーの活動中断中にソロで歌っていたときの曲を彼らが伴奏して演じることになりました。

 また私、近藤、後藤の3人は、やはり平林さんの古い友人で、10年前に東京から帯広の隣の音更町に移ってきた都市・公園などのランドスケープ設計家の高野文彰さんと会っていたく共鳴し、翌日は古い農家を改造した高野さんのご自宅を訪問しました。

 なだらかな丘陵に広がる田園風景の中に立つそのご自宅だけでもすばらしいのに、その前には馬が2頭いる広いプライベートの馬場があり、元の納屋を改造した厩舎と大きなクラブハウス(何十人でも宴会ができてお客さんを泊めることも出来る!)が付いていて、その豊かな暮らしぶりに一同唖然とするばかりでした。高野さんは国体の馬術選手として現役。そりゃ、自宅に馬場があるんじゃあ、巧いはずだよと、少々ひがみっぽい気分に陥る私でした。

 両高野が同じ昭和19年生まれで、馬好きの帯広好きということで、やはりエルパソ宴会で一緒だった北海道新聞の新蔵=帯広支局長が「新年の十勝版で2人の対談を載せたい」という思いつきに走り、そのために私は年内にもう一度、帯広に行って、ついでにそのとき、前々からの懸案である鹿討ち名人“ガンちゃん”に足寄で雪中の鹿狩りに連れていってもらうという段取りになりそうです。鹿狩りには鈴木英幸さん(連合政治センター事務局長)も同行の予定です。

 乗馬の方は、4日間、たっぷり楽しみました。牧場から川を渡って、隣の和田さんの広洋牧場の領地に入り、和田さんが最近切り開いたばかりの林の中の道を遙かに川と湖を見下ろしながら散策する新ルートがすばらしかったです。

 茂くんの馬扱いのうまさ、毎朝7時に起きて馬たちに水や餌をやる甲斐甲斐しさには、まったく驚きました。ピンクに染めた髪さえ見なければ、とてもハードロックの歌手とは思えないほどでした。また二木啓孝さん(日刊ゲンダイ記者)から話を聞いただけでログ共有会員になってしまい、今回初めて牧場を訪れた近藤さんは(下記のメールのように)大感動だったようです。旅というのはやはり、自然の風景など物との出会いもさることながら、そこに根を張って暮らしている人々との出会いから思いもかけない何か新しいものが生まれてくるのが楽しいのだと思います。

●《通信》近藤憲明さんより

 帯広渓流塾での4日間は感動の連続でした。まだ、呆然としています。小生もいろいろな旅をしてきたつもりですが、大げさにいうなら、今回の帯広行は最も素晴らしいものだったような気がしています。

 乗馬、サウナ、温泉、地ビール、生ハム、サイクリング、仲間との語らい、すべてよかった。そして何よりも圧倒されたのは、北海道の大自然です。「北海道」は十勝地方に残されていたかと思い知りました。十勝に比べると、ぼくの故郷、札幌などはチマチマして
北海道とは呼べません。

 4日間、大変お世話になりました。どうもありがとうございました。また帯広にご一緒できることを祈っております。

●《通信》福井の小鶴有生さんより

 何と「塩ビから土地改良材を再生する」が可能です。これは私の研究ではなく、某大学の先生が以前に特許を取った技術です。夢のようですね。悪の根源、と嫌われていた塩ビがリサイクルして土地改良材になるなんて・・・。日本中に疲弊した土地がたくさんあります。食料難の時代が来る、と言われていますが、このプラントを是非世に出したいのです。高野さん、協力していただけないですか?福井で制作する予定ですが、私は相変わらず貧乏しています。研究は確実に終っていますが、再度データを取りたいのです。何しろ水につけても環境ホルモンを出す塩ビですから・・・。テストプラントは800万円あればできます。実証プラントは処理量にもよりますが、そんなに高くはありません。

▲帯広の和田さん、こういうのを広洋牧場の一角でやったら面白そうですよ(高野)

●《通信》北山文夫さんより
 
はじめてお便り致します。本年夏から東京万華鏡や関連ホームページを拝見しております。幅広いご活躍に敬服するとともに、私ら世代の生き方や農業等に関してのメッセージには、大変な関心と共感を覚えております。

 申し送れましたが、私は現在都内に勤務しておりまして、会社づとめも25年強に至っております。就職の際、生活に身近なもの・食品メーカー・農業関連なども考えたのですが、そういう情報も決意も乏しく、結局、生活全般を扱うということで、小売業の世界に入り、5年ほど前から関連の小さな出版社に籍を移して現在に至っております。組織、会社という価値観から、少し目を広げなければと、特にこの1〜2年思い始め、子供の日常や少年野球などへ多少関わりを持ちつつはありますが、子供との関連だけでは、期間の限られたものにになってしまうので、もう少し長いスパンで、何か考えていかねばと思っているところです。

 千葉市内に住んでおりますので、鴨川は割合に身近なところであり、鴨川王国ホームページも熱心に見せていただいております。我が家の猫の額以下の狭い庭に花を植えたりしては居りますが、こういう事だけではなく、もう少し生産的といいますか(抽象的ですが)根のあることもやらないといけないのではと感じております。「趣旨に賛同するなら誰でも参加できる」とありますが、はたして気楽に参加してよいものか、多少不安は持ちつつ、2000年度の活動計画の発表を期待している次第です。

▲どうぞ気軽にお出で下さい(高野)

●《研究》おこめとごはん――その4
【No.10の「米ヌカパワー」、12の「お米とご飯」、14の「石鍋」に続く「おこめとごはん」シリーズ第4弾です。今後もまだまだ続きます。】

 12月5日付朝日新聞に2面を使って、同社主催の「生活習慣病予防のための食生活フォーラム99」のパネルディスカッションの様子が載っている。

 滋賀医科大学の上島弘嗣教授が、いわゆる成人病を防ぐには「日本の伝統的な食事を取り戻すということに尽きる。……和食は何よりも脂肪分が少なく、大豆製品やこんにゃく、小魚などが豊富な長寿食です。ごはんを中心に魚介、野菜、果物、そして香辛料と塩や醤油を上手に使って薄味を心がければいうことありません」といった基調報告をし、聖マリアンナ医科大学の中村丁次栄養部長が「ごはんなどの糖質が従来考えられていた以上にいろいろな役目を果たすこと、糖質が体内の脂肪にあまり変換されないことがわかりました。……ごはんは、和洋中どんなおかずとも組み合わせられ、口の中でおかずとミックスすることもできます。栄養素は相互作用するので、ビタミンやミネラルなどいろいろなものが総合的に取り込まれるわけです」と発言している。

 取り立てて注目するほどのことはない平凡な意見だが、しかし医者や栄養学者が「ごはんを食べろ」と口を揃えて言うのだから、食生活における「55年体制」は本当に崩壊したのだなあと改めて感慨が湧く。

 自民党の一党支配が始まった1955年に「栄養改善普及運動」というものが始まって、食生活の“近代化”と称した闇雲の洋風化が政策的に強要された。そのバイブルとなったのは林髞=慶応大学医学部教授が58年に出した『頭脳』という本で、そこではこう書いていた。

「せめて子どもの主食だけはパンにした方がよいということである。大人でもできればそうしたいが、日本は農業立国の国であり、米を食わないとなると血の雨が降らずにはすむまい。だから、そういうことはこわくていえない。大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもと違って、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである」

 有名な米食=低脳論である。またその2年後に中山誠記という人が出した岩波新書『食生活はどうなるか』には、

「動物タンパク質の摂取量は、たとえばアメリカの5分の1にすぎない。しかも内容的にいうと、日本人の食べている動物性食品のうち55%は魚に頼っており、畜産物は牛乳20%、肉と卵がそれぞれ12%に過ぎない。これに対して外国の場合は、動物性食品の大部分が畜産物なのである。……日本人の食生活水準は、何故このように低いのであろうか。その原因の1つは、明らかにわれわれ生活全体の貧しさにある」

 とある。こういう考えに基づいて、農林省の生活改良普及員や厚生省=保健所の栄養士が、「脱脂粉乳入りキンピラ」とか「牛乳入り味噌汁」とかを推奨して歩いたり、もっと油を摂れということで「1日1回フライパン運動」キャンペーンを展開したりした。

 半世紀近く前にこんなことを書いたり旗振りをしていた人たちは、とっくに自分らが蔓延させた生活習慣病で命を落としているに違いないが、それにしても、50年前までの日本には余りなかったいろいろな病気を“普及”させ、身体どころか精神のバランスも上手に保てない子供たちを“育てて”、それをただ莫大な医療費を注ぎ込んで延命治療して長寿国だと言っているこの惨憺たる有様には、行政としても医学界・栄養学会としても戦争責任を引き受けてしかるべきだろう。

 さて、ごはんで和食を食べなさいというのはそれでいいとして、どういいうふうに食べるのかが実は問題で、それにはもう少し原理的にあらゆる生活習慣病の原因となる「身体の酸化」=「血液が錆びる」とはどういうことかについて考えてみる必要がある(以下次号) ▲