農と言える日本・通信 No.23 2000-03-26      高野 孟

●次の鴨川集合=山桜花見大宴会は4月8〜9日です!

 3月18〜19日の鴨川「仕事始め」は、ジャガイモ畑に牛糞堆肥を大量に入れて耕耘し植え付けを行い、また山賊小屋脇の森林の整備作業を行いました。また、かつてこの地で「自然王国・炭焼少年団」を主宰していた林洋一さんが活動を再開、その関係の方々が10人ほど加わったこともあり、総勢30人ほどで大いに盛り上がりました。なお両日にわたり、朝日ニュースターの情報番組のキャスター=森啓次郎さんとカメラ・クルーが参加、撮影・取材を行い、3月28日(火)夜8時からの同番組に高野が出演して鴨川の活動を紹介しますので、CSの視聴可能な方は是非ともご覧下さい。

 次の鴨川集合は4月8日(土)昼前後に現地集合、森林作業などのあと夕方から山桜のお花見大宴会とサウナ、翌日午前中も作業で昼過ぎ解散です。

 車の方は、高野ホームページ内「鴨川自然王国」サイトの「交通ガイド」で地図をよくお確かめ下さい(http://www.smn.co.jp/takano/kamogawa.index.html)。

 車でない方は、浜松町10:00=東京駅八重洲口10:20発「京成高速バス・アクシー号」に乗って「福祉センター前」下車(12:16着)、そこまで王国から迎えに行きますので、あらかじめバスの予約を済ませた上(フリーダイヤル0121-889-055)現地にその旨お知らせ下さい(電話0470-99-9011)。なお高速バスの時刻表、乗り場など詳しい案内は鴨川市役所ホームページ内にあります(http://www.awa.or.jp/home/kamogawa-city/highwaybus.html)。

 なお準備の都合がありますので、参加者は高野宛メール(takano@smn.co.jp)もしくは現地宛電話(上記)でお知らせ下さい。

●鴨川産「山賊味噌」をお分けしています!

 鴨川自然王国では、無農薬の鴨川産「大豆」と、やはり無農薬の鴨川産「長狭米」の米麹を惜しげもなく使った「山賊」印の味噌を1キロ=1000円で関係のある方のみに頒布しています。これは本当においしいし、いま米国産の遺伝子組み替え大豆を使った味噌が横行している中で、あの畑の大豆とあの田んぼの米を使ってあの人(自然王国・山賊クラブのお頭である福井さん)が昔ながらのやり方で作っていることが「見えている」という意味でまことに貴重なものです。

 今年秋の仕込みの分からは、鴨川自然王国付属の食品工場で正式に製造許可を得て、表だって販売する予定ですが、それまでは「親戚づきあい」の内輪の範囲でお分けするという形をとりますので、本通信受信者の皆さんは奮ってお申し込み下さい(電話0470-99-9011鴨川自然王国)。

●鴨川「棚田&大豆畑トラスト」

 3月一杯を一応の目途として、棚田のほうは1口=3万円、大豆畑のほうは1口=4000円をそれぞれ30口まで、お申し込み・お振り込みいただいた順で締め切らせて頂きますので、ご希望の方は急ぎお手続きをして頂くようお願いします。なお応募して頂いた方々には4月18日(火)の18時半から銀座の会館にお集まり頂く予定です。詳しくは会員登録を済ませた方にお知らせします。

●続・ドングリ論争!!

 いやあ、大変な問題に発展しています。本通信No.21では、帯広の平林英明さんの“遊び心”にとんでもないクレームがついて、彼が市当局に森林保護基金として寄付を持って行ったら受け取りを断られたというところまでを伝えました。その後の本通信読者の皆さんのリスポンスとそれが及ぼしたインパクトについて続報します。ちょっと長くなります。

(1)失礼、笑ってしまいました(リック田中=豪州在住ジャーナリスト、3月16日)
 ははは。どんぐりビール論争ですか。失礼、あまりのばかばかしさに笑ってしまいました。どんな味か、一度飲んでみたいものです。でもこれだけの値段だと、なかなか酔っ払ええそうもありませんが。ビールについてですが、家庭でできる製法をウエッブなどで公開されてはいかがでしょうか。カボチャとか、発芽玄米とか、かなり興味がありますB

(2)金儲けがどうしていけないのか?(吉原弘記=建築家、3月17日)
 世の中にはいろいろなことを言う人がいるなあ、と認識させられました。しかし、そのような人に、まず、質問をしたいと思います。「金儲けはどうしていけないことなのですか?」

 子供は、ビジネスから隔離して、モラトリアムにしておかなけれはいけないのでしょううか?
子供がビジネスに関係する仕方は、2つあると思います。ひとつは「だし」に使う方法、つまり塾や人形やおもちゃで儲ける方法。もうひとつは子供自身が働いて金ができる方法。最初のは社会的に公然とおこなわれているし、後のは教育的観点からも、薦められることではないでしょうか?要は子供たちが楽しんだかどうか、それを子供たちが自主的にやったことかどうかが鍵だと思います。ですから、特に寄付をしなくとも子供たちで利益を山分けすれば、(私は)よかったのではないかと思いますし、もし子供たちが寄付したいと考えたのならば、えらい!!と思います。で、もし平林さんが、どんぐりを使って、自然教育のみならず、そこまで、考えていたのならば、言うことなしですね。

 「金儲けはどうしていけないことなのですか?」と言う質問は反語ではありません。本当にその理由があるのか?あるならそうすべきではないし、そうではないのなら、問題にしても意味がない。「金儲け」という言葉の裏にくっつけられた否定的な意味はそういったことをまったく知らない善意の持ち主には何のことかわからないでしょう。ただ、それを結びつけることのできる人、悪意を嗅ぎつけんという人にのみにイメージできることだとおもいます。

 今日のテレビで報道されてたのですが、15歳の中学生がすでに、10人足らずの社員をもって
コンピュータビジネスをやっているそうです。年間売上が500万円にもなっていて、今回、日本の会社が顧問に雇ったとのことです。もっとも、アメリカの話ですけれど。

 今回の批判には不幸な連想が起こっているとおもいます。最終プロダクツが酒であるということから、即座に<子供たちはこれを楽しめなかった>ひいては<どんぐり集めも楽しいものでなかった>ないしは子供たちは<利用された>と(無意識的に)連想されている。もしこれが酒ではなくて、菓子であったならば、子供たちがこれを食べられたかどうか知る前に、すぐさま、自動的に「楽しい」、「子供らしい」というイメージが作られて、問題にはされなったでしょう。むしろ、この批判をした人もこの子供らしさとどんぐり採集のイメージを楽しみさえしたかもしれません。最終プロダクツがなんであるかは、じつは問題の本質とは関係がないはずです。お定まりの連想とイメージが悪さをしているのだと思います。そして、もしそうならば、問題は平林さんの側にあるのではなく、そのような不幸な連想をする側にあるのではないかと思います。

(3)ゴッコはゴッコで良いでしょう(飯田一民=北海道深川市のレストラン経営、3月17日)
 どんぐり論争、いろいろな意見がありますね。日本の農業もこんなことが問題点の要因になっているような気がします。自然にある物だから取って食べる。それが限界にきたから作って、育てて食べる。人間も含め、自然にはサイクルがあります。還元サイクルです。それが崩れるから問題が起きてくる。

 どんぐりビールを作る、金を払うから駄目という問題ではないですね。人の意見は色々でしょう?自然を守れば生活が成り立たない。生活を守れば環境や自然が壊れることもある。今の世の中、何かが変ですね(考え方)。でも、僕から一言。ゴッコならゴッコで良いでしょう。遊びですよ。ゴッコて!変に定義を付けて前へ出すからおかしくなる。遊びは遊びの範囲でやれば良いんです。それだけのこと。平林社長はいい人ですよ。遊びのわかる人だし、あんなに楽しい遊び方を知っている50代はいないと思います。

(4)二木啓孝=日刊ゲンダイ記者、3月18日)
 ドングリ論争って、自然保護の本質的なことが含まれているような気がします。捕鯨論争を思い出しました。ドングリ保護を訴えている人に尋ねたいのは、まず、北海道(あるいはその地域)にドングリの木がどのくらいあって、ドングリの実の生産量(?)がどのくらいあるのか。さらにリスの消費量(?)はどの位なのか、というベースの統計です。その中でドングリビールの原料が「生態系」にどこまでダメージを与えるかということです。

 反捕鯨運動のいかがわしさは、クジラの頭数が科学的に出されてない中で、エモーショナルな、たとえば「クジラの知能は高い」みたいなことが言われる点です。「あんたらだって牛を殺して食ってんじゃん」と思わず言いたくなるのですが、これは「ドングリ取りより、森林伐採のうが自然破壊だ」という開き直りになってしまうでしょ、。一方、1キロ=100円還元の「ドングリ銀行」も子供への手当て的なニュアンスだし、市への寄付も、なにやら減反政策での補助金のようなカンジです。

 もっと、論争を深化……というより「上手に喧嘩をする」なら、林野庁あたりに「ドングリの実勢」のデータを出させて、ドングリビールの消費比率を出し、さらに、「風土がフード」を生むという論理をかぶせて行けばいい。収益からドングリ植林をして自然保護へとつなげて行く。乱暴に言えば「自然保護者エゴ」の土俵ではなく、こちらの土俵で勝負することでしょう。毛沢東は「調査なくして発言なし」と言っていました。これは、感情論を排する最良の方法だからです。これならドングリ論争は対立から深化へと進むと思うのですが、いかがでしょうか。

(5)もっと現実的に考えたい(吉田政勝=十勝在住デザイナー&エッセイスト、3月18日)
 皆さんの意見拝見しました。僭越ながらおおよそ、近い考えです。私は普段はあまり現実的な男ではありませんが(笑)ドングリ論争に関しては、エモーショナルにイメージを先行させるのは否定的です。もっと現実的な思考を働かせたいです。

 それで、また本日の道新の全道版に「ドングリ論争」で帯広市長が寄付の対応に苦慮しているというコメントが載りました。それから、日テレ系からも取材がきているようです。平林さんは軌道修正を含めて柔軟に考えているようです。また、いろんな立場の人達と討論してもいいとも考えています。鎮火させるのがいいか、これをきっかけに考えるテーマにしたほうがいいのか、迷うところです。しかし、こんな展開に発展するとは、予想もしてませんでした。ああ、またマスターはおもしろいことやってるな、と思うのんきな私でしたから。平林さんは本日は小樽に向かいました。連休明けに、なにか新しい動きがあるかもしれません。当人のやっていることと、世間が解釈することとはズレがあるということはままありますが、今度はそんな印象です。高野さんも自分がやってることと、世間が解釈することと「ズレ」を意識することがあるでしょうね。当初は困惑し、傷ついているふうでしたが、今は何か楽しんでいるような感じもする平林さんです。こちらの様子などをおしらせいたしました。

(6)市に寄付するなんてお利口さんをやめたら?(長谷川一二三=仙台生協職員、3月19日)
 今回の「どんぐりビール」ですが、高野さんが末尾に置いた結論にまったく同感です。環境問題への態度も、洗練度が低い時代や地域・集団ほど、戦時中にいたという、鉢巻たすきがけのおばさんたちがゴミ箱をあさっては「大根の皮や芋の尻尾を捨ててけしからん」と摘発して歩き回る「国防婦人会」のような、そういう摘発行動こそ運動と突如目覚めたように突っ走る人々が発生しやすいようです。私も職業柄、よく遭遇します。その中でわかったことは、その個人や集団や地域の「洗練度」に関係しているということでした。「教養あるはずの新聞」がそんなことを無批判的にとりあげていることの方が、「リスとどんぐり」よりよほど深刻な問題です。

 これは、「あるある大事典」とか「みのもんたの思いっきりテレビ」で「マルマルはペケペケにいい食べ物だ」ということを、「DHA」だの「亜鉛」「微量栄養素」だのと聞いたことないものからあるものまで含めて「化学的」(科学ではない)な単語をほんのすこしだけ(たくさんはダメ)散りばめて発信するだけで、ヨーグルトでいえば、「新製品発売も急遽とりやめて24時間フル稼働しても追いつけない」(実際そうでした)というほどの「市場の爆発」を誘引し続けていることと、共通しているように思います。カッコつきの「高教育社会」です。

 栄養学の基礎は全くなくても(ないものだからいっそう入りやすいのですが)、「亜鉛」という物質名や化学記号は多少見たことも聞いたこともあって断片的には受け容れ可能、という素地ができてきているようです。地球環境も健康(生命)もきわめて高尚な、哲学問題をまとったジャンルですから、「ちょっとだけ高等教育」を受けた人々にとっては格好の関心事となるのでしょう。30年前、三一書房の「危険な食品」がそれにふさわしいマイナーな怪しげな煽動本としての位置に安座していたのに、まったく同じ程度の「買ってはいけない」が200万部のミリオンセラーになるというのも、同じ土壌での問題だと思っています。(大衆操作やイデオロギーの問題としては、けっこう危うい土壌が濃厚につくられてきているんじゃないか、というようにも思います。)

 *「あるある大事典は500万円、ためしてガッテンは200万円」、とか、「取り上げてもらうための裏金」が、食品業界では公然の噂になっていますが(「納豆業界は結束が固いから組合で出して納豆ブームを仕掛けたが、豆腐業界はバラバラでできずにいる」etc.)、たかが食品業界が猿智恵でやっていることを、「政治」がきちんと考えたら面白いと思うのですが。日本新党や石原慎太郎に片鱗は見えますが。(これは別問題なので、後にさせて頂いて、とりあえず今日はどんぐりビール)「怒れる日本の中'間'階級」です。

 脱線してますが、今日こんなメールを書こうと思った動機はたった1つです。このすばらしい、創造と想像力に満ちたビールの「益金」を、環境がらみで寄付しようなんて考えること自体が間違えていると思ったからです。6万円程度寄付したって経済効果としては自己満足の域を出ないということではありません。寄付なんてチリを積んで山と成すんですから。そうではなくて、「どんぐり」に関係させて寄付なんかするから、「ははん、当人もうしろめたいと思ってるんだな」と足元を見られてつまらない連中を呼び込み、絡まれてしまうのです。

 こどもと父親が一緒に集めたどんぐりで造った「どんぐりビール」という、せっかく面白くシャレた「遊び」(たかが400本のビール、遊びでいいじゃありませんか)を始め、しかもそんなのは誰にも迷惑なんかかけていないのです。文句があったら、春先に、山の落ちたままになっているドングリを同じエリアでさらい集めて、子どもたちとついでに新聞に、見せてやったらいいでしょう。「リスたち」がわずか30キロを人間が収穫したために本当に飢えていたら、残っているはずがないのです。

 「市に寄付」するなんてドブに捨てるも同然のことをするより、こどもたちの父親にビールの現物合計100本(1人4本でしょうか)、差し上げたほうがよほど起承転結がすっきりしていると思います。ありきたりの世間を痛烈に批判しながら、アンチテーゼをほんのわずかでも「形」として生み出そうといろんな面白い「遊び」を始めた不良中年たちが、どうして、「市」などというくだらないところに「寄付」などというお利口さんなことをしたいと思うのか、違和感がありますが、間違ってましたらお許しください。

(7)学者の意見があやうい(吉田政勝、3月19日)
 吉原弘記さんの追加意見を拝見し、私が言葉にならない部分を表現してくださり、共感しました。周りの人にそれとなく聞くと「ビールを作るために子どもを使ったのがいけない」という意見が数人いました。それでは、ビールが悪者扱いです。「せんべい」や「お菓子」なら一連の物語は「よかったね」「楽しんだね」でイメージがふくらみます。しかし、「どんぐりをとるな」という問題の本質から離れます。レトリックとは、まさにくせものです。酒を飲んで暴れたら「酒が悪い」となります。くぎを打つカナヅチで人を殴ったら「カナズチが悪い」となるでしょうか。笑い話ですが、イメージの飛躍にはそんなトリックがありそうです。次は学者の意見です。まあ、私が言うより権威があります。だから、あやういのです。

「競争者出現(藤巻裕蔵・帯広畜産大教授=野生動物管理学)」
 リス類やノネズミのような都市周辺の森で生活する小動物にとって、最近とんでもない競争者が現れた。それはドングリをめぐる競争者である。これらの小動物たちは、種類によっては秋におもにドングリを食べている。その食料を横取りしてピールを造るというのである。ドングリの実りには年によって豊凶がある。実りの多い年であれぱ、少しくらい横取りしても、動物たちに大ぎな影響を与えることはないかもしれない。しかし、ドングリの結実の悪い年には、動物たちの食物を取り尽くしてしまうおそれもあるだろう。このほかにも、ドングリに大ぎく依存している動物がいる。それはカケスで、秋にはもっぱらドングリを食べている。だからドングリの不作の年にカケスは、八月中旬をすぎると食物を求めて里に姿を現すようになる。そのとき、あてにしていたドングリがなくなっていたら、大いにとまどうにちがいない。これらの小動物たちは、ドングリを食べるだけではなく、その一部をあちこちに運んで貯蔵する。しかし、貯蔵されたものはすべて食べられるわけではなく、食ぺ忘れもある。食べ忘れられたドングリは、そこから芽を出す。これによって、木から落ちた後は,, 風で転がるぐらいしか移動でぎないドングリを遠くヘ運ぴ、分散を助けていることになる。小動物とドングリの持ちつ持たれつの関係は長い歴史をもっており、単なる横取りとは全く違う。小動物とドングリの間に割り込んでぎた競争者とは、ヒトという動物である。(北海道新聞3月13日付夕刊)

 藤巻教授は「その食料を横取りしてピールを造るというのである」との意見です。横取り、という言葉でリスが困惑しているか、食べ物ないよーと嘆く絵を浮かべてしまいます。これじゃ、リスが手をかけたどんぐりを子どもが奪ってきた絵まで描いてしまいます。あげくに、「ビールを作るためにだよ」と、酒の持つちょっとお行儀の悪い面も連想させてしまいます。平林さんが子どもたちに呼びかけたのを、あちこちから、たかが30キロ集めてきたのは小動物が飢えさせるほどの量ではありません。森へいけば分かりますが、落ちた無数のどんぐりは地面で腐敗し、土の有機質となり森を豊かにしてます。むしろ、私に言わせれば北海道開発や畑の整備のため「柏」は邪魔物あつかいです。開発のために「木を目のかたき」にしてきたのです。川が豊かであるためには、海が豊かであるためには山や川に木が必要です。「木によりて魚を求む」ということわざがあるくらいです。

 ドングリをたくさんつける木は「ミズナラ」です。水源を確保する上で役立っているほか、昆虫や野鳥などの多くに役立っています。増殖はやはり人の手を施したほうが効率が良いようです。種子を一昼夜くらい水につけた後で、土中に2〜3センチの深さにして横向きに埋めこむ。翌年、芽が出かかった土中にまく。床替えし、2〜3年育ててから植え込むとのことです。植林には「人の手が必要」です。平林さんは利益の一部を植林事業に寄付しようとしたのです。行政が反対意見のイメージにおもねて?受け取りを困惑するのでしたら、民間の植林事業に寄付し「どんぐりゴッコ」に共感する人々で植林の日を決めてイベント化するのもおもしろいです。これが、私のはしょった感想です。やはり議論を深化させる必要がある気もします。

(8)こちらは平林です(平林英明=帯広ビール社長、3月21日)
 どんぐりビールでお騒がせしています。この場を借りて皆さんにお礼と近況報告をします。実は今日、長谷川さんのメールの最後の部分に感動して市役所に行き、寄付を断ってきました。市役所の部長室で長谷川さんのメールの最後のくだりを読み上げ、たんかをきってきました。ところが、拍子抜けしたのは「市役所に寄付をするなんてどぶに捨てるようなものだ」のくだりで、皆大笑い、そして寄付を断ったら一斉に良かったと安堵の様子。やっぱりこんなやつらに任せなくてよかったと思いました。飯田君の言うように ゴッコの世界はゴッコの世界でおおいに遊ぼうと思います。

 吉原さんの話は僕が思っていて言えなかったことです。まったく、つまらない奴らの論争に振り回されてしまいました。僕は。1000人が僕に反対のメールをよこしても、今回頂いたメールで勇気がわきました。今年の秋も どんぐりゴッコを続けます。

(9)新聞記者の頭がシンプルですわ(吉田政勝、3月23日)
 どんぐりビール益金の市への寄付は取り下げました。市も断わりの説明に苦心していたでしょう。リスのえさにどんな影響があるかおそらく説得あるコメントは期待できないでしょう。そう思ったから「平林さん、寄付をやめたら?」と私がうながしました。

 「どんぐりビール」は当初から話題になりましたが、論争の争点がオセンチ自然保護派?の反対意見におもねるばかりで、新聞記者のインテリジェンスを疑います。長谷川さんも指摘してましたが洗練度が低いです。「リスのえさとらないで」から離れて「子供を使って」「ビールを作
った」に批判がシフトしてゆくのです。子供は楽しめなかった、ビールは悪い、と連想されるのです。まさにレトリックはトリックです。

 新聞の取り上げ方は論争を相対化していない、同じ切り口を刷り込んで繰り返しているだけ。これでは「おりこうさん」な人も「ドングリビールは悪いよね」に乗せられます。新聞は妙に誘導的にならず、こういう論点があると客観的に報じてほしいですわ。二木さんが指摘するような争点を深化させるところまでゆ行かないんです。ほんと洗練度が低く残念です。道新のマスダ記者も頭がシンプルですわ。

(10)平林さんはお見事!(長谷川一二三)
 思わぬ展開に驚いています。「農と言える」の一読者として勝手な感想を書いただけのつもりでしたので、平林さんには失礼をお詫びしなければなりません。。少し先になりそうですが、帯広のランチョ・エルパソをおたずねし、地ビールを飲ませていただきます。(以前から「帯広近くに行ったら」と漠然とあったものが、「行かなくちゃ」に変わっています。)

 それにしても、平林さんはお見事でした。貫禄違いに脱帽です。軽口をお許しください。またインターネットによる討論のコーディネートの威力も、実例で見せていただきました。ありがとうございました。