農と言える日本・通信 No.40  2000-12-08      高野 孟

●[九州訪問記・その1] 大分県の山奥に「人民公社」があった!

◆日田の「ホテル風早」
 前号で予告したように、12月4〜5両日に大分県竹田市と阿蘇を訪れるということで、私共夫妻は前日に福岡経由で日田市に入り、市中心部の「ホテル風早」に投宿しました。雑誌でみかけて何の気なしに電話予約した宿だったのですが、これが大当たりで、全部で6室しかない落ち着いた和風ホテルで、隣接の酒蔵を改造したレストランで洋風懐石を味わって、ハーブ風呂に入って、好きなボトルを勝手に飲んで飲んだ分だけ自己申告すればいいというバーで一杯やって、すっかりのんびりしたのでした。その宿のご主人は武内真司さんで、筑紫哲也学長の市民大学「自由の森大学」(http://www.coara.or.jp/~jiyumori/top.html)などの文化活動や町興しに熱心に取り組んでいる地域リーダーであることも、行ってみて初めて知りました。日田は2度目ですが、今度またゆっくり訪ねてみたいと思いました。[写真はホテル風早の前で高野・西城両夫人]

◆九重野の地域営農
 4日朝に佐賀県に半定住しているインサイダーの西城鉄男・まみ夫妻が車で迎えに来てくれて、1時間40分ほど走って竹田市のお菓子屋さん「但馬屋老舗」に着くと、ご主人の板井良助さん、竹田市南部の農村地帯である九重野地区の「担い手育成推進協議会」会長の後藤生也さん、竹田市商工観光課長で農政のプロでもある河野通友さん、それに板井さんの友人で私のモンゴル旅行仲間でもある大分出身・東京在住のピアニスト=福田桂子さんが既に待ちかまえていて、さっそく彼らの案内で九重野地区の視察に向かいました。

 九重野地区は、「中国でとっくに消滅した“人民公社”が大分県の山奥で新しい形で復活しつつある」という感じで、鮮烈な印象を受けました。同地区は、農地の「所有権と利用権の分離」に基づく「地域営農」を実現し、その実績をベースに、農水省が新農業基本法の趣旨に沿って打ち出した中山間地振興のための「直接支払制度」適用の県下第1号(全国でもトップクラス)となって注目されています。そう言っても、何のことやら分からない方もいると思うので、少し解説します。

 農地解放の結果、細分化された農地を各戸が所有してそれを“資産”として捉えてしがみつくばかりで、過疎化・高齢化に伴って後継者もいないままろくに農地として活用されずに荒廃していくという「農地所有の壁」の問題が、農業の発展を阻む最大のネックとなってきました。農地法の制約ということもありますが、何よりも「先祖代々の土地を手放したくない」「都会人などに貸したら取られてしまう」といった農家の保守的な意識が問題で、私は、その壁を破るには結局、土地の国有化を断行するしかないのかと考えていました。ところが、九重野では……、

(1)もともと、独特の盆踊り(扇子と木製タンバリンを持って太極拳のような動きで踊る珍しいもので、後藤さんがリーダーとなって子供たちにも教えている)など伝統文化を継承しながら共同体的意識をまだ何とか保っていることを背景にして、[右の写真は、伝統の盆踊りを披露する後藤生也さん]

(2)93年からの「基盤整備事業」を通じて、あちこちに飛び地があったりする複雑な農地所有関係を、当時市会議員を辞めたばかりだった後藤さんらが一軒一軒説得して歩いて、「換地」等の方法で農地の集積を図ったことがベースとなって、

(3)94年には「九重野地区担い手育成推進協議会」(後藤さんは当時事務局長、現会長)を結成して、大豆やソバなどに集団転作したり、その作業をやる気のある農家による受託組合に委託する仕組みを作ったり、有機減農薬米と菜の花の作付けを抱き合わせる特色ある米作りを進めたり、地域全体の合意に基づく計画的な「地域営農」に取り組んで土地利用率を向上させ(現在173%でもちろん耕作放棄地はゼロ)、[写真は「谷ごと農場」の第1号で、棚田を牧草地にした育牛牧場]

(4)さらに、収穫物の付加価値を高めるために、女性を中心に味噌やソバやまんじゅうなどの加工品を製造する13のグループを設立し、その産品の地元販売や大分市のデパート「トキハ」本店への販路開拓について、市とJAが出資した「竹田市わかば農業公社」や、竹田市中心街の商店主など29団体・個人が出資した「まちづくり会社むらさき草」が積極的に協力する「地産地消(地元産品をまず地元で消費する)態勢を作り上げることにより、99年度で2億5000万円の売上げを得た。加工グループの1つでモチを作っている「グリーンピアほたるの会」の代表は62歳の女性で、組合員は給料制でボーナスもあり、社員旅行は去年は台湾、今年はシドニーである。

(5)そうしたときに新農基法による「直接支払制度」が打ち出され、さっそく同地区では7集落111戸の全農家が参加して、農地の「所有権と利用権を分離」してその利用権を担い手育成推進協議会に“出資”し、その出資分に応じて借地料を受け取る一方、働く意欲と能力があればそれに応じて協議会の“社員”として営農活動や農産物加工に従事するという、一段と進化した共同化に踏み出した。また農地を一層効果的に活用するため、谷ごとにひとまとまりになった農地をここは牛の放牧、ここは大豆というように適地適作で特色ある農業を配置して、それをその気のある農家に委ねる「谷ごと農場」を推進し始めた。
 直接支払制度は、従来のように農産物の価格支持のために一律に補助金を出すのでなく、生産条件の不利な中山間地の農家に田畑・草地10アール(1反=300坪)当たり2万1000円の現金を出して所得を補償し、食料供給だけでなく、国土保全や水源涵養など農業の多面的な機能を維持するための活動を支援しようというもの。これが単に各戸の懐に転がり込むだけでは、農家の親父がフィリピン・バーに通う回数が増える程度で大した意味はないが、農水省ではその半分程度は共同のファンドにして地域的な事業に活用するよう奨励している。九重野では、農地約100ヘクタール(100町=30万坪)に対し年間約2100万円、5年間で1億500万円になる直接支払総額の3分の2を共同でプールして「地域営農」を一層強化し、さらにそれをテコに2年後には協議会を「株式会社」に移行させ、その収益で農業後継者を雇い入れることを計画している……。

 所有権と利用権を分離した上で利用権を集団化するという試みに地区内の全戸が参加して、村全体を1個の株式会社にしてしまおうというのは画期的なことで、これが成功するなら、過疎村でも農業再生のための“主体”形成が可能なのだという希望と確信を全国の人々に与えるに違いありません。また、いくら主体が出来てもそれだけではなかなか知恵が出ない。そこで市当局、JAだけでなく、町興しのためにいろいろな文化事業を展開している板井さんはじめ「町衆」が積極的に協力しつつ、それを逆に中心商店街の活性化へのバネにしようとして、町と村の連携を進めていることも貴重な教訓をはらんでいると感じました。このへんを農牧業再生の1つのモデルとして専門家にきちんと理論化してもらう必要があると思います。メディアでは、九重野の取り組みに一貫して注目して報道しているのは『西日本新聞』の南里・佐藤両記者で、9月の「農に吹く風」連載で3回にわたり紹介し(9月19〜21日付)、同紙が組織する「九州21世紀委員会・農山村小委員会」(座長=山下惣一[農民作家])が現地を視察して地元側とティーチインを開いてその記録を2回続きで大きく特集したり(10月15、22日付)しています。『現代農業増刊』の甲斐良治編集長によると、同誌の次号で両記者の1人が九重野について執筆する予定だそうです。

 村の今後の問題として大事なのは、村に都会から人が集まってきて、その中から、最初は半定住者や定年帰農者が現れ、やがては若い就農者が出てくるような仕掛けでしょう。今でも年に1度の「森林公園祭り」には大分市からバスツァーで40人がやってくるし、年6回の自然観察会にも大分市から参加者がある。しかしそういうイベント的なやり方からさらに踏み込んで、福岡あたりまで含めた都会人が年に5回でも10回でもリピーターとして訪れて農家と一緒に農林作業に取り組むことを通じて「親戚付き合い」になってしまうような関係を作っていくことが必要でしょう。もちろん地元もそういうことは考えていて、板井さんが会長を務める「竹田直入地区グリーンツーリズム研究会」が研究・啓蒙活動を続けているし、市教育委員会が嫗岳(うばだけ)小学校の廃校跡を宿泊・研修施設に改造して、農業体験交流学校を開設、まずは市内の小中学生に農林業や渓流釣り・登山などアウトドアの体験をさせる計画を進めています。しかしこういうことは、行政主体で運営してもなかなかうまくいかないわけで、何よりも九重野の農家が積極的に都会人とのつながりを求めて交流活動を進め、その場合に廃校の宿泊施設を使うことも出来るという農家主体の形で進めていくことが必要ではないでしょうか。施設が出来ると行政が人を集めてくれると思って農家が待っているというのでは失敗するでしょう。この点では、我々がささやかながら鴨川で経験を積んできた棚田や大豆畑のトラスト制度・オーナー制度、農林業ボランティア制度、定年帰農受け入れのための塾開催などの試みを参考にして貰えるのではないかと思いました。

◆黒川温泉で大宴会
 九重野を回ったあと、午後は竹田市に戻って滝廉太郎「荒城の月」を生んだ岡城趾に登るなどして、それから熊本県側に少し入ったところにある、若い女性客で一杯だということで近頃話題の「黒川温泉」に向かいました。竹田市の河野課長、熊本からは佐藤誠=熊本大学教授(岩波新書『リゾート列島』の著者でグリーンツーリズムの権威。(財)阿蘇グリーンストックによる草原保全運動や小国町の「九州ツーリズム大学」のリーダーとして知られる)、東京からは三枝成彰・祥子夫妻も合流して、黒川荘の囲炉裏を囲んだ宴会はいつ果てるとも知れず続いたのでした。長くなったので、佐藤さんと共に翌日歩いた阿蘇の大草原と久住町の話はまた次回にということで……。

《参考》
竹田市役所観光情報
http://www.oec-net.or.jp/~taketa/

竹田市年中行事一覧(OCEネットの奥豊後情報)
http://www.oec-net.or.jp/soleil/a4shop/okubungoevent.html

大野川上流イベントガイド(河童倶楽部)
http://www.oitaweb.ne.jp/hp/kappa/o-event-upper.htm

竹田市役所移住者受け入れ情報
http://www.coara.or.jp/~inaka/daibosyu/jichitai/oi_taketa.html

竹田市城原小学校の山村留学受け入れ制度
http://www.coara.or.jp/~hooper/sanson.html

竹田農業改良普及センター
http://www2.pref.oita.jp/15200/taketa/index.html

紫草で町興し(読売記事)
http://www5.yomiuri.co.jp/kyushu/nsurf/nsurf44/nsu4408/nsu440801.htm

竹田名物「頭料理」(JR九州)
http://www.jrkyushu.co.jp/travel/zukan/gourmet/g9712.htm

大分県庁
http://www2.pref.oita.jp/

●鴨川今年最後の集合は16〜17日です!
 大豆の“選別作業”と森林整備作業を行い、土曜日は忘年会を兼ねた大宴会です。ボランティアの方々、トラスト会員の方々、今年を振り返りつつ来年の計画を話し合いたいので、ふるってご参加下さい。

●帯広21世紀最初の集合は2月3〜5日です。
 厳寒の帯広に集まって、雪中乗馬、スノーモービル、サウナを楽しみつつ、来年夏の日甜跡地でのモンゴル村開設と北方圏音楽祭(?)のための実行委員会を立ち上げます。大阪から、先日初めて訪れて、空港に降りたとたんに「ここはモンゴルだ!十勝に移住したい」と叫んだスーチンドロン君(鴫野駅前でモンゴル料理店を営みつつ日本と内モンゴルの交流に貢献している貴公子)とそのサポーターで私の長年の友人である大阪読売の大記者=斎藤喬さんも来る予定です。▲