農と言える日本・通信 No.44  2001-01-06      高野 孟


●あけましておめでとうございます!

 今年は「農」に向かう社会の流れは一層太くなっていくでしょう。鴨川、十勝、そして阿蘇・久住・竹田と、農牧的生活を求めての模索を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

●『インサイダー』電子版(i-NSIDER)のご購読を!

 のっけから自己PRで恐縮ですが、私の本業であるINSIDERのご購読をお勧めします。

 INSIDERは、一番最初から言えば1975年秋に始まって25年間、私の代になって会社形態をとった1980年冬からは20年間、月2回刊、標準8ページのニュースレターとして刊行してきましたが、昨年末発行の2001年1月1日号をもって印刷メディアとしては一旦終了し、同号から新たに電子メール配信による電子版として再スタート、それに伴って、私が書きたい時に書きたいだけ書くような随時発行(毎日のこともあれば2週間に1度のこともある)、ページ数無限定(1行のこともあれば10ページ分のこともある)の自由な形態に改めることになりました。

 当然、これまでのような写植・オフセット印刷、裁断・製本、事務所への搬入、手折・封筒詰め、糊付け、郵便局への運搬、郵送料などの物理的コストがすべて省かれることになるので、年間購読料も1万2000円(プラス消費税)から6000円(同)の半額に値下げされます。

 この機会に、本通信の読者の皆様も是非とも『インサイダー』電子版をご購読頂きますようお願い申し上げます。購読申し込みはこちら(http://www.smn.co.jp/insider/top/top.html)です。なお、本通信も『インサイダー』電子版の内容の一部として組み入れることを検討しています。その場合、「農」をめぐる情勢・政策・運動論の詳細はそちらに取り入れられ、引き続き無料メルマガとして配信される本通信はその要約や行事日程の予告・報告を中心とした簡略なものになるかもしれませんので、その点もご了解下さるようお願いします。

●現代農業2月増刊『不況だから元気だ』が面白い!

 農文協の「現代農業増刊」は、藤本敏夫さんはじめ農をめぐる知の前線にいる人たちが口を揃えて「いつも世の中の先を行っている」と誉める必読書ですが、間もなく店頭に並ぶ2月増刊『不況だから元気だ/小さな消費で優雅な暮らし』もなかなか充実していて学ぶことが多いです。注目点をいくつか……。

(1)吉津耕一「安くて小さな家からの田舎暮らし」=吉津さんは福島県の山奥の只見木材加工組合(たもかく)を基盤に、田舎暮らし支援や、森林保全と古本回収を結びつけたユニークな活動を展開しつつ、たくさんの著書も出している人。彼が毎週執筆する無料メルマガ「週刊たもかく」は、メルマガのポータルサイト「まぐまぐ」(http://www.mag2.com/)から購読できます。私も読者です。また、「たもかく株式会社」はhttp://www.tamokaku.com/

(2)白井隆「無駄なものを捨てる中に本当の生活文化が」=白井さんと奥さんの温紀(はるき)さんは昨春に神宮外苑で開かれた第1回東京ガーデニングショーのプロデューサー&デザイナーとして従来のガーデニングの概念を超える演出&デザインを行って評判になった人で、私とはご近所の付き合い。月刊誌『BE-PAL』1月号から始まったご夫妻の連載紀行「庭の旅」も注目です。

(3)結城登美雄「農村社会の基層の力が見えてきた」/吉本哲郎「水俣のあるもの探し」=結城さんは、仙台を拠点に東北の農山村をくまなく歩き続けて「地元学」を提唱し実践している先駆者。そして吉本さんは、結城さんにインスパイアされて、水俣市で地元学を展開し、公害の町を全国最先端の環境の町に作り替えていった立て役者。

(4)佐藤弘「“どんづまりのむら”に21世紀地域主権社会を見た」=本通信前々号でも報告した竹田市九重野地区の地域営農と村と町の協力関係の中に21世紀を見たという西日本新聞記者のレポート。

(5)多部田政弘「お金がないから貧乏だなんて誰が決めたんだろうね」=お金で売り買いできる関係だけしか見ていない既存の経済学を超える道筋を示唆している……。

●[地元学の勉強・1]結城登美雄さんに会った!

 昨年末、東京・四谷の居酒屋で、「現代農業増刊」甲斐良治編集長の紹介で結城登美雄さんに会いました。

 前項でも触れたように、結城さんは「地元学」の創始者で、

(1)自ら東北の農産漁村をくまなく歩いてそこに息づく「じいちゃんばあちゃん」の生活文化に触れて『東北むら紀行/山に暮らす、海に生きる』(無明舎出版=秋田県の地方出版社、98年)というすばらしいルポを書いた、

(2)仙台宮城野地区を中心に町や村ごとに地元学による調査活動を10年余りにわたり指導し、その成果を30冊にも及ぶ小冊子として刊行した(その要約総集編として、地元学の会編『地元学』=2000年刊がある)、

(3)栗駒・鳴子山地から仙台湾までの江合川水域の四季の自然と暮らしを一覧できる博物学的ポスター「宮城のブナ帯食ごよみ」「宮城の食べ物ごよみ」を制作し(92年)、市民だけでなく行政にも強烈なインパクトを与えた

 ……といった活動についてたくさんのお話をうかがうことが出来ました。

 仙台から山ほど担いできて頂いたそれらの資料を、いま勉強している最中で、その中から、我々なりの地元学の実践に役立つ情報を要約していく予定ですが、ここではまず、99年6月に住宅総合研究財団が行ったシンポ「地域学の明日を考える」で結城さんが行った発言に、直接聞いたお話を重ねながら要点をまとめます。

◆東北学から(結城登美雄)

 仙台に限らず、「東京のようになりたい」という思いが、ある種の近代意識とつながりながらあって、行政の大きな力もそのように働いてきた。それは一方で結構な話だが、他方、住んでいる人間たちはバラバラにバラけて、在来のか細い文化やコミュニティもバラバラになっていく。もう一度この町を考える仲間がほしいという思いで始まったのが「地元学」です。

 足元の向こう三軒両隣で、隣の奴はどうやって生きてきたのか、向かいの家はどうだったのか、あのばあさんはヨタヨタしているけれど、昔は美人だったという話でも聞いてみようじゃないかというところから、人を集めていった。新旧住民が混在しているのはどこも同じだが、そういう人たちが集まって、「この町はどんな所だったんだろうか、どんなことがあったんだろうか」を、お茶飲み話をしながら集めていって、曖昧な記憶をそのまま記録したというだけで、町や村ごとに20〜30冊の小冊子にまとまってしまって、今なお続いている。

 そうすると、妙に皆が喜んで、不思議なことに200世帯くらいの町でも3000部くらい出る。自分がしゃべったことがほんの数行でも出ていて、名前と写真が載っていると、おばあさんが喜んで、10冊くらい買って親戚や孫に配ったりする。そこに関わりのない人には何の価値もないその冊子がそんなに出るというのは、出版の常識外のことだが、少しでも関わりがあれば、誰しもその町がよくなってほしいという思いがあるわけで、行政は馬鹿で何もしてくれないと愚痴を言っているよりも、この町に何があって皆はどうなことを考えているかということくらい出し合って、しゃべり話だと消えるが、活字の残しておけば何事かになる。行政は形にあるものに弱いから、仙台市長が「地元学は大事かもしれない」と言うようになった。地元学はそういうものとして受け止めている。

 私は毎週2〜3日は東北のどこかにいる。400自治体のほとんどを歩いた。そこで出逢ったばあさん、じいさんは、金もなく、条件的には非常に悪いのに、結構ニコニコして生きている。バブルが弾けてリストラされるとかで、うつむいて生きている人が周りにもたくさんいる。その人たちは、あのばあさんたちから学ぶべきだ。私たちは金があると安心だと刷り込まれてしまっている。どうしてニコニコしていられるのかと聞くと、「財布に金があるなしではない」と。例えば「夏カンジキに冬馬鍬」と言って、夏に雪に備えてカンジキを作り、冬には春に使う馬鍬を準備するというように、「段取り」をとって暮らす。

 さまざまな段取りの知恵がニコニコの土台になっている。宮城というところは、コメ以外にも600も700も食い物があって、春夏秋冬、これでもかというくらい出てくるような自然空間があって、それを一年中、生活の中に取り込んでいく人々の知恵がある。そういうものを切り捨てることで、仙台という町は東京的なものに近づいていったのである。

 知恵とか段取りとかを残した所は、人口が3分の1、5分の1に減っているが、そこに暮らす人たちは今も「過疎ではない。ほどよい疎らさだ」と言っている。「適疎」と言うらしい。そのように考えると明るくなる。それが東北の有り難いところだと思っている。行政は「過疎をどうするか」と深刻に考えるが、放っておいてくれと言いたい。もう少し別の視点を持てないかというのが地元学の立場から言いたいことの1つです。▲