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現ポーランド〜白ロシア〜ウクライナ北西部にかけての森林・湖沼地帯に古代スラブ人が居住
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2〜4世紀
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ゲルマン系ゴート人の南下でスラブ地域は東西に分裂
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〜5世紀半ば
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フン(匈奴)の西進でゴート人が滅び、欧州の民族大移動のきっかけに
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5世紀後半
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キエフに東スラブ人(ルーシ)の街が出来る
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862
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ルーシの首長リューリクがノブゴロド王国創建(伝承)
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882
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キエフ公国創建
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989
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ルーシがギリシャ正教に帰依
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1234
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チンギス・ハーンの孫のバトゥがウラル以西進出、1241年にボルガ河畔に「黄金のオルド」を置く
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1243
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バトゥが「キプチャク・ハーン国」創建
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1328
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モスクワ公イヴァン1世がキプチャクから「大公」に任ぜられ徴税の元締になる
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1480
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キプチャク軍のモスクワ攻撃を退けたイヴァン3世が「ツァーリ」を名乗った(ことになっているがキプチャクは「クリミア・ハーン国」に合体して依然としてロシアを実効支配)
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1533
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イヴァン4世(雷帝)着位、47に公式に全ロシアの「ツァーリ」を名乗り「ロシア帝国」始まる(ということになっているが……)
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1552
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雷帝がカザン・ハーン国を滅ぼす
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1571
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クリミア・ハーン国がモスクワ攻撃、モンゴル人=シメオンがツァーリに(翌年、雷帝が復活)
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1584
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雷帝が死んで次のツァーリはモンゴル人=ゴドノフになった
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1613
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リューリク家が途絶えロマノフ着位、ロマノフ朝始まる
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1783
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エカテリーナ2世がクリミア・ハーン国を併合
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