ロシアとは何か?


 モンゴルによる550年もの支配から従属国家として生まれたのがロシア。ロシア正史は、モンゴルの支配は野蛮きわまりないもので、ロシア人は約250年後の1480年にイヴァン雷帝がそれを撃退して自らの国を建てたという具合に描いているが、その後もモスクワの宮廷にはモンゴル人がうようよしていて、その中にはツァーリになったり、ロシア人ツァーリの妃に収まったりした者が何人もいた。最終的にはエカテリーナ2世がクリミア・ハーン国を併合した1783年までの550年間、「タタールのくびき」(ロシア人はモンゴル支配のことをこう呼ぶ)は続いたと見るべきだというのが、岡田英弘教授の見方である。

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現ポーランド〜白ロシア〜ウクライナ北西部にかけての森林・湖沼地帯に古代スラブ人が居住
2〜4世紀
ゲルマン系ゴート人の南下でスラブ地域は東西に分裂
〜5世紀半ば
フン(匈奴)の西進でゴート人が滅び、欧州の民族大移動のきっかけに
5世紀後半
キエフに東スラブ人(ルーシ)の街が出来る
862
ルーシの首長リューリクがノブゴロド王国創建(伝承)
882
キエフ公国創建
989
ルーシがギリシャ正教に帰依
1234
チンギス・ハーンの孫のバトゥがウラル以西進出、1241年にボルガ河畔に「黄金のオルド」を置く
1243
バトゥが「キプチャク・ハーン国」創建
1328
モスクワ公イヴァン1世がキプチャクから「大公」に任ぜられ徴税の元締になる
1480
キプチャク軍のモスクワ攻撃を退けたイヴァン3世が「ツァーリ」を名乗った(ことになっているがキプチャクは「クリミア・ハーン国」に合体して依然としてロシアを実効支配)
1533
イヴァン4世(雷帝)着位、47に公式に全ロシアの「ツァーリ」を名乗り「ロシア帝国」始まる(ということになっているが……)
1552
雷帝がカザン・ハーン国を滅ぼす
1571
クリミア・ハーン国がモスクワ攻撃、モンゴル人=シメオンがツァーリに(翌年、雷帝が復活)
1584
雷帝が死んで次のツァーリはモンゴル人=ゴドノフになった
1613
リューリク家が途絶えロマノフ着位、ロマノフ朝始まる
1783
エカテリーナ2世がクリミア・ハーン国を併合