(1)地球進化の凝縮体としての人間の身体

※三木成夫『胎児の世界——人類の生命記憶』(中公新書、1983)より)

 脊椎動物5億年には序破急の3段階がある。

  序…古生代の無顎類魚類の時代(鰭も顎もないヤツメウナギの祖先)
    それが1億年かけて鰭と顎をもつ魚類に進化する。
    さらにその一部は古生代終わり近くに両生類に変わる。
  破…中生代の爬虫類の時代(イチョウ・針葉樹の裸子植物の大樹林を恐竜が闊歩)
    哺乳類は中生代の初めから細々と生きてきたが、中生代の崩壊で一挙主役に。
  急…新生代の哺乳類の時代(厳寒酷暑の気温変化に対応して“母胎”が出来る)

 われわれのからだを構成する60兆といわれる細胞がこの過去のすべてを大切に保管している。

 羊水は古代海水である。われわれは母胎の中で十月十日、羊水に漬かって過ごす。そこでは羊水が、胎児の口の中はもちろん、鼻の中、耳の中などすべての孔に入り込み、からだの内外を潤い尽くす。胎児は親指ほどの大きさになると舌の輪郭が定まってきて、一人前に舌なめずりしながら羊水を飲み込み味わい始める(鰓呼吸)。

 胎児は、受胎の日から30日を過ぎてから僅か1週間のうちに、あの1億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現して、ほぼヒトの顔になり、さらに70日目あたりまでで生まれてくる時とほぼ同じ顔を形成する。

(1)32日の胎児=鰓をもつ魚
32日目の胎児
 アズキ粒大の胎児には、横一文字に裂けた口に続いて右4条、左5条の鰓裂がある。デボン期の初期、鰓と原始肺を共存させた古代魚類が上陸か降海かの二者択一を迫られた時期。

(2)34日の胎児=両生類
34日目の胎児
 真横を向いた左右の目にかすかにレンズと虹彩が現れ、鼻の穴が出来はじめる。口の上下に唇の形成が始まり、鰓孔は左右に大きく1個ずつになる。手に拇指と人差し指の間のわずかなくびれが現れる。

(3)36日の胎児=原始爬虫類
36日目の胎児
 真横を向いていた目が正面を向き始め鼻孔が両側から押しつぶされその間に正中の鼻隆起が生まれる。大脳がにわかに膨れて前頭葉が形成され、ひたいが大きくのしかかる。鰓孔は耳を作り始める。

(4)38日の胎児=原始哺乳類
38日目の胎児
 両眼はまだ離れているが真正面を向き、鼻孔は正中の隆起と完全に融合して獅子頭のようになる。口は上中央の切れ込みを僅かに残してほぼ完成され、顎が発達する。鰓孔は耳たぶの形を取り始め、鼓膜が露出したトカゲの耳とそっくりになる。手の指は5本がはっきりと見える。

(5)40日の胎児=ヒト
40日目の胎児


(2)“究極の身体”をめざす「運動進化論」

※高岡英夫『究極の身体』(ディレクト・システム社、2002)より


●序章「人間の身体はどこまで高められるのか?」要旨

 人類は単細胞動物からずっと進化を繰り返し、今日の姿に至ったわけですが、その進化のルート上で経験したものは、その重要なものについてはすべて人間のDNAの中に保存されていると私は考えています。そしてそれが人間の身体という具体的な現れの中にも存在しているのです。

 一方、人類は最終的に人間という形態として新しいDNAを持ったわけです。そして肩関節の可動域の広さや手の形態、機能という、新しく持った人間らしい構造と機能によって、広い意味での「文化」を創造してきました。例えば日本舞踊やクラシックバレエは、まずもって安定的に直立的に屹立するということができなければ、成り立たない文化ですし、テニスも手がラケットを握ることができなければできません。同じようなことが、料理にも裁縫にも陶芸にも建築にも、他の一切の生産業にも当てはまります。つまりここで言う「文化」というのは、身体運動が関わるあらゆる文化を意味しています。

 それが自然に対する概念としての文化の「広がり」を作り出しているものだとすれば、文化の「高度化」という現象もまた別にあるはずです。この文化の高度化を個人の段階で見ると「上達」という言葉で表現できると思います。「上達」はある段階までは、人間らしい身体構造・機能によって担われるわけですが、そこからさらに上野段階になると、人体の中に温存されてきた過去の遺産、つまり魚類や四足動物から伝承されてきたDNA情報や身体構造、あるいは潜在的な機能を、進化の流れとは逆に発掘し直していく作業が必要になると、私は考えるのです。

 そうしたことは、スポーツにおける日本と世界の壁というところで、実はよく見かけます。例えば、ある種目で日本のトップレベルになるだけだったら、人間らしい身体構造と機能でも何とか担うことができますが、それでは世界のトップクラスには届かないのです。それがもし、四足動物の構造・機能まで遡って身体を開発することができたのなら、世界で通用する選手になれるでしょう。しかし、そのスポーツ史に残るような天才的なプレーヤーになるためには、それだけでは足りない。そうなるためには、四足動物からさらに遡って、爬虫類、さらにはその先の魚類の構造・機能まで開発しないと、不世出と呼ばれるような選手にはなれないのです。

 言うまでもなく、魚類は自然そのものですし、四足動物も人間とは別の自然に埋没した存在だと思われているでしょう。だとすれば、人間の身体の中に潜んでいる四足動物、さらには魚類の構造・機能にまで手をつけていくということは、人間が抜け出そうとしている自然に再び戻っていくということになります。そのことを自然回帰と言うのなら、外側の自然に回帰するのでなく、「内なる自然」に回帰していくのが「文化」の高度化、個人の段階では「上達」ということ、つまり多様化の方向ではなく質や水準が高まるという方向での「文化」の豊かさにつながるというのが、「運動進化論」の基本的な考え方だと思ってください。