新しい「市民政治ネットワーキング」の可能性/メモ

                         92年10月 高野

1.1995年体制?

 政界再編成は依然、日本政治の底流にある基調であり、93年総選挙後から95年参院選にかけて具体的な動きになる可能性が大きい。95年は「戦後50年」でもあり、21世紀が地平線に見えてくるタイミングでもある。基本的には、明治国家体制100年(1889年明治憲法から今年で103年)の限界があらゆる面で露呈する中で、それを乗り越えて次の100年を日本がどう生きていくかのイマジネーションを誰が提起しうるかの戦い。

2.自民党分裂が先行?

 金丸辞任をめぐって小沢の「クーデタ未遂」が発覚、同派が二分する気配が出て来た。これと、小沢調査会的な新国家主義に対する賛否両論がクロスすると、自民党が小沢中心の自由党(プラス公明党)と、本来の宮沢路線的な民主党に分岐、保守の側の仕掛けで政界再編に火が着くかもしれない。そうなると、小沢的な国家改造論を掲げた保守革命派と、穏健で平和主義的な現実派との保守2党の間で疑似的な対抗軸が形成され、社会党の居場所はなくなる。

3.社民結集?

 その状況に対処するに、社公民(すでに論外)もしくは社会・民社・社民連のような既成政党の抱き合わせによる「社民結集」は、もし出来るならやったほうがやらないよりマシだとは言えるものの、すでにほとんど意味をなさなくなりつつあるのではないか。枠組みのほうから手を着けるのでなく、枠組みを超えた(無視した)心ある人々のネットワーキングを広げながら、実質的な中身を作っていくことに発想を切り替える必要がある。既成政党の再編統合がダメだから「新党を」というのとも、また違って、さしあたり今までの概念での政党化ということを考慮の外に置いた知的なイニシアティブを形成することである。猪俣津南雄は戦前の運動の困難な時期に「横断左翼論」を書き、前衛とはイデオロギー的正統性をタテにそれを名乗る者がそうなのではなく、何らかの形で大衆を率いて現実の運動を担っている人々が所属党派や思想信条に関わりなくそれぞれに一個の前衛なのであって、それらがいきさつにこだわらずに横に繋がることが日本的な人民戦線を作る契機となりうると説いたが、その発想が現代に応用できるかもしれない。

4.ネットワーキング?

 それをもっと今日的な言葉でいえば、ネットワーキングということになろう(高野『地球市民革命』P.134、228など参照)。それを成すのは基本的に、情報と問題意識を共有しうる個人であるが、単に個人でなく、何らかの組織を率いていて、個別課題を掲げた労働・市民運動や、自治体行政を含めた地域的な活動や、生協・産直・商店街などの生活・経済活動や、学術的な研究活動やその他さまざまの社会生活の領域でうごめいている「市民の政治」を全国的な政治へと媒介するチャネラーとなりうる人々である。どういう領域のどういう人々がネットワーキングに入ってくる可能性があるかをマッピングする必要があるが、それはたぶん、今は自民党以外に中央政治への回路を持たないが故にやむをえずそうなっている自民党支持の例えば商店街組織や青年経営者の「街づくりを考える会」とかいったものまで含めて、想像を超えて大きな広がりのものとなるだろう。

5.労組の市民化

 鍵となる1つは「労組の市民化」である。ますます量的に増大し、ますます貧困化する労働者階級こそ社会変革の原動力であるというマルクス的な観念は(路線の左右を問わず)今なお労働運動をとらえているが、これではジリ貧になるしかない。旧来の意味における労働者階級は社会の中で永遠に、そしてますます少数派であり、企業を含めた社会全体の中でますます多数派になりつつあるのは実は市民であるという観点に立たないかぎり、労組は「企業の市民化」にさえ対抗出来ずに衰弱していくことになるのではないか。上のネットワーキングが面白くなるための重要なポイントは、労組自身が市民的な価値観を企業内に持ち込んで、例えば環境や福祉をめぐって経営サイドの「コストの許容範囲での企業の社会的責任」のための施策の限界と欺瞞性を指摘して、より徹底的なオルタナティブを突き付けて企業内で闘うと同時に、地域の市民・消費者運動と連係してそれを社会的・政治的な争点に仕立てていくといった、新しい運動の質を作り上げていくことである。連合参議院は、政党なら自衛隊・憲法についてはっきりした考えを示せなどという自民党の恫喝におたおたすることはないのであり、そういった労組・市民のオルタナティブ形成のためのネットワーキング型の政治グループであって、今までの意味の政党ではないと開き直るべきだろう。

6.68年世代?

 いずれにしても、ネットワーキングの主力は68年世代ということになろう。いろいろなことを考えながらいろいろのことを始めているが、しかし全体としては退屈して自分を持て余しているこの世代の力が、1つの巨大な「勝手連」のように動きだすことである。

 以上は、高野の考えていることのとりあえずのメモで、これを叩き台のまた叩き台にしてまず中心部分の議論を始め、発表はする必要はないが何か趣意書のような形でまとめたい。それと同時に、さしあたりどういう人びとに声をかけるか、リスティング・マッピングの作業をすることになろう。さてその上で、何から始めるか……。