11・26シンポ――私なりの総括と提言

                           94・11・29 高野 孟

 11・26シンポは、海江田さんが言ったとおり、ともかくも「第3勢力が姿を現した」という意味で基本的に成功だったと思います。マスコミは、ここで新党の結党準備会の発足が宣言されればセンセーショナルなニュースになるといった、いささか過剰な期待というか、助平根性で見ていたので、「欠席が多い」「日程が明示されず」といった調子で報じましたが、それは見当違いというものです。さきがけの人々や労組幹部を含めて109人もが共同主催者に名を連ねたこと自体が大変なことで、この拡がりを大切にしていけば、必ず第3極の形成に成功するという確信を持ちました。

 今後のために、いくつかのポイントを(提言を含めて)述べておきます。

(l)民主リベラル結集のイメージ

 私の考えでは、民主リベラルの結集は旧来の意味における「新党結成」ではなく、ネットワーク型の緩やかな結集をイメージすべきだと思います。当日、私はそれを「点線」と表現しました。図示すれば次のようなことになります。

  連合        草の根         地域        個人    
   |         |           |         |  
 ― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
|  ↓         ↓           ↓         ↓   |
| 労組幹部     市民運動家  ローカル・パーティ      学者・文化人|
|                        自治体首長         |
|                                      |
|                                      |
|    保守リベラル     社民リベラル        市民リベラル   |
|     ↑  ↑       ↑   ↑        ↑   ↑    |
 ― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――   
      |  |       |   |        |   |       
      | さきがけ     |  新民連       |  海江田グループ  
      |          |            |   ↑      
   自民党一部       連合参議院      民社党一部  日本新党   

 民主リベラルは、政治家だけでなく労組・市民運動の幹部、自治体首長、ローカル・パーティ、学者・文化人、市民一般が個人の資格において参画する円卓会議型の多様で重層的なネットワークであり、旧来のパターンのピラミッド型の「党」ではないことを明確にすべきです。政治家レベルでは、さきがけを典型とする保守リベラルがあり、新民連を核として連合参議院や民社党一部からの合流者など社民リベラルがあり、目本新党の流れをくむ市民リベラルがあって、それらの間では、民主リベラルという基本的な理念は(共通分母として)共有していても、具体的な政策や手法については(分子として)違いがあって当たり前で、それを無理に1つの網領の下にまとめようとすることは無意味です。海江田さんが提起した「民主主義ルネッサンス宣言」を揉んで、民主リベラルの基本理念をきちんと打ち出して、そこから先の政策については、その時々の選挙要網なり政権構想なり行動計画なりでその都度合意を図っていけばいいのだと思います。そのへんをはっきりさせれば、選挙に勝つためには、政権を取るためには、まずは数を揃えなければという発想に立つ19世紀型の自民党や新進党とは、根本的に違うのだということを浮き彫りに出来るのではないでしょうか。

(2)理論的な背景

 ネットワーキング型の結集について、私は2年前に「シリウス」というものがまだあった頃に、「新しい市民政治ネットワークの可能性」についての短いメモを作って提言したことがあります。当時はまだ経世会が分裂する前でしたが、「自民党が小沢中心の自由党(プラス公明党)と、本来の宮沢路線的な民主党に分岐」して「保守2党の間で擬似的な対抗軸が形成され、社会党の居場所はなくなる」との見通しのもと、既成政党の抱き合わせによる「社民結葉」や「新党結成」でなく、「さしあたり今までの概念での政党化ということを考慮の外に置いた知的なイニシアティブを形成すること」の必要を唱えました。そこで次のように書いていたのは、今なお有効だと自分では思っています。

「猪俣津南雄は戦前の運動の困難な時期に『横断左翼論』を書き、前衛とはイデオロギー的正統性をタテにそれを名乗る者がそうなのではなくて、何らかの形で大衆を率いて現実の運動を担っている人々が所属政党や思想信条に関わりなくそれぞれに一個の前衛なのであって、それらがいきさつにこだわらずに横につながることが日本的な人民戦線を作る契機となりうると説いたが、その発想が現代に適用できるかもしれない。それをもっと今目的な言葉でいえば、ネットワーキングということになろう。それを成すのは基本的に、情報と問題意識を共有しうる個人であるが、単に個人でなく、何らかの組織を率いていて、個別課題を掲げた労働・市民運動や、自治体行政を含めた地域的な活動や、生協・産直・商店街などの生活・経済活動や、学術的な研究活動やその他さまざまの社会生活の領域でうごめいている“市民の政治”を全国的な政治へと媒介するチャネラーとなりうる人々である。どういう領域のどういう人々がネットワーキングに人ってくる可能性があるかをマッピングする必要があるが、それはたぶん、今は自民党以外に中央政治への回路を持たないが故にやむをえずそうなっている自民党支持の例えば商店街組織や青年経営者の『街づくりを考える会』とかいったものまで含めて、想像を超えて大きな広がりのものとなるだろう」

「鍵となる1つは“労組の市民化”である。ますます量的に増大し、ますます貧困化する労働者階級こそ社会変革の原動力であるというマルクス的な観念は(路線の左右を問わず)今なお労働運動をとらえているが、これではジリ貧になるしかない。旧来の意味における労働者階級は社会の中で永遠に、そしてますます少数派であり、企業を含めた社会全体の中でますます多数派になりつつあるのは実は市民であるという観点に立たないかぎり、労組は“企業の市民化”にさえ対抗出来ずに衰弱していくことになるのではないか。上のネットワーキングが面白くなるための重要なポイントは、労組自身が市民的な価値観を企業内に持ち込んで、例えば環境や福祉をめぐって経営サイドの『コストの許容範囲での企業の社会的責任』のための施策の限界と欺瞞性を指摘して、より徹底的なオルタナティブを突きつけて企業内で闘うと同時に、地域の市民・消費者運動と連係してそれを社会的・政治的な争点に仕立てていくといった、新しい運動の質を作り上げていくことである」

「いずれにしても、ネットワーキングの主力は68年世代ということになろう。いろいろなことを考えながらいろいろのことを始めているが、しかし全体としては退屈して自分を持て余しているこの世代の力が、1つの巨大な『勝手連』のように動き出すことである」

 ここで猪俣出てくるのは、私の母親の前夫だったという因縁で多少その著作を読んだことがあるというだけのことで、他意はありません。労組の市民化の部分は、山岸流の政界再編フィクサーぶりへの違和感を表したもので、労組にとっての政治とは、労働者は実は市民であるという観点から、草の根のところから市民政治を作り出していく先頭に立つことに本義があるということを言っています。ヨーロッパやアメリカに興っているネットワーキングの組織論については、私が2年前に出した『地球市民革命』の中で具体的に触れています。要は、市民が政治と関わるについて、地域・自治体レベルでの日常的な行動、全国レベルでの選挙や政策提言、国際レベルでのNGO活動といった3層があって、プロフェッショナルな政治はそれらをエネルギー源としようとすればネットワーキング型のスタイルをとる以外に道はないということです。

(3)1月中句に何が起きるか

 社会党は、自らを社民リベラルとして再編することで、初めてトータルな意味での民主リベラル的なネットワーキングの中核となることが出来ます。しかし、新民連が中心となって社会党をリストラすることは、基本的には社会党の党内問題であって、来年1月中までに分裂するなり一部が離党するなり、あるいは機関決定によって解党を決めてそれをよしとしない対自民協調派がこぼれるという形をとるにせよ、それは、さきがけや梅江田グループとは直接に関係のない話であることをはっきりさせておく必要があります。

 さきがけは、それなりに一応、信念に基づく党であり、また海江田グループも、小沢が仕切る党には人れないという思いを抱いて別行動を決断した人々の集まりであって、それぞれに民主リベラル結集にはせ参じる、少なくとも資格を備えています。それに対して社会党は、(1)河野=自民党を“ハト派”と錯覚しているいわゆる左派、(2)政策なんぞどうでもよくて自分の生き残りのことしか考えていない老人グループ、(3)本当に3極化を目指している新民連の中心勢力、(4)選挙区事情から新進党との連係を期待しているいわゆる急進派一一と四分五裂の有り様で、これを整理しないかぎりは、その資格が生じません。この結集は、新進党とは違って信念に基づく結集なのですから。

 絶対に誤解してならないのは、1月中句までに社会党とその内部の新民連の関係がどういう決着を迎えるにしても、それは直ちに民主リベラル“新党”の旗揚げではなく、社会党の社民リベラルヘの脱皮にすぎないということです。その決着がどうであれ、それは社会党がようやく社民リベラルとなって、全体としての民主リベラル結集の一翼ないし中核を担う資格が整うかどうか(上の図の点線の中に入るかどうか)という問題であって、その段階でさきがけや海江田グループやその他がすべてそれに合流して一大新党が出来上がるわけではありません(しかも,上に述べたようにそれはたぶん「党」ではないはずなのですが――ですから閉会中に「リベラル新党」が出来るというのは,二童の意味で誤解を招きます)。

 つまり、先日のシンポで、社会党内の決着の行方が定かでないまま、とりあえず新民連、海江田グループ、さきがけプラスアルファという形で第3極がお目見えしたものが、1月中句に社会党内の決着を待って、その時までに「宣言」なども磨き土げられて、上の点線のような保守リベラル、社民リベラル、市民リベラルの緩やかな連携という明確な格好で姿を現す、ということではないでしょうか。新進党は永田町レベルの再編しか考えていないのに対して、こちらはそうではないのだということを鮮やかに示す必要があります。

(4)社会堂にとっての問題

 社会党にとって問題は2つあって、1つは、自民党と心中も辞さない疑似左派や老人退嬰グループの処埋の問題。煎じ詰めれば、この人たちが出ていかないで付いてきてしまう場合に、それを切り離す論埋が立つかどうかです。しかも切り離しながら、当面、村山政権を維持するというのはなかなか難しい芸当です。

 もう1つは、兵庫県グループのように新連党と連係することを前提として一見遇激派ふうに振る舞っている人たちをどうするかで、この人たちが新民連の中心にいるようなことでは、結集は甚だしく矮小なイメージしか持ち得ず、さきがけや海江田らは不安を持つし、世間からも誤解されます。第3極が形をなした後には、自民党とも新進党とも是々非々の協力があり得るのは当然として、今の段階でこの人たちが“決起”するのは百害あって一利もありません。  どういうことかと言えば、羽田政権の終わりに本来は《反自民・非小沢》という視点から旧連立復帰を目指すのが唯一の筋道であったにも関わらず、老人グループと疑似左派の《親自民・反小沢》に引きずられて村山政権が出来てしまい、ざらにそれに反発する余り《反自民・親小沢》という逆ブレが生じているのであり、そのどちらに片寄っても社会党の生きる道はないのでしょう。

 といって、自民党と政権を組んでいる以上、当初の《反自民・非小沢》に立ち戻れる訳でもなく、次善の策として、新進党とはもちろん明確に一線を画しつつ(しかし今後の提携や協力の余地は残しながら)、同時に政権内ではさきがけと密接に連携しつつ自民党との矛盾を次第に熟成させていくという、《非白民・非小沢》の線を貫かなければなりません。政権を共にしながら矛盾を熟成させていくという弁証法の分からない人たちとは、出来るだけ早く何らかの形で決別しないと、それだけ社会党の壊滅の危険が高まります。

(5)今後の持って行き方のポイント

●12月10日の前に、新進党に「そんなことでいいのか」と揺さぶりながら民主リベラル結集の意味を印象づけるためのアピールを、例えば山花、海江田、佐藤謙、鷲尾あたりの連名で出したらどうでしょう。語りかける調子で……

▼一時はわれわれと共に改革の道を歩んだあなた方が、政治家としての信念や理念・政策によってではなく、ただ選挙が恐いというだけの議員心理の寄り集まりのようにして急いで党を作ろうとするのは見るに耐えない。これでは右から左までごちゃまぜで、ただ権力の維持だけを目的にして集まっている自民党の数の論理と同じではないか。そういう政治を克服しようというのが政治改革ではなかったのか。

▼新進党の実質的なプロモーターが小沢一郎さんであることは誰の目にも明らかで、そうならばなぜ小沢さんが堂々と党首になって、小沢さんの『日本改造計画』に盛り込まれた国権主義的な「ふつうの国」路線、自由競争を優先する新保守主義の方向を旗として掲げて、それに心から賛同する人々がまさに信念をもって結集するようにしないのか。たとえそれが100人でも、いいではないか。

▼公明党と創価学会のみなさんは、長い反戦・平和の活動の歴史を持っているし、また常に恵まれない人々の味方であろうとしてきたのではなかったのか。日本新党のみなさんは……。民社党のみなさんは……。海部さん、あなたは護憲派で、湾岸戦争に際しては当時の小沢自民党幹事長の無原則的な対米追従による戦争協力の路線に、首相として何とか歯止めをかけようと努めたのではなかったか、云々。

▼われわれは、平和、自由、公正、連帯をキーワードに……民主リベラルの結集に向かっている。その結集の仕方は、旧末の意味での党ではなく、政治家を始め各界の人々が個人の資格で自由に連合しながら新しい市民の政治を件り出していく開かれたネットワークであって、今は選挙区事情などでやむをえず新進党に加わらざるをえないみなさんも、やはり信念に従って生きようと思い直した時にはいつでも来て輪の中に人ることが出来る……。

●「宣言」を磨く件業を、さきがけや海江田ら、あるいは外の人々とも共同で連める態勢を作る。

●1月に社会党内が決着したのを受けて、点線型の結集が目に見えるようにするイベントを考える(誰でも参加の徹夜討論会とか?)。

●知事選で非自民・非新進のリベラル型の選挙をいくつか作る(国民の目に何をやろうとしているかが初めてはっきり見える)。

●戦後50年間題、安保理人り(田中秀征路線が正しい)、軍縮、アジア、地方分権などで自民党との政策的矛盾を際だたせていく。何かと言えばすぐに「そんなら政権を下りる」と開き直るくらいでちょうどいい。

●参議院選の迎え方。

●衆議院選の態勢。これが本格的なスタートになる(というタイミングがベストでは?)。