道具と民具と民芸
《道具》
もともとわれわれが暮らしの中で用いていたさまざまの道具は、個々を取ってみてももっと美しく、しかもそれらがお互いによく調和して1つの体系美をなしていたように思う。
今になってふと気が付いて見回すと、われわれの身近に山と積まれている生活用具は、1つ1つはまことに利便性があり、中には機能的・デザイン的に優れたものもあるけれども、総じて無味乾燥であっったり単に奇抜だったりして、何よりも全体として見渡した場合に何の連関性も統一性もなく、或る1つの暮らしぶりを表現していない。
地方に行って豪農の旧家や素朴な山荘を訪れた時に、どうとも言えずホッとした気分になるのは、そのあたりにさりげなく置いてある道具や器や脱ぎ捨てられた履物までが、色合いも味わいも手触り感も一致していて、家の座敷や囲炉裏や土間のたたずまいに和んでいるからである。
それはそのはずで、どの道具も、そこに住む人が周りで手に入る材料で手作りし、そうでないとしても近在の大工や鍛冶屋や木地師が丹精込めて造作したものを、使い込んでは手入れをし、場合によっては何世代にもわたって大事に受け継ぎながらそうしてきた、1つづつがかけがえのない品々であって、そうしたものの総和がその人、その家なりの自然と人間との和み方としての或る生活文化を形作っていたのである。
生活の3本柱は衣と食と住で、かつてはそれらを創造し維持し改良し続けていく生活の知恵のツールとして様々な道具があって、それらこそが生活文化の実体的な担い手だった。が、何時の頃からか衣食住のあれこれの要素は、カネさえ払えば手に入るし、壊れたら修理を頼むか買い換えればいいだけの話になって、自分では何もやらなくて済むようになった。
そうなると道具や素材も退廃して、木が化粧合板やプラスチックやアルミに、布が化学繊維に、紙が合成紙に、炭が電気に、打刃物が安物のステンレスに……というように、本物が、安易かつ安価に大量生産された代用品や使い捨て品やまがい物へといとも簡単に置き換えられて、それによって我々は、味も素っ気もないというだけでなく、場合によっては人間と自然に有害であるような品々に囲まれて暮らすようになり、それを大して不思議とも思わなくなった。
ところが、それによって退廃するのは道具だけではなくて、人間能力の全体性そのものである。道具は人類の出現とともに古い。たまたまそのくらい古いというのではなくて、2本の足で直立することで自由になったもう2本の足を手として使うようになった時から、人類の祖先の脳は他の動物とはかけ離れた急速な発達を遂げ始め、やがてその手の延長として道具を握り、その道具でもっと便利な道具を作るようになって、それで初めて人間は人間になった。
だから「人間は道具を作る動物」と言われるように、道具は、自然に働きかけその恵みを余すところなく享受しようとする能動的な存在としての人間の本質に関わっているのであって、道具を使わないのは人間をやめるのに等しい。「道具は、人とモノとの対話の通訳者」だと、村松貞次郎=東大名誉教授は書いている。「たとえばナイフで木を削る。硬い木、柔らかい木、素直な木、くせのある木、香りの高い木。同じ木でも削り方によっては、意外な抵抗をしめす。そのモノとの対話の中に、われわれは、自然にふれ、太古の人間の心に還ることができる」。
農村や牧場で暮らす人々と触れあってしみじみと驚くのは、彼らが田や畑や森や野草や家畜や獣等々についての生活百科全書的な知識を持っていて、しかもそれらの恵みを用いて食品を加工したり料理を作ったり家を直したり道具を調えたり、たいていのことは人の手を借りずに自分でやってしまう万能的な技術をごく当たり前に身につけていることである。考えてみると、一昔前まで人は皆、そのような自然との対話能力を備えていて、それによって能動的に自分の生活を支配して暮らしていたのに、今の都会人は必要なもののすべてを大量生産・大量流通の機構に委ねて限りなく受動的になって、誰がどうやって作ったかも分からない正体不明の物どもを金に任せて買い集めてそれを「便利」と錯覚し、その結果、人間が本来持っている生活能力の全体性はズタズタに引き裂かれてしまった。
村松は言う。この大量生産・大量消費の時代には「たしかに物質はあり余っている。しかし今日のわれわれほど、モノから疎外されいる人間はかつてなかったのではあるまいか。モノを知らないのである。モノとの心のかよった対話を失っているのである。何でできているのか、どうして作られたのか、さっぱりわからないモノに囲まれて、われわれは生きている」と。
そのことへの抵抗のスタイルとして、市民農園、農林業ボランティア、DIY、アウトドア、中高年登山などといった“自然回帰”ブームがあるのだろう。それらは単に、対象としての自然に触れ合いたいというだけでなく、それを通じて自分自身の主体的な全体性を取り戻したいという衝動に発していることであるに違いない。例えばキャンプに行って、天候を見極めながらキャンプ地を定めて自分らの手で一夜の住まいを設定し、竈を築いて鉈で薪を割り、ナイフで箸を削り、限られた素材をうまく活用して料理を作ったりして、その何が楽しいのかと言えば、失われつつある野性としての人間の本能がくまなく刺激され試されるからである。しかしその限りではまだ部分的・一時的・非日常的なレジャーの域を出ない。そこをもう一歩踏み込んで、日常の生活空間の中にそのような本能的全体性を取り入れることは出来ないか、というのがわれわれが考える「農的生活」ということになる。
何事にも過激派がいて、四半世紀前に米国製の大鉈1本持って南房総・鋸南町の山中に移り住み、今なお半ば原始的生活を送っている自然派ライターの遠藤ケイはその代表だろう。彼は、露天に寝袋で寝泊まりしながら、斧で森を開き廃屋を壊してチェーンソーも電動ドリルも使わずに最初の小屋を建て、ドラム缶で風呂を作り、トイレは裏山にシャベルを持っていって穴を掘って済ませ、ほとんどの道具や刃物は自分で手作りするという徹底ぶりで、都市文明の虚構を徹底的に否定すればそこまで行き着くのが本当だろう。
しかしそんなことが誰にでも出来ることでないことは、彼自身も認めている。われわれはしょせんは自然回帰ブームというお遊びかそれに毛の生えた程度の農林業ボランティアくらいで満足するしかない。それでも、彼がその極限の体験から得た次のような感覚は、少しでも味わい、身につけたいと思うのである。
「自然生活に身を置いて、身に降りかかる危険や生活上の変化、困難や困窮を真剣に見据え、立ち向かっていくとき、初めて眠っていた知能が、肉体の機能が、呼び覚まされるのだ。受け売りではない、血の通った知識。そして手が道具として機能し、手の延長としての道具を使いこなしていくことの純粋な感動と喜びを深めていくことができる。……他人まかせでは成り立たない暮らし。一切合財を自分自身で判断し、作り出していく生活や生き方が面白くてやめられない」
ところで、道具という言葉だが、なぜ「道の具」なのか前々からいささか疑問に思っていたところ、たまたま平凡社の百科事典のその項を見たら、中国では道具は「仏教に用いる器具」のことで、それが日本では室町時代に、家財道具から大工道具まで含む一般的な道具の意味に転化したのだと言う。しかし『字通』によると、《道》は元々「お祓いをして人が通れるように清める」というのが原義で、そこから転じて「みちびく」、そのための「はたらき」「てだて」という意味に用いられ、また《具》はそもそも、昔は貴重品で通貨としても用いられた「貝を両手で持って奉る」という字で、儀礼の際に用いる器の中にそれにふさわしい中身が具わっているという意味での「そなわる」「そろう」を意味したと言うから、「道具」の語は中国でもすでに、必ずしも仏教に限らず、祭儀用の大切な器具ということだったのではないか。ま、要するに、ある目的のために備えておくべき手段ということだろう。
ちなみに英語では"tool"=トゥールという言葉がすぐに思い浮かぶが、その直接的な意味合いは「工具」すなわち「つち・のこぎり・やすりなど機械的作業のための、特に手に持って使う道具」である。それに対して"implement"=インプルメントはラテン語の「満たす」に起源する古い言葉で、もっと広く「道具、用具、器具」一般を指す。「農機具」という場合にはfarm implementと言って、このときにtoolは余りしっくりしないらしい。もう1つ"utensil"=ユーテンスルという言葉があって、これはラテン語の「使い勝手がいい(useful)」という意味の言葉がフランス語を経て英語にも入ってきた。「家庭用品、台所用品」で、釣り具や喫煙具の場合もこれを使う。インプルメントには、「聖職者の式服などの装具」という意味もあるから、たぶんラテン語の原義はそれで、中国の「道具」という言葉の始まりと通ずるものがある。さらにそこから転じたのだろう、インプルメントは比喩的に「神の代理人」という意味で使われることがある。ところがトゥールを比喩的に用いると「手先」という否定的・軽蔑的なニュアンスになる(Random House英和辞典より)。
[参考]
◆村松貞次郎『大工道具の歴史』(岩波新書、1973年)
◆遠藤ケイ『道具術』(岩波書店、1990年)
《民具》
道具というものをそのように考えると、自ずと興味は、われわれの祖先がこの日本の風土の中でどんな生活用具を生み出し使いこなしてきたかということに向けられる。
日本の伝統的な生活用具に初めて民俗学的な関心を差し向けたのは渋沢敬三で、まさに日本型産業社会が開花して数千年に及ぶ農産漁村の伝統文化の衰退が始まった1930年代のことだった。彼は「我々の同胞が日常生活の必要から技術的に作り出した身辺卑近の道具」に《民具》という言葉を与え、自ら主宰する「アチック・ミューゼアム」(古典研究所の意味、のち日本常民文化研究所と改称)でそれらを体系的に蒐集・研究しようとした。その民具には、衣食住、生業、運搬などにかかわる用具だけではなく、生活全般にわたるきわめてひろい品々が含まれている。同ミューゼアムが1936年に作成した『民具蒐集調査要目』は、渋沢が翌年に刊行した『民具問答集』の付録に納められているが、そこには次のような分類項目と大変な数の品目がある。民具とはどれほどのものかが感じられるので、見ても何だか分からないものもあるけれども、敢えて全文を引用する。
一、衣食住に関するもの
1.家具──室内器具、寝具、保存用具を含む
風立(衝立)、火鉢類、煙草盆、机、鏡台、各種戸棚、長持、鉤の類、銭箱、火棚、自在鉤、下駄箱、鎌巻、花筒、枕、茣蓙類、夜衾、サッコリ布団、魚サシ、膳棚、お針道具、等
2.燈火用具──燈火器及び発光器、燃料の或物をも加える
シデ鉢、燈台箱、行燈、燭台、カンテラ及びカンテラ台、提燈、蝋燭、松脂蝋燭、附木、火打箱、火打袋、摺火器、松火、火口箱、火打石、火打鎌、等
3.調理用具──一般台所用具中、主として調理に使用する道具を含む
鍋、釜、桶、摺子木、煉鉢、庖丁、豆腐製造器、粉挽道具、臼、杵、柄杓、塩壺、鍋敷、笊、テッキ、鍋取り、等
4.飲食用具・食料及び嗜好品──一般飲食器具、其の他茶道具、煙草道具を含む
木地椀、箱膳、盆、チャツ、椀、箸、印籠、メンパ、ワッパ、チギ、ホカイ、茶桶、茶筅、茶杓、茶臼、煙草切道具、煙草盆、等
5.服物(履物を除く)──一般服物の中、地方的特色ある様式材料に依る晴着、常着、労働着を 含む。その他防寒(雨)、日覆の類も含む。
総括して材料には左の如きものがある
藤布、麻布、綿製品、マダの繊維製品、カラムシ、葛、楮布、獣皮、篠、棕櫚、蒲葵、蒲、菅、藺(い)、芝、海藻、アスナロの外皮、檜、竹、紙、等
製品としては、
藤布の裁着、鹿皮の裁着、マダ布の猿袴、カルサン、犬の皮の胴着、同胸当、藁の手袋、蒲脛巾、ドンザ、サッコリ、脛巾、アクトアテ、ヘダラマキ、甲掛、手覆、襟当、フルシキ、手拭、三尺、ユテ、一般の仕事着、各種頭巾、腹掛、前掛、等
傘、笠、蓑、腰蓑、肩蓑、バンドリの類、ガント(狩人の被物)、等
6.履物──材料には各種ある
木履各種、藁沓、爪掛類、竹下駄、浜下駄、草履、足半、草鞋、皮沓、カンジキ(木製・鉄製)、大足(おおあし)、田下駄、等
7.装身具
櫛、笄(こうがい)、元結、竹長、其の他結髪用具、袋類、文身道具、等
8.出産・育児用具──出産に関しては祝品、縁起物、又は地方的特色ある調度品類。
育児関係のものでは、ツグラ、イズメ、イサ、シンタ、等の嬰児籠の類
9.衛生保健用具──之には民間療法に必要の用具及び材料を含む
オハグロ道具、捨木(イタドリの幹、竹ヘラ、藻)、温石、センブリ、オーレン、サイカチの実、等
二、生業に関するもの
1.農具
鍬、鋤、備中、唐鍬、万鍬等耕耘用の器具
摺臼、唐箕、槌の各種、桝、鎌等の収穫用具
其の他、播種、施肥、除草、害虫駆除を初め苗代仕立に使用さるる用具、大足、田下駄、等
2.山樵用具──山樵に関するものの中、運搬関係の用具は除く
鎌、鉈の各種、鋸、斧、鉈の鞘、砥石袋、弁当箱、等
3.狩猟用具──現在の鉄砲具は除外する。所謂火縄銃迄の銃器其の他である
烟硝納れ(印籠式、竹筒、長門細工、角製等、狩人独自の製作になる)、狩着、火縄、火縄入れ、火子入れ、口薬入れ、弾丸製造器、山刀、鹿笛、鳥笛、呼子笛、手槍、天串、罠、等
4.漁撈用具──海、湖、川等に使用さるる漁撈用具で、海藻採取に関するものも含む
筌、各種の釣具、各種の網、銛、鎌、ヤス、イソカネ、アカトリ、磯着、等
5.紡織色染に関するもの
用具としては、機、地機、筵機(むしろはた)、紡車、綿繰り器、綿打具、枠の台、ウマ、紡筒(オボケ)、糸管、筬の各種、梭(ひ)縞張、ヨリコ、ヘソ玉、ガワ類、等
材料としては、マダ、麻、藤、藍、クチナシ、泥、ムラサキ、木槿(むくげ)、テーチギ(車輪梅の一種)、等
製品としては、藤布、楮布、麻布、マダ布、木綿織色、炭俵、ネコ、茣蓙、ムシロ、スダレ、畳表、等
6.畜産用具──伯楽関係も含む
手綱、轡、牛馬腹掛、秣(まぐさ)桶の各種、鈴、鼻ホガシ、鬣(たてがみ)を切る鋏、ラク印、爪切道具、ハナギ、クチモッコー、牛馬の沓、オモガイ、等
7.交易用具──交易、市に関係あるもので度量衡具、計算具等を含む
算盤、各種の桝、財布、銭箱、等
8.其の他
漆掻き、樟脳採り、砂金採り、木地師、ガワ師、皮むぎ、岩茸採り、屋根葺師、ヒョウ、ポン、山窩、塩浜、石工、大工、鍛冶屋等の使用する特種職業用具、等
三、通信・運搬に関するもの
1.運搬具──器械に依るものを除き、牽き、担い、負い、舁(かつ)ぎ、提げ、戴き等の方法に 拠る用具と、その補助具及び携行具
橇の各種、鳶口の類、背負梯子、ニンボー、背負縄、背負籠類、ケゴビク、コダシ、ネコダ、セナカアテ、ナンダラ、モッコ、カマス、コブクロ、天秤、ワ、マゲモノ(頭上に置くもの)、等
2.行旅具
ヌサ袋、フクワラジ(三十三ヶ所巡り)、ウチガヒ、ツバクロ、イトダテ、白衣、胴巻、金剛杖、等
3.報知具
拍子木、ホラ貝、バン木、采、半鐘、采配、旗、ノロシ具、文箱、等
四、団体生活に関するもの
──災害予防具、若者宿の道具、地割用具、共同労働具等を含む
堂椀、共同使用の網、車、等
五、儀礼に関するもの
1.誕生より元服(成年式)
イワタオビ、イヤギ(喜界ケ島にて子供の出産運定めとして屋根にさす用具)、ウブギ、ヨダレカケ、テゴ(七五三祝の用具)、穿き初めの草履、褌、オハグロ道具、歯ガタメ餅、等
2.,婚姻──祝物、縁起物、又は地方的特色ある調度品
フネ、ツギバコ、ワタボーシ、オハグロ道具、〆酒の類
3.厄除──厄除、厄払いに関係ある特殊の道具。
4.年祝
火吹竹、フクベの着物、麻葉の褌、赤色のチャンチャン、帽子、等
5.葬式・年忌──特に地方的特色ある民具
アシナカ、冠り物、配りもの、水トーバの類
六、信仰・行事に関するもの
1.偶像──主として民間卑近のもので、所謂高遠な芸術品とは自ら別である
庚申、山神、水神等の民間信仰に機縁多き御影又は御札の類、
オクナイ様、塞の神、行者、地蔵、馬頭観音類、オシラ様、カクラ様、和合神、等
狐、犬、狼、鹿、蛇、鶏、烏、鮭等の如き動物の形態を採ったもの、
河童、天狗、八足牛等の妖怪に類するもの、
虫送りの藁人形、精霊馬、形代の類、
或いはそれ等の写真、等
2.幣帛類
幣帛、ケヅリカケ(小正月の花)、依代、梵天、万燈の如きもの、
ザゼチ、道祖神祭の飾り、シメ縄の類、
ススハキ男、道柴の類、石、幟、繭玉、等
3.祭供品及び供物
汐タゴ、キヨメ御器、エビスの藁皿、オミキスズ等の祭供品、ミズの餅、等
4.楽器
笛、太鼓、鈴、神楽鈴、ビンザサラ、ササラ、鉦、鰐口、四ツ竹、拍子木の類
5.仮面──材料様式として木彫、木彫彩色、木地彩色、樺皮、瓢、土型、張子が主たるもの。
鬼神、観音、般若、日能水能、猿、蟹、ナゴミタクリ、オカメ、ヒョットコ、尉、天狗、獅子、竜、狐、等
6.呪具──呪性を帯ばしめる民具類、動植物其の他。
7.卜具
粥杖、杖、算木、筮竹、籤箱、等
8.祈願品
石椀、山の神への粉袋、枕、オコゼ、奉納苞(つと)、薪、等
七、娯楽遊戯に関するもの──娯楽遊技、賭事、競技に関する器具
八、玩具・縁起物──手製の玩具にして商品にあらざるもの
この膨大な民俗資料としての民具を蒐集し研究することは、学者の先生方にお任せしよう。われわれにとって面白いのは、こうして何千年にもわたって社会全体の知恵として発展してきた伝統的な生活用具が、歴史の彼方に消え去って、今では博物館や民俗資料館に行かなければ目にすることも出来ないのかと思いきや、近頃の本物志向や自然ブームの中で再び実用の道具としての価値が見直され始めていることである。国立歴史民俗博物館の岩井宏實は書いている。
「民具といえば農村・山村・漁村で用いられた古い用具とすぐさま考えがちであるが、都市においてもそれなりに多くの民具が用いられた。台所道具だけを見ても子細に数え上げれば、おそらく1軒の家で200ぐらいの種類があった。ごく精選しても70〜80の種類の道具が常備されていたのである。昭和30年代の高度経済成長時から、木や竹や焼物の台所道具が急速に影をひそめ、プラスチックやステンレスの道具が幅をきかせたのであるが、そうしたものの無味乾燥さや、あきたらなさから今日ふたたび伝統的な台所用具が使われるようになってきた。デパートの日常品売場だけでなく都市の繁華な商店街の日常品店においても、木や竹の台所用具が出回ってきた。これらはまさに伝統民具の再生復活である」
「こうした状況がまず都市においてあらわれていることも注目せねばならない。プラスチックやステンレスでは味わえない、またそれらでは良い味、良い調理のできないことを悟り、在来伝統民具を再認識したのである。ということは、伝統的な民具のなかには現代人も及びもつかない知恵がひそんでいるからである」
岩井はこのあと、現代の機械生産によって大量に作られた道具は民具なのか、と問い、テレビや冷蔵庫のような内部メカニズムがブラックボックスになっているものは民具と言えないが、使い手が仕組みを理解できるようなものは民具と言える、と指摘している。何も変に懐古趣味や民族主義になることもないわけで、工業生産されたものでも立派な道具があるし、また外国から渡ってきたものにもその国の生活文化の中で生まれ培われた優れたものはたくさんある。要は、日本の風土・生活に即した道具のよさを見直しつつ、現代物や輸入物の中からも本物と偽物をよく見分けて、自分らしい道具生活を作り上げていくことである。
[参考]
◆宮本馨太郎『民具入門』(慶友社、1969年初版、1990年新装版)
◆岩井宏實『民具の博物館』(河出書房新社、1990年)
◆国立歴史民俗博物館(http://www.rekihaku.ac.jp/)
《民芸》
さて、《民具》に対して《民芸》という言葉があって、こちらのほうがやや古く、大正時代末から柳宗悦が用い出した新造語である。同じ生活用具でも、実用性の面に注目して民俗資料として捉えると民具になり、それを美的な感覚のほうから見ると民芸ということになるのだろうか。西洋ではフォーク・アート、ボピュラー・アートとかいう言葉は用いられており、さらにはピーブルズ・アートという言い方もあるが、この場合アートはどちらかというと鑑賞を目的とした個人の作品としての《美術》という意味合いが強く、日本で言われ始めた「非個人的・無銘的で実用的・生活的な民衆的工芸」としての民芸とはだいぶニュアンスが違う。
柳宗悦によると、日本でとくに無銘の民芸品の価値が西洋に先んじて重視されるようになったのには歴史的背景がある。第1は茶の湯で、茶の湯では用器を尊ぴ、そのうちの名器はほとんどいっさい無銘品であった。第2は日本は歴史が古く、したがって伝統が根強く残り、今も各地にすぐれた民芸品が数多く残っているのに対して、ヨーロッパの事情ははなはだ悪い。しかし、と柳は言う。
「民芸は過去の伝統品ぱかりにみられるわけではなく、新しい時代に正しい健康な実用品、すなわち新民芸の伝統が栄えなくてはならない。この意味で民芸の必要は世界的要請だといえる。そこで各国の美術館では、在来のいわゆる大美術品の展観ばかりでなく、しだいに民俗的な作品や、未開民族の作品などが展示される傾向が強くなってきた。……ただしどららかというと、集められている品々は民俗学的興味が主で、美的価値の認識による選択ではない。東京にある日本民芸館はこの点、世界のさきがけをなすもので、民衆の日常生活に交わったもろもろの無銘品の美しさをみつめて、そのまま質のうえから取捨選択を施してある。こうした美術館は他にまだ例が少ない」
さて、民芸の〈民〉をどう捉えるかを巡っては、柳が始めた「民芸運動」に対していろいろ批判が浴びせられたらしい。左翼の方面からは、「封建時代・搾取時代の過去の民芸品などなんの値うちがあろうか」といういかにも近代主義的な否定論があるかと思えば、他方ではその裏返しで「しいたげられた民衆への擁護」として民芸運動を位置づけようとする意見もあった。これらに対して柳は「平民たるそのことへの積極的価値認識が不思議に遅れている。民芸美学は民衆性そのものの意義を認めるのであって……むしろ、けっしてしいたげられない自由性が〈平の者〉たる〈民〉にこそあることを知らせようとするのである」と反駁している。また、かつては朝鮮人からは、「無銘の民の手になった作品になんの値うちがあるのか、そんなもので朝鮮の美を語られては困る」と抗議をうけたこともある。しかし凡夫にしてなおかつこんな自由な美を生みうることを誇りとすべきである。これもまた柳に言わせれば、「平の民衆をはじめからつまらぬ者と思うか、あるいは美は偉大な天才だけのものだという考え」に凝り固まっているのである。
日本の民芸運動は、柳宗悦が1926年、河井寛次郎や浜田庄司とはかり、すでに集められていた民芸品を公に展示すべく「日本民芸美術館設立趣旨」を発表するとともに、その理論づけのために雑誌『工芸の道』を刊行した。31年には月刊誌『工芸』を発刊、各地の民芸品の紹介を活発におこない、それをもとに、さらに地方の伝統的な民芸品の復興と新作活動も各地でおこなわれるようになった。34年には「日本現代民芸品大展観」が東京で開かれて一般の認識を高め、関心を深めた。36年には大原孫三郎の援助によって東京駒場に「日本民芸館」が設けられ、民芸運動の拠点が確立された。やがてこの運動の展開領域は36年と37年には朝鮮に広がり、ついで38年以来沖縄調査がおこなわれ、さらに満州と華北にまで波及した。39年にいたって『月刊民芸』が発刊されて、民芸運動はよりひろく各地に普及されることになった。
民芸となると、我々が普段使う道具とはややかけ離れていくが、しかし道具にはそのような美的な側面があって、何ということのない日常の用具でも丹精込めて美しく仕上げようとする心が日本人の中に流れていることは、もっと誇りに思っていいことなのだろう。
[参考]
◆柳宗悦「民芸」(平凡社「世界大百科事典」のその項、1988年)
◆日本民芸館(http://www.mingeikan.or.jp/)
◆日本の伝統的工芸品館(http://www.kougei.or.jp) [2000年8月10日記、03年8月5日追補]
←前のページに戻る ↑ページの最初に帰る 次のページに進む→