農と言える日本・通信 No.4 1999-08-04 高野 孟


《棚田&里山情報》
●「棚田パノラマ体験展」8月8日まで、三越日本橋本店で!
 中山間地の地方自治体を中心に組織された「全国棚田連絡協議会」が主催し、「劇団ふるさときゃらばん」が企画制作を担当して、「棚田パノラマ体験展」が開かれており、我が鴨川の「大山千枚田」も《東京から一番近い棚田》を売り物に参加している。約1000平米の特設会場には、パノラマ大型スクリーン、流水に田んぼの水棲動物が生きている棚田の模型がセットされ、棚田米の販売、棚田百選の選定、フォトコンテスト、棚田学会の発足式、ミュージカル田んぼの詩「太陽のつぶつぶ」上演(これだけは有料)などのイベントも行われている。鴨川王国の石田三示さんによれば「全国から10ほどの棚田地区が参加するが、それでお客さんが一度行ってみようかということになると、東京からいちばん近いのは鴨川だということになる。ウチのために展覧会をやって貰うようなもので、ありがたいことです」だと。

●駐日外交官たちも棚田で田植えを体験!
 『週刊新潮』5月27日号グラビアによると、5月16日、石川県輪島市の千枚田世界40カ国の駐日外交官とその家族90人が、1000人近い全国からの一般参加者に混じって田植えを体験した。「地球環境・米米(こめこめ)フォーラム」という連続イベントの一環で、9月には稲刈りのイベントが予定されている。

●「木を伐採しなければ里山は維持できない」と田端英雄!
 日本湿地ネットワークの主催で6月12日から敦賀で開かれた「21世紀の湿地・干潟・里山を考える全国集会」第2日の分科会で、里山研究会の田端英雄は「里山保全の現状と課題」について要旨次のようなスピーチを行った。

▼伐採し続けなければ維持できない里山を、市民運動で守るのは無理である。京都市と高槻市の間にゴルフ場建設が持ち上がり、反対運動が起き、付近の調査を始めたところ、鞍馬に匹敵するくらいの貴重な植物の生育地と分かってゴルフ場建設はストップした。京都市が買い取って、審議委員会を作って、私にも委員の要請が来た。里山は、薪炭として切り続けて維持されてきたところだから、山を切るという条件を呑むならばと言って、引き受けた。緑豊かなこのまんまの状態で守ろうと思っている他の市民グループは呆気にとられていた。国が里山を守る[ためには適度に切るべきだという]方針をとっていない限り、市民が里山を切り続けることは難しいと思う。
▼日本には800万ヘクタールの里山があるが、これが荒廃したのは、薪炭生産の林業から、柱を作る林業に変わったから。里山に住む住民が食べていける林業にしなくてはいけない。安く、大量生産できる炭を開発して、里山の木や林地残材、間伐材、製材廃材なども利用する「小規模分散型の熱電併給システム」を提案する。これの熱効率は、80から85%であり、原発の熱効率は40%で、送電中にさらに5%落ちるので大都市で実際に消費されるのは35%でしかない。
▼里山に隣接する田んぼも、減反政策の結果、放棄田となって荒廃した。そこで、もう1つ提案するのは、菜種などエネルギー作物を導入し「バイオジーゼル」を作ることである。ドイツには800カ所のバイオジーゼルの給油所がある。減反を考慮すると、[生産効率の悪い]中山間地で米を作り、米全体の生産高を下げる一方で、平野部では菜種やヤナギなどのエネルギー作物を作ることを奨める。今は、土地を荒廃させて米の価格維持を図っているが、以上のような方法で、農家に自然を守ってもらうことで税金が使われても、国民は納得するであろう……。

▲里山保全の考え方については、高野ホームページ→鴨川自然王国→「里山」の研究メモ(http://smn.co.jp/takano/kamogawa.sato.html)も参照して下さい(高野)。



《会員動向》
●藤本氏の離婚の危機
 藤本敏夫さん夫妻が『週刊宝石』の「妻への遺言」に登場、クライマックスは次の部分。
「80年、三女の美穂さんが生まれる。その半年後、藤本氏は家族に提案した。『俺は無農薬野菜を売るだけじゃなく、自ら農業をやりたいんだ。家族みんなで千葉の田舎へ移り住んで、自然の中で暮らそうじゃないか』。結局、加藤さんはこの申し出を拒否。藤本氏は千葉県鴨川にひとり移り住み、農業を始める。
(加藤)最初、私が『あなたひとりでやれば』と言ったときの、あなたの怒り心頭ぶりが忘黷轤黷ネいわ。『お前は、何を言うんだ』って感じで、怒り狂った。私はまず第一に歌手活動ができなくなるのがいやだったの。……お互いに妥協できる問題じゃなかったから、必然的に離婚の二文字がふたりの間にちらつくようになる。私はあなたに何度か訴えたわよね。『夫婦といってもそれぞれが、自分の人生を、人生の中でやり遂げたいことを、まっとうするべきよ。そういう結婚があってもいいと思う』。多分、あなたは最後まで、論理的には納得してくれなかったような気がする。最後まで自分の理想とする生活をひとりではなく『家族とともに』築いていこうと願っていたと思うから。結局、私たちは鴨川と東京の二重生活という道を選んだわけだけど、離婚の二文字はなぜかいつの間にやら、消えてしまっていた。なぜ、別れなかったのか? 確かに離婚するかしないかでもめたけど、お互いに顔も見たくないとか、憎しみ合っての喧嘩ではおそらくなかったのよね。……争いを毎日繰り広げながらも、心のどこかで、男にとってそんなにも家族が大切なのかと、ホロリとしちゃっ,,た部分があった。お互いにやりたいことは違うけど、やっぱりこの男は大したもんだって、離婚話を しながら思ってるくらいだった。これじゃ、離婚できなかったのも無理ないか」
「いろんなことを通過して、最近やっとまた、最初あなたと出会って恋に落ちたころの関係に戻ってきたなっていう感じあるんだけど。それぞれのやりたいことをまっとうしようよ、とお互いが自然に思えるようになってからのほうが、一緒に過ごす時間も長くなったというのが面白いわよね。これ言うと、驚く人もいるけど、とりあえず寝室は一緒だものね」
 ※な〜んだ、ノロケかあ(高野)

●松本氏の水車仕掛け
 鴨川常連の松本正毅さんが『読売新聞』6月16日付の「雨とくらしのハーモニー」に写真入りで登場!
「窓ガラスの外側にプラスチック製の樋や水車などが取り付けられていた。緑、黄、紫など、ところどころに使われたカラフルなプラスチックがかわいい窓飾りのようだ。『雨の日、部屋の中からこれらが窓辺で動いているのを見るのはなかなか楽しいですよ』。東京・墨田区にある自分のデザイン事務所で、考案者の松本正毅さん(41)が、じょうろで水を流し動かしてみせてくれた。雨が降ると、雨水が屋根からこの樋に流れるようにセットされており、樋を通った雨水は水車をくるくる回したり、日本庭園で見かけるししおどしのように筒を動かしたりする。……樋や水車などは、吸盤で取り付けただけなので、いつでも取り外せるし、位置を付け替えて雨水の通り道を自由にデザインすることもできる」
「このほかにも、地下に設置した雨貯留槽の水位があがるにつれて地中から姿を現す「雨水地蔵」、雨のしずくを受けて回り出す「あめぐるま」など、雨を楽しむ様々なアイデアの持ち主。いずれもまだ商品化されていないが、松本さんは『学校や幼稚園などに取り付けてもらえば、子どもたちは雨の日を楽しみにしますよ』と笑う」



《リスポンス》
●No.3に載せた鳩山由紀夫さんのメールにあった、北海道・伊達のシュタイナー実践の「ひびきの村」について問い合わせたところ、さっそく鳩山さんの元秘書で今は村の事務局にいる小久保さんから資料一式が届きました。ご関心ある方は鴨川事務局の中橋さんにお問い合わせ下さい。中橋さんは8月の夏休みに現地を訪問してきました。
なお村のホームページはhttp://www.d1.dion.ne.jp/~northkkb です。


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